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魔女の調香辞典 -駆け出し調香師コレットの日月-  作者: 風見鶏
4th notes 「追憶へ捧げる香り」

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11「魔法でできないことができる人」



 場の気配が落ち着くのに合わせて、アシュレイさまが身を引いて私の後ろに下がってくる。


「あの、アシュレイさま、ありがとうございます。助かりました」

「ドワーフは実直な種族だ。思ったことを言葉にするだけで、悪意はない。きみもあまり気にしないでいい。堂々と言い返してやるといい」

「それは、はい……考えておきます」


 先ほどのアシュレイさまの様子を思い返すけれど、私が同じように啖呵を切る姿は、ちっとも想像できなかった。


「うちのが悪かったな。どうも気が短くていけねえ。口出しが過ぎるようなら俺が殴って止める。あんたは気にせずやってくれ」

「……あの、私は気にしないので、お手柔らかにお願いします」


 殴って止めるというのは冗談だろうか、と考えて、アシュレイさまの先ほどの言葉を聞くに、たぶん本当にそう思っているんだろうな。できれば穏便にお願いしたいのだけれど。


 工房の中に沈黙が間延びした。誰もが言葉を発さず、何かを待つような気配。それは誰が主導権を取ってこの場を仕切るかを見守るようであった。

 人ばかりは多くいるのに言葉はまるでない。ちょっとばかし気まずくなってきたとき、私の後ろでアシュレイさまが小さく咳払いをした。


「––––あっ。そ、それでは、準備をさせていただきますっ! 少々お待ちください!」


 場慣れというのはこうした場面でつつがなさを発揮できるかどうかだろう。大人数を取り仕切るということにまったく不慣れなせいで、声まで裏返ってしまった。


 ガリオさんの不満げな唸り声に背中を叩かれながら、私は急いで鍛冶場の奥の炉に向かった。

 火返しの儀のフォーミュラは見つかっても、その段取りについてのメモ書きは残されていなかった。私が今から行うのはフムルから教えてもらった段取りで、それが祖母の行ったものとどう違うのかは、私には分かりようがない。


 だから、これから行うのは”私の”儀式になる。フムルが言うのだから形式は正しいはずだけれど、それがうまくいく保証はどこにもない。


 この場にいる人の視線が背中に集まっているのを感じる。

 心臓がバクバクと鼓動を大きくし始めていた。


 失敗したらどうしよう。

 何も起きず、ドミニクさんの期待に応えられなかったらどうしよう。

 そもそも”火返しの儀”で、何かは起きるものなのだろうか?

 それすらも分からない。


 鍛冶屋というものに入ったのは初めてだったけれど、炉の形は一目でそうと分かるもので、小ぶりの暖炉に近しい。ただ、暖炉は床から大きく開いているけれど、炉は腰くらいの高さにあって、入り口は小さく絞られている。


 その暖炉から手前に四角形に台座が迫り出していて、そこに燃える炭や細工する鉄を引っ張り出すのだろう。丁寧に手入れをされていても、使い込まれた痕が無数に重なっている。


 私は炉に一礼をする。

 それから鞄から香炉を取り出して、台座の部分に据えた。


 包んでいた布をほどき、蓋をあける。いつもフムルが転がっているけれど、今日は空っぽで、中には灰だけが詰まっている。

 祖母から引き継いだこの香炉は、そもそもそうした儀式のために用いるためのものだったらしい。フムルが言うにはこの中の灰こそが重要らしく、精霊に香りを届けるための特別なものだという。


 それから香炉の横に、パン、塩、ワインを置く。どれも一握り程度の小さなものだ。そして最後に、スパイクナードを加えて調合したばかりの”精香”の小瓶。


 準備は整った。

 あとは、儀式を執り行うだけだ。

 私は振り返り、この場に集まった人たちを見渡した。


「––––それでは、今から”火返しの儀”を執り行います」


 一礼して、炉に向き直る。

 私は香炉に手を伸ばして、ふと、自分の手が震えていることに気づいた。


 それを見てしまった瞬間、しまった、と自分で理解してしまう。

 緊張はもちろんしている。けれど、それ以上に恐れている。それを認めてしまった。

 胸で息が詰まって、心臓が迫り上がってくるみたいな錯覚。

 自分の呼吸が不規則になるのが、自分の耳にやけに他人事に聞こえている。


 祖母の仕事を、私が本当に引き継げるのだろうか?

 魔女として完璧だった祖母の仕事を、魔女としての教えを受けきれず、何もかもが中途半端な私が?


 この儀式のやり方はあっている?

 調香した香りは本当に正しい?


 精霊は私にそっぽを向くのではないか。私の祈りにも声にも耳を貸さず、何もかもが失敗してしまうかもしれない。

 だって私は、私には、そんな立派な力はない。


 ミレルさんのことが頭をよぎった。病に苦しむ人のために、私は何もできなかった。味覚も嗅覚も、戻すこともできない。魔法なんて、その程度の力しかない。私にできることは、何もない。


 知らぬ人たちの中で、私は私の無能さを知られてしまうことが怖い。

 お前は結局、何もできないのだと。それを自分で気づいてしまうことが怖い。


 できる、と信じたかった。

 私は祖母の血を継いで、一人前の魔女になれると思いたかった。


 今まで目を向けずに置き去りにしてきた現実が、ここでついに私を捕まえたみたいだった。

 手が動かない。息ができない。来るべきじゃなかった。自分の店に閉じこもっていればよかった。人生は変わらなくても、こんなに怖い思いはせずに済んだのに––––


「––––落ち着け。大丈夫だ」

「––––え?」


 隣にアシュレイさまの声がした。

 思わず振り仰げば、アシュレイさまが私を見返す。


「何を恐れているのかは知らないが、ここまで来たならやるしかないだろう。それとも、逃げ出すつもりなら手伝うが?」

「……に、逃げません」


 私は首を左右にぶんぶんと振った。

 アシュレイさまはにやりと、意地悪っぽく笑う。


「だろうな。いいか––––きみならできる。儀礼というのは慣れだ。最初はみな緊張する」

「その、儀礼が怖いのではなくて、私が、自分の力を信じられなくて、望む結果にならないことが怖くて」

「きみの力はもう証明されているだろう」


 どういうことだろう、と首を傾げる。


「俺がここにいる。鼻を覆わずに、堂々と街を歩けている。きみの仕事は間違いなく俺の人生を変えてくれた。他の誰にもできなかったことだ。きみが何をやろうとしているのかは俺には分からないが、必ずうまくいくと俺は分かっている」


 そしてぽん、と大きな手が私の背を叩いた。


「力を見せつけてやれ」


 手はすぐに背中を離れて、アシュレイさまが後ろに戻っていく。

 自分の手が震えていないことに気づく。

 呼吸ができる。心臓まで、落ち着いた鼓動を繰り返している。


「––––魔法、みたい」


 自分で呟く声に、自分でおかしくなってしまう。

 それが魔法でないことは、魔女である私がいちばん知っている。なのに、アシュレイさまは魔法でもどうにもできないことを、あっさりとやってしまった。


 すごい人だな、と思う。

 私は手を香炉に伸ばす。蓋をつかむ。


 もう大丈夫。

 私はできると自分に言い聞かせる。


 全身に魔力を巡らせ、私は香炉の蓋を開けた。


 


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