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魔女の調香辞典 -駆け出し調香師コレットの日月-  作者: 風見鶏
4th notes 「追憶へ捧げる香り」

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9「お忍び宅配便」



「––––よし。あとはスパイクナードの精油を加えるだけ。今回は魔力は込めなくていいんだよね?」


 訊ねると、フムルは香炉の中から顔を覗かせた。

 香炉の中に溜まった灰の上で転がるのが好きらしい。


「”精油”そのものに効能を宿すわけじゃねえからな。鍛冶場の火返しの儀だろ? 炉でそいつを燃やす時に祝詞と魔力を奉じればいいさ」

「……どうしよう。緊張してきた。私にできるかな」

「この四日間、ずっとそれじゃねえか。だから大丈夫だって。儀式の祝詞も嫌ってほど暗唱したろ」

「それはまあ、そうだけど。やったことないんだもん。そんな、神職みたいなこと」

「かーっ、古の精香師は立派に神職だってのに、これだから現代の若いやつは! 俺が教えなきゃ精霊へ呼びかける言葉のひとつも知りやしねえ」


 それに関してはフムルに言い返す言葉がなかった。

 精霊を迎えたり、お帰りいただく時に、どんな言葉を言うべきか、そもそも何か言わないといけないのかさえよく知らなかったのだから。


「で、肝心のナードの精油はちゃんと届くのか? 今日の夕方にやるなんて言っておいて、届かなかったですなんてことになっちゃ始末が悪いぜ」

「大丈夫ですぅ。ナリッサさんが昨日、手紙を送ってくれたんだから」


 あの日、食堂で出会ったメイドさん––––ナリッサさんに、アシュレイさまに手紙を届けてもらうようにお願いをした。

 ナリッサさんには「私用の取次は禁止されているから」と断られたけれど、「契約書を届けてほしい」と言うと、渋々ながら受け入れてくれた。


「……でもよかった。アシュレイさまにお許しをいただけて。でなきゃ、どうしようもなかっただろうし」

「だからって急いでやらなくてもいいだろうよ」

「段取りが決まったらすぐにやりたいの。いつまでもこの緊張感を引っ張るのは、私が体調を崩しちゃう」


 ここ数日間、ドミニクさんの依頼で頭がいっぱいだった。

 おばあちゃんの仕事の仕舞いを私がつけられるかという不安と緊張のせいで、ご飯が喉を通らないこともしばしばだった。


 アシュレイさまから連絡をもらってすぐ、私はドミニクさんに火返しの儀の日取りを打ち合わせに行った。アシュレイさまの連絡に変更がなければ、もうすぐスパイクナードの精油が届く。それを調合して、夕方にはドミニクさんの仕事場に向かう手筈だった。


「じゃあ、ま、あとはその貴族さまがちゃんと手配をしてくれてることを祈るだけ––––噂をすれば、お届け物か?」

「きっとそうじゃないかな。わ、スパイクナードの香りを嗅げるの楽しみ」


 ドアベルが鳴る音に、私は席を立った。

 仕事とはいえ、希少なスパイクナードを手に取れる貴重な機会だ。

 廊下を抜けて、店舗へ出ると、そこにいたのは配達屋の人でも、ナリッサさんでもなくて。


「––––ひえっ、あ、い、いらっしゃいませ、アシュレイさま。それにルシアンさまも」


 アシュレイさまがこの店に来るときは、いつも全身を覆う外套を身につけていた。それは街に外出するために目立たないように、という意識からだったのだろうけれど、その目的はまったく叶っていなかった。


 犬と猫の見分けを誰もが簡単にできるように、貴族さまと平民もまるで違う。

 それは仕立ての良い服や、磨き抜かれた肌、絹のような髪の色艶といった外見的なものばかりではなく、佇まいそのものに違いがある。


 ふたりが立っていると、小市民の私は思わず気圧される雰囲気があるのだ。

 アシュレイさまとルシアンさまの二人の立ち姿を見て、私はむしろ戸惑ってしまう。


「あの……その格好は?」

「街歩き用の変装だ。どうだ、悪くはないだろう」


 アシュレイさまは、薄鼠色の麻布のチュニックに、染めのあせた腰帯を結わえ、フード付きのクロークで上背を隠していた。

 たしかにそういう格好の若者はどこででも見かける、けれども。


「……失礼ですが、ぜんぜん似合ってない、です」

「どこかだ?」

「強いていうなら、中身、ですかね……」


 答えると、ルシアンさまが急に咳払いをした。むせたみたいに長く続いている。


「……ルシアン、誤魔化しても無駄だ。笑ってるだろう」

「––––いえ、失礼しました。寝冷えしたようで」

「白々しいんだよ。俺が平民の服装に小慣れていないのがそんなに面白いか?」

「それはすでに十分に楽しませていただきました。アシュレイ様への忌憚のない意見に感心しただけです。よく本質を見抜いていらっしゃる」

「き、恐縮です」

「……俺としては満足のいく仕上がりなんだが」


 アシュレイさまが不満そうに自分の身体を見下ろし、服の裾などを確認している。その所作のひとつとっても品があり、そもそも容貌が整いすぎているというだけで目を引くものだ。


 ルシアンさまも涼やかな顔立ちの男性だけれど、服の着こなしに不思議と身体が合っている。平民にしては線の細さが目立つけれど、それが商家の子息のようにも思えて、街ですれ違っても違和感はない。


「ところで、どうしておふたりがここに?」

「届け物だ。手紙をよこしたのはきみだろう」

「え、あっ」


 アシュレイさまの目配せで、ルシアンさまが懐から布包みを取り出した。それがアシュレイさまに渡され、アシュレイさまが私に渡す。

 思わず受け取った中身は、見ずとも分かった。




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