39 「僕は、貴方の力になりたい」
アクエリアとスカイの荷解きも、次の日の買い出しも、何事もなく上手くいった。
いつこの部屋にスカイがそのまま引っ越してきてもいいくらいに、家具もベッドも揃って過ごし易い空間が出来ていた。決して広くはないが、孤児院で使っていたそれより楽に手足を伸ばせるベッドにスカイは喜んだし、自分が自由に使える服入れがある事も、時間さえ守れば一人で入れる風呂がある事も、誰かがいる時に言えばいつでも食事が出てくる一階でのやりとりも、その全てをスカイは気に入ったようだった。
『スカーレット』と並んで買い出しに行ったとき、『スカーレット』は手を繋ぎたいと言った。二人で繋いで歩いた街の大通りは、アクエリアに大切な人がいた頃の記憶を思い出させる。
彼女と家族として生きていられたなら、こうして子供と手を繋いで街を歩くことさえ出来たのに、と。
目の前にいるのはスカイであるスカーレットで、記憶の中の彼女とは別人であるはずなのに、何故か二人が記憶の中で重なって思い出されてしまう。スカイにどこか彼女の面影を見ているのだろう。けれど、彼女の面影をスカイに見る理由が無かった。顔立ちは似ていない、声も違う、性別は勿論違う。似ているのはその黒髪くらいだが、スカイは手入れをされていない髪で、彼女は濃紺を思わせる豊かな黒髪だった。
彼女に逢えないまま時が経って、このままその穴をスカイで埋められてしまう気がしていた。心の穴が、彼女とは全然違う筈のスカイの形を覚えてしまう。そしていつか、種族の寿命の差によってかスカイの一人立ちかによる遠くない別れの時に、その心の穴は今度はスカイの形にぽっかりと空いてしまうのだ。かつて、彼女を失った時のように。
「アクエリアさん」
酒場に戻って二日目の夜、静かな声が部屋の逆隅に置いたスカイのベッドから聞こえてきた。
「スカイ」
「眠れなくって……、少し、お話しても良いですか?」
物思いに耽っていたアクエリアだが、スカイの声に思考を引き戻された。上半身だけ起こして、スカイの方を見る。
スカイは枕を持って、ベッドすぐ近くまで来ていた。仕方ないので、軽く頷いてベッドの半分を空けると、スカイはそこに腰掛ける。
「良かった」
スカイからは、ユイルアルトが好意でくれた花の石鹸の香りがしていた。
「もう寝ちゃったかと思いました」
「……あまりすぐ眠れるタイプではないですから」
「僕の我儘を受けてくれて、ありがとうございます」
その花の香りが、記憶の中の『彼女』のそれによく似ていた、気がした。よりにもよってこんな俺にとって厄介なもの作ったものだ、とアクエリアは思った。
思考が彼女に引きずられてしまう。未だ忘れることさえ出来ない彼女の思い出を、スカイに重ねてしまう自分がいるのが分かっていた。スカイという別人に思い出を重ねて、だからスカイに抱いている感情が邪まなものに変わるという訳ではないけれど、彼女を探して旅をしていた自分の心が折れてしまいそうな気がしていた。
「……アクエリアさん」
枕を抱きしめるスカイ。
「僕は、アクエリアさんの恋人さんの話が聞きたいです」
アクエリアは、そう言われるのをどこかで分かっていた。
「……聞きたいですか」
「はい」
スカイの顔は真剣だった。これから寝るために心を落ち着かせるような話をする顔には見えない。
「俺は、話したくないです」
「……どうしてですか」
「大事なものを、人に簡単に聞かせるようなタイプではないですから」
言いたくない。
聞かせたくない。
聞いてほしくない。
俺の記憶からどんどん剥がれ落ちて行ってしまうから。
「僕は、聞きたいんです」
「……。」
「アクエリアさんの大切な人なら、僕にとっても大切な人になる気がするから」
スカイは真っすぐに、アクエリアを見つめていた。ベッドの上に手を付いて、逸らしかけたアクエリアの視線を奪う。その顔は、『彼女』には似ていなくて、けれど中性的で、綺麗で。
「アクエリアさん」
「―――」
「僕が勉強して、貴方の力になれるくらいになって。……そしたら、一緒に探しに行きましょう。僕は、まだ大人になってないから、二十年くらいなんて平気で貴方に付いて行けますよ」
「……スカイ」
「僕は、貴方の力になりたい」
スカイの掌が、アクエリアの頬にかかる。その手は夜の気温に晒されて冷たくて、思わず手を取って毛布の中に突っ込んだ。でもそのまま離す気分にもなれず、手を握ったまま瞬きを繰り返した。
「………、あまり面白い話ではないですよ」
「それ、前も聞きました」
「そうでしたね」
自分から剥がれ落ちてしまう記憶。
それらをスカイに話すことで、それらを集めてくれるのかも知れない。
この先忘れてしまった彼女の記憶が自分にあるとしても、スカイはその記憶の破片を時折大事そうに見せてくれるのかも知れない。
二十年の時を想い続けて、例え今が折り返しで、この先また二十年探しても。
「……俺の、一目惚れだったんですよ」
スカイは側にいてくれると言った。
今まで二十年、成果の無かった旅でも、その続きに付いて来てくれると言った。
「―――俺は、彼女を今でも愛している」
スカイが、例え口だけでも誓ってくれた二十年に、アクエリアが返せるものは何一つない。
そんなもの、スカイが欲しがっている訳じゃないと知っていても。
「……アクエリアさん」
「彼女の話を聞いて貴方が育つなら、貴方は俺たちの子供みたいなものですね」
「―――」
アクエリアがしまった、といったような表情でスカイと一緒に固まる。さっきの言葉は自分でも分かるほど気持ちの悪いものだった。
なんとか取り繕って誤魔化そうとするが、スカイが身を捩って突然笑いだす。
「あはははは!!」
「なっ」
「……そっか、アクエリアさんがお父さんかぁ。嬉しいな、僕には親がいなかったから」
嬉しそうなその顔は、アクエリアが何を取り繕おうとしたか分からなくなるような顔で。スカイの笑いが収まるまで暫く二人は何も言わず、やがて自然に視線が重なる。
「……アクエリアさんの子供になら、喜んでなります」
「スカイ、前も言いましたが、貴方はもっと人を見る目を養った方がいい」
「アクエリアさんは良い人です。証拠に、僕をこんなに大事にしてくれる」
まるで雛鳥の刷り込みのような従順さで、スカイがアクエリアに寄せる全幅の信頼。
その何とも言えぬ居心地の良さにアクエリアが浸かりながら、何を話したものかと逡巡する。
「……例えこうしているのが俺じゃなくて彼女だったとしても、きっと俺と同じ事をしていると思います」
彼女の話。
彼女との話。
思い出すのは全部綺麗な思い出ばかりで、どれから話したものかを迷ってしまう。
一緒に町に出掛けた話。少しだけ長い休みを取って、少しだけ遠くへ旅行した話。買い物しようと店に入って、何を買おうかと彼女より自分が迷った話。それは彼女へのプレゼントで、待たせ過ぎて怒った彼女がそれを見て喜んでくれた話。
どれもが大切で、今は少しずつ掠れて来てしまっている思い出。
沢山の思い出が、思い出せば思い出すほど色褪せていってしまいそうになる不安を素直にスカイに伝えると
「……僕は、覚えます。覚えてますから」
スカイは、アクエリアの顔を見ながらそう言った。
スカイの顔は、やはり真剣だった。




