魔女1
あの人間のどこにそんなに惹かれたのだろう。
ふとそんなことを思った。
本当のことを言うとまだ妹を亡くしたという実感がない。どこかふわふわとした気持ちでいる。
この妹に渡したはずのナイフが手元にあるということは、妹が王子を刺せなかったことを示しているのは分かる。
でも、それだけだ。
ただ手元にナイフがあるというだけで、泡になる瞬間をこの目で見たわけではないのだ。
最初の内はいつものように陸の世界を見に行っているのだと思った。
姿が見えないときは海の上へ行けば、陸を見つめている姿を見つけることが出来たから。
やがて日が暮れる頃になってまで誰一人として姿を見かけていないというのに最初に気付いたのは誰だったか。
父の通達が下り捜索隊が組まれたが、ただ時間だけが過ぎていく。
私たち姉妹もじっとなんかしていられなかった。妹がいそうなところは余さず何度も見て回った。かなり陸に近いところだって行った。
それでも見つからなかったのだ。
「魔女に聞きましょう」
何番目の姉か覚えてないけれど、落ち着いた声色だったから多分、一番目の姉だったんだと思う。
みんなすぐに賛同した。魔女の噂はみんな知っていたけれど、妹が見つかるのならその内容は少しも気にならなかった。
あのまま無作為に探し回っても焦燥感が募るだけだっただろう。藁にも縋る気持ちであの薄気味悪いポリプの森を抜けたのだ。
はたして魔女は知っていた。
声と引き換えに人間と同じ身体一つで陸へあがっていったと、ニタニタと隙間の目立つ黄色い歯を覗かせてそう告げられた。
妹がどんなに陸を好きでそこに暮らす人間を好いていたとしても、それはただ見ていて飽きないぐらいの気持ちであって、この心地よい海の暮らしを捨てるだなんて私たちは誰一人として思いもしなかったのだ。
分かりました。教えてくださったことを感謝します。一番目の姉がそう言ったことでようやく我に返る。
それは他の姉たちも同じだったようで皆で顔を見合わせる。そしてまだ動揺を隠し切れないままに、促されるようにして帰ってきたのだ。
その後は姉さまたちがあちこちに話をつけたようで、慌しい気配はいつの間にか収まっていた。
私は何もしなかった。何をすればいいのか分からなかったのだ。
それから何日か経ったころ、皆で妹の様子を見に行った。
妹は幸福そうに微笑んでいた。
それから毎日妹の様子を見に行くことにした。
妹の方も海辺の方へ来てくれて、私たちに姿を見せるようにしてくれた。
幸福そうに微笑む姿を見て私たちは少しだけ安堵する。
そして海の底へ戻るけれど、すぐにまた陸で暮らす妹が心配になり日が沈むのと同時に会いにいく。
その繰り返しに終止符を打たれたのも間もなくだった。
ある晩、妹は姿を見せなかった。
不安に押し潰されそうな気持ちで迎えた翌日、妹は姿を見せて微笑んでくれたけれど、見ている私たちが悲しくなるような微笑みだった。
それで分かってしまった。
陸を選んだ妹が悲しかった。
陸に住む人間が恨めしかった。
陸へあがることの出来ない自分がもどかしかった。
そしてまた私たちは魔女の元へと行った。
妹を助ける交換条件として髪の毛を渡したけれど、それで妹が帰ってきてくれるなら何でもなかった。
そして今、ここに妹はいない。
髪の毛を短くした私たちは好奇の視線に晒されることになった。
お母様には不作法だと言われ、おばあ様にも何てことを、と嘆かれた。
そして絶えず誰かに見られている気配に耐えられず、そっと城を抜け出したのだ。
妹のことを考えながらも視線を避けるようにしてたどり着いたのは魔女の家の近くだった。
確かにここには誰かが来ることはない。妹のことがなければ私もここに来ることはなかっただろう。
そして私はそのまま誘われるようにして森の奥へと進んでいった。