69 「大丈夫、アルカネット。もう、アタシはあの頃みたいに取り乱したりしない」
「っは、ははっ、ひははははははははははははははは!!!」
その笑い声に気付いてアルギンが目を覚ましたのは、倒れてほんの数秒の事だった。
心配そうに屈んで顔を覗き込んで来るソルビットと彼の姿が最初に目に入った。
「たいちょー……、『月』といい『花』といい、散々な求婚現場っす……」
「気は確かか、アルギン」
「そっちこそ気は確かっすかね!?」
アルギンは状況が理解できず、数回瞬きをしてから上体を起こした。
気を失っていたようだ。その理由が頭の中でうすぼんやりしていて思い出せない。
何の話をしていたのだったか。確か兄の話だ。そして、ギルドの話だ。
それから彼が王妃に何か言われていた気がする。何だったけか。そして
「……? ………!!」
思い出した。
彼がいつもと変わらぬ調子で言った、求婚の言葉。それがもう一度脳内に響き渡る。
何が。何で。どうして。こんなところで。
「アルギン、大丈夫か」
求婚してきた声と同じ音色が、アルギンの名を呼んだ。
アルギンは何故そんなことになったのか、何が何だか解らず、ただ頬を赤く染めている。
「ふふっ。ふふふ、やはり面白い女よの、『花』。求婚されて気絶する女など、私は今まで知らぬわ」
笑いを隠すことなく、王妃はまるでからかうような口調でアルギンに言う。
ソルビットは呆れているようだ。それはアルギンだけにでは無いだろう。
「色気も雰囲気も無い謁見の間で求婚だなんて前代未聞っす。二人で伝説になれるっすよたいちょ」
「……きゅ、求婚って」
「アルギン」
『月』が、アルギンの名を呼ぶ。
「答えは、待つ」
アルギンは、そこで自分が気を失ってもしっかり握りしめて持っていたものに気付く。
リング。求婚の際に、求婚した側が渡す装身具だ。
彼の言葉を聞くなり、はっとした顔になったアルギンは、急いでそのリングを指に嵌める。
「する」
今の状況も、地位も、これから先の未来も、全て思考を放棄して、アルギンがたった一言口にした。
「……結婚、する。します。お願い、結婚してください」
それから何度も言いなおすが、まるでアルギンからの求婚のようになってしまった。
彼も、その言葉に少し口許を緩めた。その顔はアルギンはもう何回も見ている表情だったが、ソルビットは初めて見るらしく、アルギンの後ろで戦慄している。
「よい日になったの、『月』『花』。かような場所で新たな夫婦の誕生を見ることになるとは思わなんだが、よい。国王代理の私が許す、今日から夫婦として生きよ」
それはアルギンが思っていた夫婦の誕生の形では無かったかもしれない。けれど、アルギンはとても嬉しそうに、幸せそうに、指に嵌められたリングを撫でた。
彼はそんなアルギンの手を取り、軽くその腕を引く。近付いた二人の唇が、そっと触れ合った。
ソルビットは御前にも関わらずとんでもない悲鳴を上げたが、この場にいる誰も気にしなかった。
「よい。二人とも、これから山ほど考えることはあろう。今から執務も切り上げるが良い。存分に二人で話し合え」
「―――は」
『月』が頭を垂れる。アルギンは彼に腕を引かれるまま、謁見の間を後にする。
ソルビットは、まだ残っていた。
「………これで」
ソルビットの声は、僅かに震えていた。
「これで、あたしの『花』隊長昇進が手に届くところに……!」
「ソルビット、聞こえておるぞ」
ソルビットの野望が駄々洩れしている所に、王妃の優しいツッコミが入る。
笑顔で王妃に振り向いたソルビット。
「ふっふー、ありがとうございます王妃殿下! ……これで、あの嫁き遅れが結婚できました!」
「それは、本心かえ?」
「………」
王妃に問われたソルビットは、即答できずにその場で固まる。
表情は強張って、俯いて。それから
「……勿論!」
もう一度王妃に顔を向ける頃には、満面の笑顔に変わっていた。
王妃の言うとおり、夫婦になった二人には考えることが山ほどあった。
俗世に倣い、名前や二人で住む場所、書類上の手続き等々。
手続きは城で出来る物が多数あったから、それは後日に回すことにして。
名前は変えなかった。アルセンでは相手の姓をどちらかが名乗る事が多かったが、アルギンは仕事上に支障を来すのでそのままにする。彼も同じだ。
住む場所に関しては、彼は城下に家を持たなかった。隊舎にある部屋だけで充分としていたからだ。けれど結婚するとなるとそうはいかなくて。
アルギンとて同じだ。だから酒場に二人で報告がてらアルカネットにその事を伝えると
「いいと思うが。別に、俺がこの場所を管理していた訳じゃない」
という一言で、二人の街での住まいは酒場の一室になった。正しくは、エイスが使っていた部屋だ。
そこにはアルカネットにも見せられない書類や物品が残っている。エイスの遺品を整理して、空いたその部屋に入る事にした。
「……ってか、相手いたんだな。あの人が死んで早々結婚だなんて」
アルカネットに嫌味を言われたが、それは聞き流した。
「アルカネット、働き始めてから兄さんに家賃入れてたんだろ」
「……ああ」
「今まで通りの額を払って貰っていいか。オルキデとマゼンタで店の経営出来るらしいから、そっちに渡してくれ」
「……仕方ないだろうな」
アルカネットは、明らかに騎士であるアルギンを毛嫌いしていた。それは仕方ない事だとアルギンも諦めている。
エイスが居た頃に、多少なりとも彼を挟んだ交流でもしていたら違ったのかもしれない。けれどそれは今更悔いてもどうしようもない。
埋められないのは心の距離と時間。今更埋める気も無かったし、そんな余裕も無い。
「―――なぁ、アルカネット」
それでも。
兄がいない今だからこそ、同じ男に育てて貰った者同士、もう少しだけ歩み寄りたくなった。
―――ギルド員として働いてほしい、なんて二心が無かったとは、言えない。
「何だ」
「アルカネットは、何で自警団に入ろうなんて思った? 兄さんの後を継ぐ気は無かったのか?」
隣の席でだんまりを決め込んでいた『月』が、その言葉に僅か反応した。彼も、少しは気になっていたのだろう。
アルカネットは少しだけ考える仕草をして、仕方なしに答える。
「……人と接するのは好きじゃない」
短く、その言葉。
「キッチンでも良かったじゃないか。人と関わりたくなくても、関わらないで済む仕事だって他に沢山あった」
「……面倒事も嫌いだ。それに」
アルカネットが不自然な箇所で言葉を切った。
言うべきか言わざるべきか悩む顔。しかし彼は意を決したように、その重い口を開く。
「……金が必要なんだ」
それだけ言って、アルカネットは自室に引っ込んでいく。
アルギンは直ぐにピンと来た。エイスが言っていた、彼の妹の話。
「……ねぇ、五番街にある孤児院……知ってる? 端の方なんだけど」
「ああ、貴族の私設孤児院だったか。知ってはいるが、王立ではない。関りは無い」
「……そっか、関り無いか」
関りさえあれば少しだけ職権を使って欲しいところだったが、彼の堅物な所も、アルカネットの頑固な所も、アルギンのこの勝手な考えを許してはくれないだろう、と諦めて引き下がる。
アルカネットの妹が、施設にいる。だから、金が必要。その方程式はアルギンの中で直ぐに完成していた。
「アルギン、よもやあの者をギルドに引き入れよう―――などと考えてはいまいな」
図星を貫かれてアルギンの呼吸が一瞬止まる。
「……そんな事。……考えたけど、やっぱり駄目だ」
何の為に、エイスがその秘密を墓まで持って行ったのか。それが解らない程兄不幸ではない。
金が必要な者は依頼しやすい。エイスを知っている人物であるなら尚更に。―――アルカネットはその条件をどちらもクリアしていた。
あの王妃は、エイス亡き今も『依頼』を寄越そうとするだろう。その時、それを完遂できるだけの人員がいるかと言われたら―――。
「何かあれば、我が代わりに剣となろう」
彼が、不安がるアルギンに寄り添うようにそう言った。
「……ありがとう。……そうならなくて良いように、祈ってて」
これから、これまでとは違う幸せに包まれるはず。
アルギンはそう思って、願っていた。
兄がいなくなっても、きちんと自分の足で、彼と二人で生きていく未来を夢見ていた。
「……はい! 今日はここまで! 止め止め!!」
アルギンが手を叩いた。
それまで話に食い入るように聞いていた女性陣の顔が、少し不満げになる。
気付けばもう夕方。
スカイの件で襲撃されてから荒れ果てた酒場店内の修理中、暇を持て余した女性陣からアルギンの昔話をせがまれてもう二日目だ。
明日には漸く新しい椅子とテーブルが届く手はずになっている。それが届けば、酒場が再開できる。
「面白かったです、アルギン。特に求婚の下りとか」
「はいはい、今思い出すとこっちだって赤っ恥さ。その頃は生娘だったんだし仕方ないだろ」
「旦那さんってそんな感じの人だったんですね。もっと、こう、粗暴な人かと思ってました」
「うんジャス、それって絶対アタシの性格通して想像してたよね?」
アルギンはずっと、昔を思い出しながら話をしていた。
騎士として国に仕えていた頃の話も、兄との記憶も、彼との思い出も。
話は、結婚してすぐの所で意図的に止めた。これから先は、思い出したくもないところまで話してしまいそうになる。
「続きが聞きたかったら酒場修理に貢献するんだな」
「えー、それ卑怯です。手伝いたくなるじゃないですか」
「そーだそーだ!」
笑いながら言うアルギンだったが、続きは簡単に聞かせる気は無かった。
もう、アルギンの側に『彼』がいない。その話を口に上らせることになるから。
今でも、一人の部屋に居ることに慣れない。
「卑怯で構わん! さ、今日はもう飯にして皆早く寝るんだ!」
「はーい」
「はぁーい」
「……。」
女性陣がアルギンの側から散らばる中、一人神妙な顔をして聞いていた人物がいた。
シスター・ミュゼだ。彼女だけ、何か言いたいことがあるような顔をしたまま考え込んでいる。
「ミュゼ」
「……ん? ああ? ……ああ、マスターか」
「どうしたよ、何か変な顔してたぞ」
「失礼だな」
アルギンが、ミュゼの座っていた椅子の側に違う椅子を寄せる。それに座って、アルギンがミュゼの顔を覗き込んだ。
「……私の育ての親の事、思い出してただけだ」
「育ての親? ……例の、アタシの事知ってるって言ってた奴か」
「私も戦災孤児だったから……。……すまん、一服してくる」
ミュゼはそれ以上言うつもりはない、とでも言うように、席を立って外に出た。肩透かしを食らったようなアルギンは、その場から動かない。
「なぁ、アルカネット」
未だに仕事の合間の空いた時間は壊れたテーブルと椅子を修理させられていたアルカネット。
金槌を握る手を止めて、返事をしない代わりに作業もしない。
「アタシが死んだら、次お前さんがマスターな」
アルカネットの眉が寄る。
「……冗談。お前、まだ死ぬつもりはないだろ」
「もしもの話だよ。今のうち言っとかないと、お前さんは暁にマスターの座を押し付けそうだからな」
「呼びましたぁ?」
アルギンの言葉に誘われるようにふらふらと寄って来たのは暁だった。いつものように胡散臭いほど人当たりのいい笑顔を浮かべた暁は、まるでそこが定位置かのようにアルギンの隣で立つ。
アルギンはそれを鬱陶しいと思えど、無理に退かすことはしない。
「呼んでないよ、暁。お前さん、今日はこっちに泊まりか」
「嫌ですねぇ、オーナー。ウチの住まいはこっちですよ。泊まりだなんて冷たい事言わないでください」
「………。」
アルカネットが二人のやり取りを見ながら、ずっと抱いていた疑問が、今どうしても気になってしまっていた。
これまでアルギンの昔話を聞いていた。その中にはアルカネットも知っていたことが幾つもある。アルギンの立場、仕事、そして、今は死んだ伴侶。
「―――なぁ」
いつもは人の噂話や醜聞には全く興味ないアルカネットだったが、つい口を突いて出てきてしまった。
「暁って、何なんだ」
その質問に目を丸くしたのは暁自身。アルギンは、その疑問が当然であるかのような顔をしていて。
暁はアルカネットからそんな疑問が出てくるなんて思ってなかったのだろう。アルギンの顔を見るが、アルギンは目を逸らしてしまった。
「何って……、ウチはウチですよ。階石 暁。それ以上でも以下でもありません」
「……次代マスターには、ちゃんと言っとくべきじゃないか暁」
「ええ? ウチが言うんですか? ……折角オーナーの昔話が続いているんです」
暁の唇が弧を描く。
「別に、オーナーの口から言っても良いんですよ? ウチは、知られようが知られまいが一切興味無いですから」
「……お前」
「あっはは、アルカネット。顔怖いですよぉ」
これ以上話が続くと、本当にアルギンの辛い過去が思い出されてしまう。それを止めようとしたアルカネットだったが、アルギンはそれを優しく制した。
「大丈夫、アルカネット。もう、アタシはあの頃みたいに取り乱したりしない」
「……。でも、お前」
「言って良いってんなら、言って聞かせる話もあるってもんよ。いいぜ暁、お前が隊の飲み会でシスター服着て歌い踊った話を少し誇張させて貰おう」
「ちょっと!! ちょっと待って!! 何で知ってるんですアレ『月』隊の人間しかいなかったでしょう!!!」
「アタシの旦那がいたからだよこの馬鹿!!」
アルカネットは毒気を抜かれた顔だ。
さてこの二人のやり取りをいつまで見ればいいのか―――。
アルカネットは再び作業に戻る事にした。もう付き合いきれない。
アルカネットの目から見たアルギンは、今にも崩れてしまいそうだった頃と比べたら確かに元に戻っていた。
それでも、あの時の苦しみは癒えていない筈だった。まだ、あれから六年程度しか経っていない。
ちらりと振り返った先のアルギンは、まだ暁と言い合いをしていた。
それが良い事のように思えて、アルカネットは今度こそ作業を再開する。




