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オトシモノ。  作者: 幕滝
にほんめ。
6/6

ズボン。(後)

後編。

 数分後。

 憩いの広場――わたしと蒼空のクラスの教室から見下ろすことができ、ズボンが落ちていた場所――わたしたちはそこにいた。三方を校舎に囲まれているので、たくさんの窓はまるで、妖怪百目のようだ。足元に短く生えた草は濡れていて、太陽が出ていることもあって、空気中には湿った植物の匂いが舞っている。

 わたしと蒼空は、池に浮かぶ蓮みたいに散在する飛び石の上に乗り、水気から避難する。綿津見先輩は靴が濡れるのもお構いなしに小さな森に両足を突っ込んでいる。

 わたしが、何かわかったんですか、と質問しようと口を開けようとしたとき、先輩はわたしを遮るように、すっと人差し指を伸ばした。

「これは簡単な一件だ。全部わかったし、今から説明するよ」

 頷く。綿津見先輩の頭の中では、既に推理が組み立てられているのだろう。

「今、委員会室にあるあの水田高校男子生徒用制服のズボンの持ち主の正体は、どうしてあのズボンを脱いで、さらにここに落としていったのか。まあ、普通だったら脱がないし、落とさないよ」

「だけど、今回は普通じゃないですよ。落ちていたんですから」

「そうだ。だとしたら、持ち主はどんな普通ではない行動をしたのか」

 先輩はここで切り、蒼空のほうを向く。

「豊多くん。普通じゃない行動で、ズボンを落としてしまう方法。わかるかい? どちらかと言うと、僕より君たち二人のほうが真相を解くのに近かったんだ。少し思い出して、ほんの少し考えたらわかるはずだよ。――これは難しい事じゃない」

 問われて、蒼空は少し黙る。目は右上、左上を行ったりきたり。これが蒼空の思考の仕方なのらしいが、やがて、諦めの言葉を口にした。

「……わからない。まず、普通ではない行動が……、わかりません」

「そうかい」

 次に、先輩はわたしを見た。

「じゃあ、玉依くんは?」

 今度はわたしに質問してくる。蒼空が聞かれたとき、わたしも少しは考えていたのだが、何も思いつかなかった。今度こそと、もう一度考えてみるが、やっぱり駄目だった。蒼空の言う通り、普通ではない行動というのがわからない。わたしは先輩にわからないという意思表示で首を横に振った。

「そうか。玉依くんでもわからないか。じゃあヒントだ。あのズボンの持ち主の正体は、君たち二人も知っている、君たちのクラスメートだよ」

 クラスメートが落とした? あのズボンを?

 クラスの誰だろうか。

「…………」

 わたしたちが唸っているのを見て、答えが出ないと悟ったらしく、綿津見先輩はさらにヒントを出した。

「君たちのクラスメートは、どうやって、それを落としてしまったのだろう?」

「どうやって……?」

 わたしは集中して考える。もう少しで分かりそうな気がする。

 考えを整理する。

 この場所に――ズボンを――落とす――いや、そうではなくて、落としてしまう?

「……ああ」

 わたしは思わず上を見る。斜め上、校舎の壁にはたくさんの窓が並ぶ。わたしが見上げたのは、その中にあるわたしたちの教室の窓。

「彼は、教室の窓からズボンを落としてしまったんですね」

 先輩は満足そうに頷く。

「うん。そうだ。犯人という言い方は間違っているけど、正解だね」

 わかったときはやっぱり嬉しい。思わず拳を握って「やった!」と喜びの声が出てしまった。

「え……、え……、綿津見先輩、葵さん、一体どういうことですか?」

 わからないらしい蒼空はわたしと綿津見先輩を交互に見て言う。

 わたしが説明する。たまには教えられるだけでなく、わたしも人に教えたりしたいのだ。

「今日の五限目の体育、わたしたちのクラスに、馬鹿がいたでしょ」

 蒼空は首を傾げる。

「馬鹿……? もしかして、見学していた男子のこと……?」

「そう。そいつのこと。体操服を忘れて体育を見学していたくせに、雨が降り出した途端、アホみたいな台詞をはいて自分から雨に飛び出していった馬鹿。でもすぐに先生に連れ戻された奴」

 馬鹿馬鹿言うのはよくないよ、と先輩が横から言ってくるが、実際に馬鹿なのだから仕方ない。

「そんなことをしたのだから、制服は濡れるに決まっている。でも、体育は五限目。授業は六限目まである。濡れた服で授業で受けるのは気持ち悪くて忍びない。運良く、外を見るとさっきまでの雨はすっかり止んでいた。降雨があったことなんて最初からなかったかのように太陽が照っていた。ここで彼はこう考えた」

 わたしは間を置く。

 たまには勿体ぶりたい。まあ、既に蒼空はわかっていると思うけど。

「『どうせなら窓際で干してまえ。誰かに体操服を借りれば脱いでも大丈夫だ』と」

 綿津見先輩が口を開く。

「二人が言っていた複数の、どうせ六限目で終わりなのだから面倒くさいし着替えなくていい、と思って体操服のまま授業を受けた生徒たち。だけどその全員が全員、そう思って体操服のままだったわけではない。その中には、体育を見学し、自ら雨にかかって濡れた制服を干し、他の生徒から体操服を借りた生徒が混じっていたんだ」

 ここでずっと聞く側に回っていた蒼空が口を開いた。

「……だけど、干していたとき、何かの拍子でズボンが下に落下してしまったんですよね……」

「そう。まさか洗濯バサミなんか持ってきてないだろうからね。あとはタイミング悪く、豊多くんと玉依くんが落ちているズボンを本人より早くに見つけてしまったんだ」

 ここでふと、ひっかかることが。本当にいくらでも説明がつく疑問だけど。

「……あれ。だとしたら……、どうして彼はズボンを探していないんですか? もしかして他人の体操服で下校して、制服は一夜干しておこうと思ったんですか?」

「探しただろう、もちろん。真っ先にここにね。だけど、その生徒は、さらに不幸なことに君たちと入れ違ってしまったんだ」

「入れ違った?」

「君たちがズボンを拾ったあと、その生徒は、ズボンが干していた場所にないと気づいた。下に落ちたのかと思ったがない。そこで彼は思った。もしかしたら誰かがズボンを拾ったんじゃないかと。もし拾った人に良心があるのなら、学校側に届けているはずだ。最初から彼が遺失物管理委員会のことを知っていたのかは知らないけれど、彼は玉依くんたちが来る前に遺失物管理委員会に来てしまった」

「え、来たんですか? 知っていたんですか?」

 答えを知っていたのなら、最初から説明してくれたらよかったのに! 時間を無駄にした!

 しかし先輩は首を横に振った。

「いや、知らなかった。来たのは来たんだよ。体操服の男子生徒。だけど、『二年の塩土といいますけど、さっき落し物届きませんでした?』って訊いてきて、『いいや』と答えたら、そのまま僕が止めるまえに走ってどこかに行ってしまったんだ」

 塩土というのは雨にうたれたまさにその馬鹿の名前だ。

「名乗った名前と体操服に刺繍された名前が一致してないからおかしいな、とは思っていたんだけど」 

「……そうだったんですか」

 これで話は終わった。

 宴もたけなわだけど、と先輩がパンパンと手を叩いた。彼にとったらこんな推理大会も宴会の一種なのかもしれない。

「じゃあ、今日はここまで。ぼくはまだ用があるから委員会室に戻るけれど、君たちはもう帰っていいよ」

 頭を下げ、わたしと蒼空は先輩と別れて歩き出す。


 彼は、廊下を早足で進む。そして誰ともすれ違うことなく、目的地である遺失物管理委員会室の前で止まった。彼はそのままドアに手をかける。ドアは何の抵抗もなく開いた。やっぱり鍵はかかっていないらしい。そして中に入り、ドアを閉める。委員会室の中央にある机の横を進み、オトシモノがたくさん保管してある棚の前で止まる。そして彼は一言、

「……よし」

 と呟いた。

 彼は彼のお目当てであるタバコの箱を手に取った。おそらく彼は口元に笑みを浮かべただろう。そしてそれを自らのズボンのポケットに押し込んだ。彼の目的はこれで果たされたはずだ。今、この場をおさえることができれば、――さすがの綿津見先輩でも、言い逃れをすることはできないはず。


 ……と。わたしは確信した。

「普段から意味のない行動をしない先輩。そのはずなのに、少しわからないことがあった」

 ドアを大きく開いて、わたしは出し抜けにそう言った。綿津見先輩がこちらを振り向く。先輩の口元はかすかに笑みが浮かんでいる。その口が小さく動く。

「なんだい。それは?」

 先輩はわたしと、わたしの後ろにいる蒼空を見据える。いくら余裕を見せようと、今、分があるのはわたしたちの方で間違いない。わたしはつばを飲みこみ、冷静に先輩の質問に答える。

「さっきですよ。先輩がわたしたちを現場、そのズボンが落ちていた憩いの広場に連れていかせたことです」

「意味がある行動じゃなかったのかい? 本当に?」

「さもありなんのように見せかけただけです。初めは推理をわかりやすく説明するためだと思いましたが、そこまで難しい話ではなかったです。わざわざ足を運ばなくても、委員会室でできたはず」

 先輩はまだ笑みを浮かべている。

「もしかしたら僕はまだ、ここにいた時点では事件の真相がわからなかったのかもしれないよ。あるいはここにいた時点ではまだ確証がなかったのかもしれない」

「それもないはずです。だって先輩、ここを出る前に、全部わかった、と言ってましたよ。それでも、というのなら、言ってください。あの場所で確証を得たこととはなんなんですか?」

「それは……」

 わたしは珍しく口ごもる綿津見先輩を容赦しなかった。

「先輩があの場所へわたしたちを連れて行った理由はただ一つ。――わたしたちを委員会室から遠ざけるためでしょう? ここの戸締りをするまで、わたしたちがいたのなら、その新品同然のタバコの箱を回収できませんから」

 先輩は口元の笑みをさらに強くする。

「うーん。微妙な推理だね」

 これは、もう何を言っても駄目だ。わたしは曲げようもない真実を示す。

「まあ、なんにしても、です。ここに来て真っ先にその棚へ寄り、タバコをポケットを入れたのが何よりの証拠ですよ、綿津見先輩」

 綿津見先輩はやがて、諦めたように両手を上に挙げた。

「そうだね。もうこれはごまかしようがない。……そうだ。このタバコは僕が落としたんだよ。どんな値段でも、新品を失くすのはおしいし。回収できるのだったらしたいからね」

 そして両手を下げ、ずっと黙って立っていてくれた蒼空とわたしに訊く。

「この高校の規則は厳しいよ。教職員がタバコを学校に持ってきていたとしてもアウトってのは真実だ。タバコというより、ライターかな? 前にちょっとした不祥事を起こした先生がいてね。誰かは言わないけれど。それに激怒した学校側がライターを禁止にした。おまけにタバコもね。……さあ、君たちはどうするのかい? 僕がタバコを持ってきていたと言うのかい?」

「…………」

 沈黙。

 後ろから蒼空がどうするの、と訊いてくる。蒼空はわたしにどうするのか任せてくれるみたいだ。それなら。

 わたしは笑った。

「……なんて。別にいいですよ。今回が一回目ですし、許してあげます。執行猶予です」

 先輩は拍子抜けしたような顔をした。

「本当にそれでいいのかい? なんなら条件を提示してもいいんだよ。感謝もしないからね」

「感謝はしてくださいよ」

「礼を言うよ」

 ……本当に素直じゃないなあ。

 それでも満足した。わたしは先輩が普段人を馬鹿にするような感じで言った。

「まあ、人は見かけによらない、ってことですね」

 先輩は咄嗟に口を開く。

「玉依くんの男装ズボンのようにね」

「…………」

 口が減らない。

「それじゃあ、目こぼししてもらったことだし――」

 と言って、綿津見先輩は手に持ったタバコの箱から一本取り出して、口に持っていく――

「ちょ、ちょっと! 言ってるそばから反省してない!」

 ぎりぎりのところで先輩がタバコをくわえるのを静止させた。いつも反応が薄い蒼空でさえ、動いていた。先輩は人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべた表情だ。

「何?」

「何じゃないです、何しようとしているんですか!」

「ははは。いや、これタバコじゃないんだよね」

「は?」

 そう言って先輩はわたしにそれを下から投げてきた。それは綺麗な放物線を描いてわたしの手へ――届かずに、最高高度から急激に低下していく。床スレスレでわたしがキャッチした。それをよく見ると、確かにタバコではなかった。蒼空が覗き込んでくる。

「……何なの、それ」

「チーズだよ」

「チーズ……ですか」

 よく見ると少し黄色い。遠目に見ればわからないけど。匂いを嗅ぐと、確かにチーズっぽいかもしれない。だけど、

「なんか臭いですね、これ。嗅いだことのない匂い……」

「元々そんな匂いだ。そういう種類のチーズだ」

 そんなものなんだろうか。

「どうしたの、そんなじろじろ見て。食べたいのかい? それなら別に食べても構わないよ、まだまだあるし」

「え、いいんですか。食べても」

 それならありがたく遠慮なんかしませんよ後から返せ言っても知りませんよ。……でもまだ匂いは気になるんだけど。

 しかし、匂いは悪くてもおいしいかもしれない。ドリアンみたいに。納豆みたいに。……わたしは納豆が嫌いだった。ドリアンも食べたことなかった。

「では、いただきます」

「本当に食べるのかい?」

 口に入れる前に先輩が確認してきた。

「どうしてですか。とてつもなくまずいかったりするんですか?」

「いや、そんなことはないんだけどね。珍味といえば珍味だし。おそらく日本人の十分の一も食べたことがないんじゃないかな。……でもいちおう忠告はしたからね」

 珍味ならば、多少まずくても食べてみたい。日本人の一割も食べたことがないというのならなおさらだ。それに、忠告されればされるほど、それを破ってみたくなるのも好奇心。

 わたしはスティック状のチーズを口に入れ、噛みちぎる。さすがに長いで一度に食べることはできない。

 味は…………どうだろう、確かにチーズっぽい味かもしれないけど、ほぼ無味。臭みばっかり。

 なぜか先輩がおそるおそるというように聞いてくる。

「どうだい。大丈夫かい?」

「……吐いたほうがいいんじゃない、葵さん」

 蒼空まで心配しているようだ。なぜだろう。

「らしくないですよ、先輩。先輩だったら、例え激辛タバスコ入りであってもそんな心配しないでしょう」

 しかし、わたしの悪口を受けても先輩にしては珍しく、言い返してこなかった。代わりに、たっぷり間を置いたあと、わたしと目を合わせないようにして頭をかきながら、すごく言いにくそうにして言った。

「……その、あれだ。いやしくも女の子なのにね、玉依くん。男子ならまだしも」

 珍しく口ごもる先輩に明るく言う。

「どうしたんですか。先輩ってあれですか、普段気さくに喋るのに、いざプロポーズになって『結婚しよう』というところを、『け……、け……』と言い淀んだ末に『け……、ケーキバイキングとか行かないかい?』とか言ってごまかしちゃう人ですか」

「……そうか、それならいいね。本当のこと言うよ。それ、猫用のおやつなんだ」

「あ、そうなんですか」

 ゴクリと飲み込んだ。

 蒼空も、胸を下ろしたように言う。

「あ、そこまで気にしないの? ……よかった、わたしも言おうか迷ってたんだけど、思い切りが足りなくて」

 ……あ、どうやら今、やっと脳に先程の言葉が伝達されたようだ。

 なるほど。

 つまり。

「…………」

 わたしは無意識のうちに息を吸い込んでいた。そして、肺一杯に空気がたまったところで止める。もう口には何もない。飲み込んでしまったのだから。

「……気に」

「きに?」

 先輩と目が合う。先輩はわたしがどうするかわかっているみたいだ。そして――このあと。前回以上に大きな怒声が校舎の隅から隅まで響きわたった。

「気にィィィッッ、しないわけェェェないでしょォォッッッ!」

ありがとうございました。

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