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パラレル・レモネード  作者: 紫陽茉華
1/1

Prolog

「あたしは本当のあたしじゃないんだ」

乾知花はそう言った。誰に言うでもなく、誰に聞いてもらうでもなくそう呟いた。呟いた気がした。もしかしたら俺の聞き間違いだったのかもしれない。いや、俺に向かって言ったのかもしれない。わからない。

 聞かなかったことにした。面倒なことになる、と予感したから。

 乾はそういうやつだった。よくいう「かまってちゃん」というわけではない。犬のように人懐っこくて、猫のように自由気ままなやつだった。ふらふらするのが好きだけど、定住先を探している、そんなやつだった。だから特別仲がいい友達がいるわけではなく、いつも違う集団にいた。女子は縄張り意識が強くてカバみたいに凶暴だけど、そんなのお構いなしでズカズカと入っていった。それで嫌な顔をされようとも乾にはどうでもよかった。興味がなかったのだと思う。乾は人の感情に疎くもあったのだ。「嫌い」とか「好き」とかわからない、いつもそんな顔をしていた。そうやってずっと生活していた。

 乾は中学1年の秋に違う学校に転校していった。それまでずっと同じクラスだったのは、俺ただ一人。小学校6年間と、半年。俺と乾は互いを認識はしていたが意識はしていなかった。「6年間一緒だったんだ」くらい。中学入学のときに母親に言われて初めて気づいた。6年間も同じクラスなのに、対して会話した覚えがないのだから仕方ないだろう。転校していくときも何も交わしはしなかった。周りが何か言っていたのは覚えている。けれど、内容は思い出せない。「おはよう」も「さようなら」も言わない。視線も合わない。そんな6年と半年の関係。

 だから俺は驚いた。中学1年の秋以来、一度たりとも会っていない、乾知花が目の前に現れたから。


 まだ寒い海風にさらされながら俺と乾は白い砂浜を無言で歩いていた。もう何年も鳴っていないインターホン越しにうっすらと見おぼえのある顔が覗いたとき、俺は声がでないほど驚いた。お化け屋敷は得意だけれど、

本物の幽霊かと思って肝を冷やしたものだ。名前を聞くまでの間、頭を駆け巡った名前はどれもこれも懐かしいものだったが、まさか記憶の端の端を引っ張り出すことになろうとは思ってもみなかった。乾は俺が覚えていたことを子犬のように喜ぶと、俺を近くの海岸まで連れてきたのだ。話したのはそれだけでその後一切会話をせず、どちらからも話かけることはないままただひたすら乾に引っ張られるようにして歩いていた。振り切ろうと思えば余裕だが、そんなことをしようとは思わなかった。7年前の少女が綺麗になって現れ、俺の少し前を歩いているのだから悪い気はしない、そんな程度だった。歩きながら乾知花というやつを思い出していた。やっぱり接点はクラスが同じだった、ということでしかない。今更俺になんの用事があるのだろうか。

 そんなとき、沈黙を破ったのが、乾が放ったあの一言だった。

 「さっき言ったの、聞いてた?」

また口を開いた。これは確実に俺に言っているのだろう、と思った。7年前の転校のときでさえ会話したことなかった俺に。

「……ごめん、聞いてなかった。もう一度言って」

「もう、いつもそうだった。覚えてるよ、あたし。四条はいつも遠い空を見てた」

俺は覚えていない。いつもそう、だなんて、対して話したことはないのに。それに俺は、昔は活発だった。空を見るより地面を見て、ボールを見て、友達を見ていた。

 対して乾の方が遠い空を見ていたと思う。自分の居場所を探すように。青い空に映えるカモメに思いを馳せて、その透き通ったガラス細工のような目で。

 今もそう。急に立ち止まってテトラポットの上で足をぶらつかせて海を見つめる彼女が昔の姿と重なった。何を考えているのかわからない顔をして、遠くを見つめている。何か思い詰めているような、そんな気もする。

「あたしね、四条に言わなきゃいけないことがあって。こっちに来たんだ」

徐に言った。なんとなく、そんな気がした。内容は全く見当がつかないけれど。何せ7年もそしてその前も大した関わりがなかったのにわかるわけがないし、7年経った今、俺に何を言おうというのか。

 俺は彼女の隣に腰を下ろした。海風にさらされているテトラポットは思った以上に冷たかった。

「っていうか、久しぶりだよ! 四条があたしを覚えていたことにびっくりだよ」

「俺もびっくりした。よく覚えていたね、俺の家」

「引っ越してたり、出て行ってたらどうしようかと思ったけどね!」

「普通はいきなりこないよ、7年も経つのに」

「え、あぁ……中一のとき、あたしが引っ越ししたのも覚えているんだ」

「うん。覚えてる。どこに行ったのかは知らないけど」

「ふふ、四条らしい。あのね、今度はね、海外に、遠いところに、行くんだ」

「へぇ。留学? いいね、どこの国?」

「……いいね、かぁ……」

たぶん、普通な会話だったと思う。おかしいところはなかった、と思う。けれど、気づいたときは遅かった。彼女の頬に海の反射を受けて煌めく雫を見たとき俺はぎょっとした。今、俺、なんか言った? まずいこと言った? なんで泣いてるんだ?

 俺は後悔することになる。乾を覚えていたこと。一緒に海岸まで来てしまったこと。乾と出会ってしまったこと。そして、何より。

「ずっと、ずっと伝えたかったの」

きらり、と彼女の頬が光った。

「あたし、四条が、好きだった。ううん、好きです、四条和紗さん。昔も、今も」

後悔することになる。俺は。この時は知る由もないけれど。あとになって俺は俺を恨むときがくる。

 一段と寒い風が吹いた。それは明らかに、こうなることを予感していた。

 俺はそれになんて答えたか、もう定かではない。ただ確実だったのは。

 この日、俺の初恋が実ったこと。

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