何をするにもお金とワルツ
「うぅ~」
呻り声を上げてカウンターに突っ伏すと、マスターの小さく笑う声が聞こえた。
「今日はずいぶんと荒れてるな」
荒れたくもなる。
あんなことがあれば、草食系で魔法系男子代表の温厚な俺だって、頑固オヤジのように激しくテーブルを引っ繰り返したくもなるさ。
うらめしげに目線を上げると、かちりと涼しげな目とあった。
「何かあったのか?」
「なぁんもかんも、大学から職員が来た」
俺は憮然として答えた。
「一学年後期の学費が未納らって、わざわざアパートまで出向いて来やがりましたよぉ」
思い出されるのは、今朝取り立てに来た女のこと。
まさか、大学からの刺客だとは!
開口一番「一学年後期の学費が未納です」の言葉に、俺の心に咲いた可憐な恋の花は儚くも散っていった。
俺のトキメキを、青春を返してくれ。
「しょせん、この世は金か」
「おバカ。未納にしてたら追い出されるだけでしょ! さっさと払っちゃいなさいよ」
ママは呆れた声を出す。
「俺はぁ、ギリッギリの生活なんれすぅ! 家賃れしょ? ギルドの会費っしょ? 光熱費モロモロ……ほら、貯えがほとんど飛んれった! タネも仕掛けもないれすよ!」
マジで泣いても良いですか?
光熱費などは除いた、家賃は格安の月額二万ポロリ。
オンボロアパートだが、住めば意外と快適である。
三ヶ月分の家賃を滞納していても、とりあえず部屋から追い出されずに済んでもいる。
土下座で泣きつけば待ってくださる、とても優しい大家さんで良かった。
それに魔法学校に入学すると共に籍を入れる魔法ギルドだって、学割価格の年会費一万ポロリ払えば良い。
まあ、これを納めないと魔法使用許可証を剥奪されるんだけど。
許可証なしに魔法を使用するのは犯罪にあたるので、許可証の有効期限には注意が必要だ。
俺は毎月泣きながら、少ない貯金を切り崩して生活費を払ってきたんだ。
その金すらも底が見えてきたから、一ヶ月ぐらい滞納しても許されるだろうと思っていた。
ところが、大学側はハイエナのように容赦なく俺の骨までもしゃぶり尽くそうと朝から……!
そのハイエナが、タイプの女の子だったからショックは更に倍だ。
現場に居合わせた、鬼畜エルフであるレオンのバカ笑いが今も耳から離れない。
「だったら、なぁんで道具屋のバイトを辞めちゃったのかしらねぇ?」
「あの新店長さえいなけりゃ、俺らって辞めなかったよ」
魔法学校の高等部時代から続けていた道具屋のバイトで何とか生計を立てていたのだが、半年前に就任した新店長と早々に喧嘩をして辞めている。
約三年半という月日に渡ってお世話になっていたが、新店長の経営方針には賛同できかねるものがあったからだ。
利益は大切だが、それでお客さんに対して感謝の気持ちどころか、見下しているのは人として間違っていると俺は思う。
口調はそれなりに丁寧なのだが、自分の専門知識をさも常識と言わんばかりに、「そんなのも知らないの?」的な半笑いで接客するのをヤメロ!
そりゃ、頭にくる「オマエ何様?」的な客もたまにいたけど。
「現にこうして貧乏暮らしなんだから、ぶらぶらしてないで、さっさとどこか魔法事務所のバイトに入れば良いじゃないのよぅ。後々の就活にも便利じゃなぁい?」
「時代が就職難じゃなければな」
俺は目をそらした。
今は景気も少しずつ上向きになってきているようだが、まだまだ厳しい。
魔王が倒され、魔王軍は自然解体された。
それから世界が復興作業に取りかかったのだが、この戦争で近隣の国々は金を使い果たしていた。被害の比較的少なかった我が国の王は、世界の復興のためと各国に気前良く金をまいた。そこは男前だと思う。
だが、調子に乗り過ぎて、国庫がヤバイと気が付いたときには手遅れに近かった。
しっかり儲けて金を握っていたのは武器屋や防具屋、道具屋といった商人連中である。
ほどなくして、我が国は大不況に突入。
失業率は史上最悪、新卒者の求人率も最悪。
世はまさに、大就活時代。
そんな時期にバイト先を探すのも一苦労だ。
辞めてしまった道具屋だって、道具知識ゼロの初心者の俺が、面接を受けること三十軒目でやっと受かった、貴重なバイト先だった。
後悔して嘆いてはいるが、あの新店長がいる店に戻るつもりもない。
「こんなことなら、錬金術学科に入れば良かった」
そうすりゃ、不況知らずの薔薇色な造幣局とかにバイトとして潜り込めたのに。
そして将来は就活することなく、そのまま勤めることになっただろう。
就活なんて「何それ、美味しいの?」状態に違いない。
あれなら就職先が引く手数多だったはずだ。
面接なんてオマケで、お茶を飲みながらシフトの打ち合わせをしたって、錬金術学科のアルベルトは確かに言っていた。
「錬金術学科はあの大学では新設だから大した授業じゃない……そう知り合いから聞いたぞ? それなら、俺がいた学部に来れば良かったのに」
水の入ったコップをマスターが俺の前に置く。
「酔いを醒ませ」とでも言いたいのだろう。
余計なお世話だ、コノヤロー。
それを一気に飲み干して、睨み付けるように目を向ければ、のほほんとヤツは笑っていた。
その顔がとても憎らしい。
「先輩の俺が可愛い後輩の為に、色々と世話を焼いてやれたのになあ。バイトはモチロンのこと、就職先だって……あ、そうか、アルカは俺のところに永久しゅ」
「黙れ変態」
ヤツの言葉が終わらないうちに俺は遮った。
マスターはアデレイド大学の卒業生だ。
つまり、俺の先輩にあたる。
「昔のアルカは『エルにーたんのおよめしゃんになりゅ!』なんて言ってたのに」
「お隣さんだったから、無垢な俺は懐いていただけだ。そこに愛はない。ついでにお嫁さんになるなんて一言も口にしていない。昔から妄想癖のある男だな、アンタは」
水を飲んだからか気分の悪さもすぐに薄れて呂律も回ってきていた。
口をとがらせて会心の反論をすれば、ヤツは「ツンデレか? 可愛いなぁ」ときたものだ。
途端に肌の毛穴が全て開いたような、びりびりとした感覚が湧き起こる。
身の毛がよだつとはこのことか。
「ぐぅおぉぉぉお」
嫌悪感に俺は地の底から響くような低い呻き声を上げた。
すると横から、
「あらヤダ! この子ったら、やっぱりダーリンを狙ってたんじゃないのよぅ!」
と、やっぱりママが野太い声でブーブーと俺にうるさく言い始めた。
あぁ、話がややこしくなるから嫌だったのに。
「狙ってませんから! むしろママがコイツを赤い簀巻きにしてくれたら助かるから!」
「きぃぃいい! アンタにダーリンは渡さないんだからねぇぇえぇ!」
「お願い、人の話を聞いて!」
嫌なら嫌でここには通わなければ良い。
だが、現在進行形で懐具合の厳しい俺にとっては、ツケでメシやコーヒー牛乳を提供してくれるこの店の存在が必要なのだ。
クセのあるマスターやママ、客が野郎ばかりというお寒い点を我慢しなければ、明日のメシにはありつけない。
安定したバイトに就いていれば、いや、金さえ持っていれば、こんなところで寒いメシを食わなくて済むのに。
俺がママの言葉攻撃を避けていると、酒のボトルが並べられた棚の上で眠っていた黒猫が、プルルと鳴いた。
どうやら外からの通信が入ったらしい。