ズボン。(前)
前編。
少しずつ気温が上がり、服がじめっとしてきて、季節の移り変わりを実感し始めた五月中旬のある日。スルメイカの一件からちょうど一週間が経っていた。
今わたしは、学校側に必要ないと思われるほど地味な活動を主にしている遺失物管理委員会の仕事の途中だった。
「……誰なんだろう、こんなところにタバコなんて捨てたのは」
タバコの吸殻などではなく、新品同然のタバコの『箱』である。それをひょいっと拾い上げる。少し濡れているが、重さで中身が詰まっているのが分かる。お父さんはタバコをわたしの目に入るところに放っていたりはしないので、もしかすると新品のを触ったのは生まれて初めてかもしれない。
わたしの横で、豊多蒼空が答える。
「不良さんだと、思う……。わたしは」
「不良に『さん』付けしている人を初めて見た」
ともかく学校内では、タバコといえば、不良。不良といえばタバコというのは当然の見方で、理にかなっている。しかし、わたしはそんな彼女に反論してみる。
「でもねえ。この学校にはモヒカンなんていないよ。ヨーヨー持ったスケバンもいないし」
蒼空が、葵さんって不良さんのイメージが狭いんだね、と呟いた。冗談なんだけれども。蒼空は真に受けたのだろうか。
スルメイカのあの一件のあと、わたしと豊多蒼空の仲は、互いを下の名前で呼び合うほどに急接近したのだった。本当のことを言うと、わたしが無理やり呼ばせた。嫌そうではないので、良しとしよう。
「うーん。ドジな不良だね。吸殻ではなく、新品のタバコを箱ごとまるまる一つ落とすなんて」
フィルムは剥がされているけれど、使われた形跡はない……と思う。
周りを見回してみる。視界に入ってくるのは、校舎の薄汚れた茶色い壁に、車が停めてある駐車場。今も複数の生徒が出ていく校門。乗り越えれば校外に出ることが出来る柵。放課後だが、健全な生徒諸君の姿がちらほら見えるだけで、モヒカンなど一人もいない。ましてやヨーヨーを持った女子生徒なんているはずもない。
「……でも、多分、先生の誰かの物なんだと思う」
「あ、やっぱり?」
「……うん」
この一週間、会話してわかったことだが、蒼空の、ワンテンポ遅れてから喋る口調は、誰に対しても変わらないらしい。そしてやっぱり蒼空がそんなことは全くないのに、申し訳なさそうに上目遣いでわたしを見てくる。
「……やっぱり、遺失物管理委員会が預かるべきだと思う」
わたしは頷いた。
「やっぱりそうだよね。学校に少しでも貢献しなければならないし。このままここに置いておくのもねえ」
先日、わたしの所属する『校内のオトシモノを保管する委員会』、フルネームを遺失物管理委員会が、余命一ヶ月と宣告された。余命一ヶ月の委員会である。
助かる方法はただ一つ、潰れる前に、学校にそれ相応の活躍を見せること。学校に役に立つと証明すること。まだ廃止回避の作戦はない。ウチの最高責任者である綿津見先輩はあくまで冷静で、今のところはいい案が浮かぶまで、普段通りに活動することになった。
ふと、わたしの頭のなかで、早速名案が生まれる。手をぽんっと叩く。
「そうだっ。このタバコを使って、犯人をでっち上げるっていうのはどう? 犯人を捕まえれば、学校に貢献できるから」
「……自作自演っていうこと?」
「そう!」
わたしと違い、蒼空は乗り気じゃなさそうだ。
「……誰が犯人役を引き受けるの? ……この高校、校則が厳しいから、犯人役はただで済まないと思うんだけど。……噂では、先生がタバコを持ってくるだけでアウトらしいし……」
「あ、知ってる、その噂」
「……それとも、葵さんがする?」
「わたしの青春と引き換えか……」
ちょっと代償が大きすぎる。やっぱり地道に活動していくしかないのかなあ。
「よし、それじゃあ、行こうか。委員会室」
帰宅時間が遅くなるのだけど、嫌だとは微塵にも思わせず、蒼空が頷く。
「うん。綿津見先輩もいると思うし……」
どうやら蒼空も先輩のことを綿津見先輩と呼ぶことにしたらしい。ちなみにわたしの場合は敬意を込めて『先輩』をつけている。
続けて蒼空は、思い出したように、
「あ、……でもその前に行くところがあったんだと思うけど」
わたしもつられて思い出す。タバコを拾おうとしてここに来たのではなかった。
「そうだった、そうだった。じゃあ、そこ行ってから委員会室に行こう。多分まだあると思うし。アレ」
そう、この学校ではありふれているアレのことだ。
目的地は学内で『憩いの広場』と呼ばれている場所。Eの字をした校舎に三辺を囲まれた中庭である。
続きます。