1「祖母の仕事を知る人」
来店客を知らせるベルの音に、私は顔を上げる。お客さまに笑顔を向けて接客をする気分ではなかったけれど、私は腰を椅子から引っ張り上げた。
部屋を出た廊下を進み、壁掛けの鏡で髪型を直して、店舗に出た。
普通、香水店に来たお客さんは、壁の品物を見ている。手持ち無沙汰を解消するためだったり、目当てのものを探していたり。けれどそのお客さんは、カウンターの前でどっしりと構えて、店舗に出てきた私の顔をまっすぐに見据えていた。
「い、いらっしゃい、ませ……?」
「客だ。洒落た店には不釣り合いと思うだろうが、こういう生まれだ。許せ」
「いえ、そんなことはなくて」
と言い訳のように断りを入れたけれど、お客様の言葉通り、少しだけ予想外に思ったのも事実だった。
カウンターの向こうにいたのは、髭にも眉にも白いものが目立つ、小柄なドワーフ族の老人だった。加齢のために身体の厚みは減っているけれど、それにしたって人間族と比べれば逞しい体つきをしている。
「ええと、今日は何をお探しでしょうか」
「ドワーフが香水を買うのが意外なんだろ」
「……正直、意外です。あの、失礼な意味ではなくて、そういう文化だと耳にしたことがあるので」
ドワーフ族は香りを身につける文化がない、と祖母から教わった。
花や木々を香料にした匂いをドワーフはむしろ嫌うほどだ、と。
私がドワーフのお客様を迎えたのも初めてのことだった。
私が正直に答えたことに、ドワーフの老人は歯を見せて笑う。ドワーフは言葉の内容よりも、感情や意見の偽りを嫌うと聞いていた。どんなことでも正直に話す、それが大事だという祖母の教えは正しかったらしい。
「そら間違いねえ。俺たちはこういう甘ったるくてわざとらしい香りを好まねえ。だが、香りが精霊にとっちゃ欠かせねえということは分かってる」
「は、はあ」
「あんた、孫だろう? あの婆さんは死んじまったのか」
「……祖母をご存知なんですか?」
「昔、世話になった。あんなに生真面目で偏屈な人間はドワーフにもなかなかいねえだろう」
忌憚のない感想に、私はつい笑ってしまう。
すでにいなくなってしまった人の思い出を、誰かと共有できたとき、胸は少し暖かくなる。過ぎ去ってしまった思い出が急に戻ってきたように、私の中で祖母の姿と声が鮮明に浮かんだ。
「意外とお茶目なところもあったんですよ。私には好き嫌いはだめって言いながら、自分は絶対にピクルスを食べなかったり」
「ピクルスは俺も好かねえな。で、いつだ?」
「もう二年になります」
「そうか。ま、この歳にもなりゃ、誰だってその時を迎えるさ」
ドワーフのお爺さんは拳を胸に当てると目を伏せ、小声で祈りの聖句を呟いた。
その気遣いに、私は会釈をする。祖母を悼んでくれる人がいることが、私には嬉しい。
「俺はドミニク。あんたはこの店の後継か?」
「コレットといいます。今は私が引き継いでいます」
「昔っから客の少ねえ店だったが、そこは変わってねえな。で、継いだってことは、あんたもできるのか」
「なにがでしょう?」
「精霊に香を捧げることだよ。あんたの婆さまは”精香”と呼んでたか」
ドミニクさんの言葉に、私は一瞬、思考を止めていた。
祖母は魔法を禁じていた。だからてっきり、精香を封印していたのではないかと思っていたのだ。
「あの、祖母が”精香”をしていたことを、ご存知なんですか?」
「ご存知っつうか、俺が仕事を頼んだのさ。今日ここに来たのもその仕事についてだ」
「祖母の仕事について、ですか。すみません、祖母はあまり自分の仕事については話してくれなくて」
「昔気質の年寄りってのはそういうもんだろう。あんたに後を継がせるつもりだったなら教え込むもんだが……そうか、急に向こうに行っちまったのか。そりゃ心残りだったろう」
ドミニクさんの言葉はぶっきらぼうだったけれど、声音には私と祖母を気遣う柔らかさがあった。
「あの、よければ、祖母に頼んだ仕事について教えていただけますか? その仕事、私に引き継がせていただきたいです」
ドミニクさんは腕を組み、私をじいっと見上げた。
体躯は私よりも小柄だけれど、私を見据える透き通った瞳には、ひとりの職人として、任せるに足る腕前があるかを見定める揺るぎない力がこもっていた。
「––––頼みたいのは”火返しの儀”だ」
「儀……? あの、香りを調合する、という仕事ではなくて、ですか?」
「いや、それで合ってるよ」
ドミニクさんは私の疑問に頷きを返した。
「あんたの婆さんは、精霊に捧げる”特別な香”を調合してたはずだ」
言われてもすぐには理解できない私の顔を見て、ドミニクさんは「最初っから話したほうがいいな」と前置いた。
「俺は鍛冶屋をやってる。鍛治にとって火は何よりも神聖なもんだ。その火を迎える炉は、言わば祖霊や精霊と通じる祭壇だ。俺が独り立ちして工房を構えるって話になったとき、あんたの婆さんに”火迎えの儀式”を頼んだ。うちに来て、炉に香りの煙を焚いて、精霊を迎え入れた。その時にキツく言われたんだよ。炉の火を落とすときは私を呼べ、私が死んでたなら娘を呼べ、ここにいる精霊を返さずに火を落としたらそりゃ恐ろしいことが起きるから、ってよ」
ドミニクさんはそこで昔の光景を思い出したのか、部屋の壁をすかして遠くを見つめるように視線をぼやかした。
「今となっちゃ古臭い儀式だ。精霊なんぞ信じる迷信深いやつも随分と減ったろう。俺だってまあ、本当に精霊が宿ってるなんて確信めいたことは言えねえ。だが、あの婆さんに言われたことを無視するのも気分が良くねえんだ。火を入れてから五十年、途絶えることなく火は灯ってきた。もし精霊さまってやつが本当にいるなら、炉を閉じる前にきっちり感謝を伝えておきたいと思ってな。息子たちにゃ、馬鹿らしいと言われてんだが」
ドミニクさんは自分の信心を明かすことに恥ずかしさを覚えたというふうに、顎髭を撫でた。
「もう俺も歳だ。息子も自分の道を選んだ。炉を閉じることにした。だからあんたの婆さまに頼ろうと思ったんだが……あんたがここにいるってことは、母親は後を継がなかったのか?」
「……はい、そうなんです」
と私は答えた。
「ですから、私にその”火返しの儀”を任せていただけませんか?」
「そりゃ、こっちとしちゃ助かるけどな。婆さんもいねえ、その娘も後を継いでねえ。となりゃあんたに頼むしかない。でもなあ」
と、わずかにドミニクさんは目を細めた。
「あんたぁ、抜かりなくできるのかね?」




