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「やしゃ、ご……?」


 アルギンの声が聞き慣れない言葉を反芻する。ミュゼは嬉しそうに頷いた。


「へへ。私さ、血縁と過ごした記憶ってあんまり無くて。でなくともエクリィからは婆ちゃんの悪い話ばっかり聞いててさぁ。最初はなんだこの女って思ってた。こんな女が婆ちゃんかよってずっと嫌だったけど、よくよく考えたら違うよなぁ。本当に嫌な奴だったらエクリィが長々語って聞かせる訳なかったんだよ。本当に馬鹿なんだからあの男―――」


 ミュゼの視線は喜色を讃えたまま、アクエリアに向いた。見られたアクエリアも動揺していた。


「エクリィは。……アクエリア、は。あー、今までずっと名前の呼び間違いしないように気を付けてたから、疲れたよ」

「……ミュゼ、それは、何かの間違いでは」

「あ、この期に及んでまたそんな冗談言う? 言っとくけど、私に槍を仕込んだのも乗馬を教えたのも、シスターとしての所作を叩きこんだのも未来のお前だぞ。……あと、人形の弱点……教えたのも」


 拳を握ってアクエリアの胴を殴ったミュゼの手に、もう力は入っていない。

 その手を取って、アクエリアがミュゼの顔を覗き込む。この唇が愛を語ったのは、つい最近の事だ。

 直に伝わる体温に、ミュゼの頬が桃色に染まる。


「未来が変わったから、多分私は消えるだろう。最初から分かってたんだ」

「未来が変わる? ……ミュゼ、お前さんのいた未来って」

「婆ちゃん。私のいた未来じゃ、お前処刑されたって言われた」


 アルギンの表情が驚きに染まる。確かに絶対的に勝てると言える相手ではなかったけれど。ミュゼはその感情さえ分かっているかのように、肩を揺らして笑った。


「んで、エクリィは……端的に、婆ちゃんは王妃によって殺されたって言ってたけど、暁はその時処刑に大反対してたって言ってたから……暁が死んだのが、アタシが消える理由? かな? そこまでは詳しく教えてくれなかった」

「……んで、なんで、そんな大事な事言わなかった!! お前さんが消えて、それで未来が変わって、お前さんそれでいいのかよ!!」

「じゃあ婆ちゃん、仇取らなくて良かったの? ……そりゃ、私だって消えるのは怖いけど……でもな、これまでの時間で私が知った婆ちゃんは、そんな終わり方をしていい女じゃなかったからさ」


 スカイは話の内容が分かっていない。だから、スカイは不思議そうな顔をしてミュゼに尋ねる。


「ミュゼ、さん」

「はいよ? 何だい、スカイ」

「……ミュゼさんが未来から来たって言うんなら、僕は。……僕は、アクエリアさんの側に居ましたか?」

「………」


 ミュゼが押し黙る。その質問に答えるのは荷が重そうだった。


「ごめん、それ、答えられない」

「……そう、ですか」

「なぁ、悪いけど。……煙草持ってるだろ。それ一本くれ。んでちょっとエク……アクエリアと二人にして」

「……ああ」


 アルギンはちらりとディルの人形に視線をやった。最後まで命令を聞かず、その体を床に横たえたままだ。けれどもう、彼はきっと自分の意思で何処かに行ったりしない。それが分かっているから、アルギンは煙草を一本渡してスカイと共に部屋を出ていく。

 ミュゼが煙草を咥えた。「あ、火」と漏らしたミュゼの所に、アクエリアがほんの小指ほどの火を点す。


「……ありがと、エクリィ。いやー、『アクエリア』の時ってこんなに優しかったんだね。未来の私が大泣きするからそのまんま居なよ。エクリィのお前厳しすぎ」

「ミュゼ、……もう、いっそ全部嘘だって言ってください。何でですか、どうして貴女はこんな事に」

「んー。……私も良く分かってないんだよねぇ。気付いたら五番街の河原いたし。もしかしたらこれもプロフェス・ヒュムネの『種』の能力って奴? あれ、死者の復活とか瞬間移動以外ならなんでも出来るんだろ?」

「それは、……」


 何の他意も無さそうなミュゼの言葉が、アクエリアの思考を止める。

 そんな運命の悪戯で、ミュゼはこんな所に放り出されたのか。未来の者を召喚するような魔法は存在すると聞いたことがない。けれどもしも、それがプロフェス・ヒュムネの能力によって可能だとしたら。しかし、それを行ったのは誰だ?

 今考えを巡らせようと、消えていくミュゼを引き留められない。そもそも、それを当然と受け入れている彼女がいる。口にしかけた言葉を飲み込んで、アクエリアが首を振った。

 アクエリアを見たミュゼは、何を思ったのだろう。そうそう、ともののついでのように口を開く。


「……スカイ、だけどさ。私が知ってる限り、エクリィの側には居なかったよ。プロフェス・ヒュムネの寿命知らないから、なんで側に居ないのか分からないけど」

「そうですか。……そう、ですか」

「んで、お前は婆ちゃん……アルギンが処刑されてから、ウィスタリアとコバルト引き取ろうとした。その時にすっごいフュンフと揉めたって聞いたよ」

「彼と? ……そうですね、あの人は二人の父親であるディルさんに並々ならぬ感情を持っていると聞きますし」

「……んー。そうだね。んでさ、それからちょっとしてフュンフと殺し合うまで揉めたって話も聞いた」

「……は?」

「まぁ私は曾孫だからなんとも言えないけど、起こっちゃったことを許してやる心も大事だと思うよぉ? だってそしたら私が生まれてこな―――あれ」


 ぽとり、と煙草が床に落ちた。見ればミュゼの手が消失している。あちゃー、と口にしながら、ミュゼがそれを半透明な足で踏んで消した。半透明なのは足だけで、衣服などはそのままなのだが。


「……もう時間かな」

「ミュゼ」

「参ったなぁ。……怖い。なんだこれ、滅茶苦茶怖い。なんだろうな、覚悟してたのにな」


 絹糸のような金の髪が。

 陶磁器のような白い肌が。

 アルギンと似た整った顔立ちが―――消えていく。

 アクエリアは堪らなくなって、その体を抱き寄せた。


「ミュゼ」

「………困るなぁ、エクリィ……。アクエリア」

「ミュゼ、どうして消えるんですか」

「なんでだろうな? それ、私が一番聞きたいかも。怖い。怖い、怖い、怖い。でも、アクエリア」


 半分消えかけた腕が、アクエリアの背中に回る。

 アクエリアの腕の中で震えるのは、一人の女の姿。もう二度、否、これから何十年先までも手が届かなくなる、なんの変哲のないエルフの混ざり子。


「やっぱり、ごめん。私、エクリィもアクエリアも、同じくらい好き―――愛してる」

「ミュゼ。俺は……聞きたく、なかった」

「……うん、ごめん。あーあ、私も言うんじゃなかった。そしたら最後まで、笑ってサヨナラ出来たかもしれないのに」


 震える体が、腕が、表情が。アクエリアを見上げて、少しだけ離れる。


「アクエリア。ちゅーして」

「……ミュゼ」

「もうどう足掻いても最期だから。未来人との口付けなんて、この先機会が巡ってこないかもよ?」


 笑顔であるはずのミュゼの瞳には涙が溜まっていた。それは死を迎える時と同じほどの恐怖なのだろう。

 アクエリアは言葉を飲み込んだ。そして身を屈める。

 触れた唇の感触だけ残して、ミュゼの体が消える。抱きしめていた体の質量が消失する。体温が消えて、香りが消えて、それから、アクエリアが空になった腕を解いた。


「……俺が心を許した人は、皆……俺を置いていくんですね」


 最後まで伝えることを躊躇った言葉は、それを聞く相手が居なくなって漸く口から出てきた。……もし。もしこの言葉を聞いていたら、ミュゼは自身の消失を泣き叫んで嫌がってくれただろうか。そんな姿を見たくなくて、アクエリアは棘のような言葉を無理矢理飲み下した。その棘は胸に突き刺さり、痛み、血を流す。

 放心している暇はないと分かっていて、動けない。残ったのは、そこに脱ぎ捨てられたかのように床に落ちている服と槍のみ。

 それらをかき集めて、綺麗に畳んだ。……またいつ、戻ってきてもいいように。


「アルギン」


 そうして漸く、アクエリアが扉向こうで待っている筈の人物の名前を呼んだ。咥え煙草で入って来たアルギンは、一人減った部屋の中を見渡して溜息を紫煙と共に吐き出す。

 服が畳まれて置かれている。それだけで、もうミュゼと会うことはないのだと理解する。

 彼女は、最後にアクエリアに何を言ったのだろう。アルギンは遠い子孫にそれを思うが、アクエリアに面と向かって聞けるほど面の皮が厚い訳でもない。


「次は、貴女の番です」

「……ああ、そうだな」


 それだけ言うと、残された槍を手に、アクエリアが立ち上がる。そしてアルギンの来た道を辿るように、扉の外に歩を進めて行く。

 アクエリアが居た場所には、ディルの形見の剣が残っていた。それを拾い上げ、彼の人形の側に近寄る。

 背中側から、扉の閉まる音がした。落ち着くかな、と思って咥えていた煙草だが、全然気分が落ち着かない。役立たずの煙草を、ぺっとその場で吐き出した。床を跳ねた煙草は転がり、ミュゼの吸殻の側に辿り着いた。


「……二人っきりなんて、久し振りだね」


 床に転がる愛しい人。けれどアルギンは、それが本当の意味で愛しい人では無いと分かっていた。

 アルギンが愛したのは、ディルという故人だ。胴と切り離された首だけを愛した訳では無い。

 それを誤りそうにならなかった、とは言えなかった。愛を語る首が、彼そのものであると勘違いしそうになったのだ。

 この首が語る愛を真に受けて、愛を口にして返したなら、アルギンの心はきっと壊れていただろう。


「やっと帰ってきてくれた。ずっと待ってた。探してあげられなくてごめんね、ディル」


 最期の言葉を、聞けただけでも充分だ。

 アルギンは刃を構える。彼の形見を、重いと分かっていて振るうことを決めている。


「アルギン」

「うん」


 濁ってくぐもった声には、もう記憶の中の彼のテノールが被さる事は無い。


「あいして、いる」

「うん。凄く嬉しい」

「あい、して、」

「アタシも」


 一度止まった筈の涙が、再び溢れ出す。勝手に流れるそれを、止める方法も無い。

 床に転がる彼に切っ先の狙いを定めた。何をされるか分かっている筈の人形は、それでも動かない。


「愛してるよ、ディル。……おかえり」


 そうして彼の鳩尾を、全力を込めて破壊する。

 再び上げた切っ先は、今度は彼の首と人形の胴体とを切断した。

 その場に腰を下ろし、抱き上げて腕の中に収めた首を、世界で一番大事な宝物のように抱きしめる。


「おかえりなさい」


 震える声が帰還を喜び、揺らぐ瞳が閉じられる。

 声を殺して泣き続けるアルギンの胸の中で、涙が肉の削げ落ちたディルの頬を流れ落ちた。



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