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腹ペコ魔女の香水店  作者: 風見鶏
1st notes 「香りを消す香り」

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8「その香りの効能」



「ずいぶんと時間がかかりましたね。倒れているのかと思って様子をお伺いしにいくところでした」

「お待たせしてすみませんでした」


 ルシアン様の言葉が遠回しの非難であることは、私にだって分かった。

 貴族様を椅子もないような場所でお待たせしたのだから、それも当然で、私は素直に頭を下げる。


「ここで待つことを選んだのは俺たちだ。それで、香水はできたのか?」


 アシュレイ様の声音には疑念と諦めが混ざっていて、それは私の香水に対して全く期待をしていないことの現れで。

 私は小瓶に移し替えた香水をカウンターに置いて、その返事とした。


「どうぞ、お試しください」

「言葉が少ないな。望むものができなかったときの職人とはそういうものか?」


 私はただ、微笑みを返したけれど、それはずいぶんと困った顔をしていたのかもしれない。アシュレイ様はかえって私を気遣うような表情となって、無言で香水瓶を手に取った。


 ただ、私は私自身でも何を言うべきかに悩んでいて、つまるところ職人というのは言葉の扱いに慣れていないからこそ、自分が作り出した物に託したものから読み取ってもらうことしかできないのだ。


 アシュレイ様は小瓶を疑わしげに確かめた後で、その栓を抜いた。

 そして鼻を寄せて。


「––––これは水だろう」


 と、眉を顰めた。

 横に立っていたルシアン様が鋭く私を睨め付けた。ぐ、と身を乗り出したルシアン様が言葉をつぐ前に、私は繰り返した。


「どうか、お試しください」

「……君がそこまで言うならそうしよう」


 アシュレイ様が小瓶の栓を抜き、ハンカチに香水を染み込ませた。

 それを鼻に当てて香りを確かめながら、耳の後ろや首元にさっと塗る。


「さあ、これでいいのか? 君の言っていた香りを消す香りと、やら、は––––」


 アシュレイ様の言葉が途切れ途切れになって、その瞳が呆然としたように焦点を失った。


「どうなさいました」


 慌てたようにルシアン様が駆け寄る。肩に伸ばした手がかかる直前に、アシュレイ様が顔を向けた。


「––––ルシアン。これは夢か? 現実か?」

「何を仰いますか。現実です」


 ルシアン様が私に鋭い目を向けて語気を荒くする。


「店主、貴様、いったいなにをした」


 その言葉に、私は返すべき言葉がなかった。

 どう説明すべきかわからなかったのだ。

 黙り込んでしまうことになった私に、ルシアン様が詰め寄ろうとして。


「やめろ、ルシアン」


 と、人を従わせるための言葉を使い慣れた、不思議な力の籠る言葉が響く。ルシアン様が振り返り、私もまた、アシュレイ様を見返した。


 アシュレイ様はきょろきょろと店内を見回していた。まるで新しい冒険を始める少年みたいに、瞳ばかりが好奇心に輝いていた。


 棚に寄ると、そこに並んでいる香水瓶を手に取り、鼻を寄せる。

 次は包装された石鹸を。小さな丸缶の練り香水を。


 次から次へと鼻を寄せては戻す。それは一種の奇行でしかなく、ルシアン様が戸惑ったように声をかけるが、アシュレイ様は返事をしない。


 片っ端から棚の香りものを試しながら移動してきたアシュレイ様が、私の前に立った。そして、カウンター越しに急に私の腕をとり、手首に鼻を寄せた。


「ひゃ––––ッ!?」

「そうか、君は薔薇の香りだったのか」


 アシュレイ様は微笑みを浮かべていた。

 先ほどまで鋭く張り詰めていた瞳はどこか柔らかく、私を見るようでいて、その瞳はぼうっと焦点を曖昧にしている。


「アシュレイ様! お気を確かにッ」

「大丈夫だルシアン。気は確かだ」

「気が確かなアシュレイ様は気安く女性の手など取りません!」

「––––これは失礼した。すまない」


 アシュレイ様が私の手を離し、頭を下げた。

 私としてはもう驚くばかりで、「はい……」とただ呆然と頷くしかない。


「ルシアン。香りが分かるんだ」

「……はい?」

「あれほどに苦痛だった騒ぎ立てる香りが、みな声を潜めている。今こうしていても、俺にはまるで香りが分からない。しかし鼻を寄せれば……そうだ、まるで声を聞こうと耳を澄ますようにすれば、その香りが分かる。薔薇の香りが芳しいのだと、皆がそう言っていた意味が、俺にはいまようやく分かったんだ」


 はは、とアシュレイ様が笑う。

 視線を下げ、小さく首を何度も横に振る。


 職人でなくても、貴族様のように豊富な言葉と知識を得ていても、時に自らの感情に形を与えることができない時がある。今までどれほどの深い苦しみがあったのか、私には想像できないけれど。


「––––君は、まるで魔女のようだ。どれほどの言葉を並べれば今の俺の心を伝えられるのか分からない」


 かすかに潤んだ瞳とともに贈られた言葉以上に、私を喜ばせるものはなかった。

 ああ、私の香水が––––私の魔法が、誰かの人生を豊かにする助けができたのかもしれない。そう実感したこの気持ちこそが、何よりの報酬だった。




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