13「価値のある仕事」
私が片付けをしている間、工房に集まった人々は誰も何も言わなかった。互いに顔を見合わせたり、工房の中を見渡したりして、自分がいま経験したものをどう解釈すべきか悩んでいるように見える。
その中でただドミニクさんだけが、私の横に立ち、炉の奥をぼうっと眺めていた。
「奇妙なもんだな」
ドミニクさんが呟いた。
「同じモンのはずなのに、今朝と違って見える。精気の抜けた、まるで他所の家の炉だ。本当に帰っちまったんだな、精霊ってやつは」
「……はい。無事にお帰りになったと思います」
「あんたも見えたのか、アレが––––いや、なんでもねえ。俺も歳を食ったな。親父を笑えねえ」
「親父、ですか?」
工房を眺めるが、ドミニクさんより歳上の人は見当たらない。
探す素振りの私に、ドミニクさんはかぶりを振った。
「とっくに死んじまったさ。あんたの婆さんを呼んだのは俺の親父だった。よく言ってたよ。炉には精霊が宿る、その精霊が鉄に祝福をくれる、まじめに鉄を鍛えてりゃ、いつかその姿がお前にも見える日が来るってな。親父の信仰心ってやつだろうと思ってたが……まいったな」
ドミニクさんは腕を組み、ぶすっとした顔で鼻息をついた。
「もっと良い仕事をしてりゃあよかった」
「おいおい、まさか引退は取り消すなんて言い出さねえだろうな?」
ガリオさんが歩み寄って、顰めっ面でドミニクさんに言う。
「馬鹿野郎。一度決めたんだ、誰が取り下げるかよ。それとこれは別の話だ」
「……親父の仕事はすげえよ。精霊様だって認めてるさ」
「あん? お前、精霊なんぞ信じねえって言ってなかったか?」
ドミニクさんに揶揄うように言われても、ガリオさんは反論しなかった。下唇を突き出すようにして引き結び、腕を組んで黙っている。
私は邪魔をしないように身を小さくしていたのだが、視線がじろっと向けられた。
「––––あんたには、礼儀のないことを言った。撤回する。あんたの仕事は、たしかに必要だったんだろう。俺には精霊の姿なんぞ高尚なもんは見えなかったが、そういう気配は、分かった。火を落とした炉に閉じ込めっぱなしで良い存在じゃねえ」
ガリオさんは腕を解くと、大きな身体を折るようにして頭を下げた。
「非礼を詫びる……人間ってのは、こうやって頭を下げるのが文化なんだろう?」
言って、頭を上げて、ガリオさんは手を差し出した。
「あんたのおかげで、親父にも区切りがついた。礼を言う」
「あ、ありがとうございます。恐縮です」
私はおずおずと手を握り返した。
大きくて、ゴツゴツした手だった。
「馬鹿野郎。俺より先に握手するやつがいるか」
「痛えっ」
ドミニクさんがガリオさんの脇腹をこづき、押し退けた。
それから同じように手を差し出される。
「今日は世話になった。お前さんがいてくれてよかったよ。自分の仕事のケリを孫がつけてくれたんだ。あんたの婆さんも幸せもんだ」
「……そうだと、嬉しいんですけど」
祖母を知る人にそう言ってもらえたことが、私にとっては何よりの報酬だった。胸の奥がぐっと暖かくなる。
手を握り返す。ガリオさんよりもさらに硬くて、厚みがあって、私の人生よりも長く金槌を握って働いてきた、職人の手だった。
祖母がどんな願いを託したのかは分からないけれど、魔女や”精香”に精霊を縛り付けるほどの力はない。あくまでも招き入れるだけ。
それでも今日この日まで精霊が宿っていたのは、ドミニクさんの誠実で実直な毎日があったからだと思う。
「––––あの、ひとつお訊きしたいのですが」
「あん?」
私はずっと気がかりだったことを切り出した。
あの夕暮れの中で、店に訪ねてきてくれた老婦人のことだ。
祖母が残した”処方箋”の手がかりをくれた人。その特徴を説明するほどに、ドミニクさんとガリオさんの顔ぶりが怪訝になっていった。
ガリオさんが片眉を上げた。
「……そいつは母ちゃんだ。あんた、うちの母ちゃんと会ったことがあんのか?」
「い、いえ、あの、街でお見かけしたことがあって」
私はつい、誤魔化すように答えた。
ドミニクさんは頷き、不意に懐かしい思い出が蘇ったというように、優しげな眼差しを見せた。
「あっちに行っちまって、もう三年になる。俺がいつまでも無理して仕事をしてるのを心配してたからな。あいつもようやく安心してるだろう」
「遅すぎるって怒ってるさ、母ちゃんなら」
「ちげえねえ」
ドミニクさんとガリオさんはふたりで顔を見合わせて笑った。
緊張の抜けた朗らかな雰囲気だった。親族の方たちがその笑い声に集まってきて、笑顔と言葉を交わしている。その空間が、どこか居心地がいい。
邪魔をしないようにそっと後ろに下がる。と。
「––––良い仕事をしたな」
「あ、ありがとうございます、アシュレイさま。ご満足いただけたならよかったのですけど」
振り返ると、アシュレイさまとルシアンさまが迎えてくれた。
「ドワーフは仕事や取引に満足すると、相手に握手を求める文化がある。あの二人と握手を交わしたんだ。きみの仕事はそれだけの価値があった、ということだろう」
「はあ」
「……なんだ、その顔は」
「いえ、よくご存知なんですね。すごいなあと思って」
私としては素直に思ったことを伝えただけなのに、アシュレイさまはなんでか居心地の悪いような、感情が噛み合わないような、なんとも言えない複雑な顔をしている。ルシアンさまが口元を押さえて笑いを堪えていた。
それから、私たちは帰り支度をして、ドミニクさんから礼金をいただいた。
最初に提示した額––––”スパイクナードの精油”についても説明していて、今回使用した分だけを金額に織り込んでも、相当な金額だったけれど––––それよりも多くをもらってしまった。
あんたの仕事への正当な金額だ、と言われては、私も固辞するわけにもいかず、ありがたく受け取らせてもらった。
工房を出ての帰り道、ふと背後を振り向く。
見送ってくれているドミニクさんたちの中に、あの老婦人の姿はない。
あれが本当にドミニクさんの奥さんだったのか、あるいは精霊の見せた幻覚だったのか、それとも私の夢でしかなかったのかは、分からない。
けれどそのおかげでこの儀式を無事に執り行えたのだ。自分だけの力では決して成し得なかったと思う。
私はドミニクさんたちにしっかりと頭を下げた。仕事をした以上に、多くの経験と、学びをもらった気がした。




