5「夕方の来訪者」
ザックがどんな風にアスピックとして加工するのか、それをスパイスミートパイと合わせることでどんな味と香りになるのか。興味は尽きないのだけれど、私は気持ちをこらえて家に戻った。
そこから先はザックの仕事の領分だから、私が口を出すことでもないし、邪魔になってもいけない。何よりザックはまずミレルさんのために料理を作っているのだ。私がでしゃばってしまうと話がおかしなことになる。
なにより、私にもスパイスミートパイを香水にするという大仕事のあとに、やるべきことがあった。
部屋に戻って、蒸留器具を洗って、散らかした香料などを机に戻して、一旦、作業机をまっさらにする。
それから取り出してきたのは、アシュレイ様のために作った”香りを消す香水”の材料だ。
調香机を前に腕を組む私を見上げて、フムルが長い鼻を動かしている。
「なんだ、また食い物を香りにするのか?」
「それはいったんおしまい。こっちは別の香水。ねえ、確認なんだけど、ただ魔法を込めただけの香水じゃ、効能は長く続かないんだよね?」
それはエリックのための香水を調香しているときにフムルが言ったことだった。
あの時は目の前のことに必死でしっかり訊く余裕はなかったけれど、聞き捨てはできない内容だ。
「んなの当たり前––––つっても、コレットはど素人の駆け出しだったか」
「これでも調香には自信があるんですけど。おばあちゃんにも才能はあるって褒められたんだよ」
「ただの調香と”精香”を同じにしちゃいけねえな。調香ってのは技術、”精香”は神秘だ。精霊さまに香りを捧げるための儀式みたいなもんなんだぜ」
「精霊って、フムルのことでしょ?」
「オレサマなんぞ下っ端も下っ端、比べるのもおこがましい木っ端ってもんよ。人間にだってあるだろ、身分の違いとか、天と地ほど格が違うとか」
「ああ、貴族みたいなことかな」
絵本で夢物語のように語られる精霊にも、世知辛い社会構造があったらしい。
「じゃあ、もっと偉い貴族の精霊さまに香りを届けると、香水に効能が宿るの?」
「”精香師”は香りに魔力を宿して精霊界に送り届けるんだ。その香りを精霊が気に入ってくれたら、その対価として願いを聞き届けてくれる。それを人間は昔から加護だの慈悲だのとありがたがってきたんだけどよ。ま、今の時代じゃすっかりそんなこと忘れてるみてえだな」
「だって、誰も教えてくれないし。魔女もすっかりいなくなっちゃったし」
「なんでいねえんだよ?」
「……社会構造の変化、と言いますか。色々あるんだよ、人間にも」
それは歴史書からも消されている。おばあちゃんも口が重くて、詳しいことは話してくれなかった。
ただ、魔女狩り、と呼ばれる弾圧があって、魔法を使う人々が忌避され、迫害される事件があったのだと聞いた。
今でも私のように魔女としての力を持っている人はどこかにいるはずだけれど、息を潜めているのだろう。魔女狩りから時代も思想も変わってはいるけれど、同じように迫害されないとは限らない。そんな危険を犯すよりは、ただ平穏に暮らしたいと言うのが本音のところだった。
「とにかく、今の時代じゃあんまり目立って魔法は使っちゃいけないんだ。だから、その”精香師”っていう職業もほとんど廃れてるの」
「べつに廃れちゃいねえさ」
「えっ?」
「コレットがいる。昨日の夜にお前が調香したあの香水は、そりゃ技術も何もかもが拙いもんだが、立派な”精香”だ。なにしろ精霊サマにちゃんと届いて、加護を授けてくれたんだからな。あの子どもも喜んでたんじゃねえのか?」
「……そ、っか。そう、だね」
エリックにもらったお礼の言葉は、今も私の中に大きな充足感を残している。ただ、自分が作った香りを気に入ってくれたというだけではなくて。
自分の仕事が誰かのためになった。
その人の人生や感情や悩みを、少しでも良い方向に変える手助けができた。
そうした実感を得られたのは、自分の心を熱くする不思議な経験だった。
「––––これまでずっとこの店に閉じこもってた。お客さんは全然来なくて、毎日がなんとなく過ぎていて。でも、私にもできることがあったんだって。そう思えた」
「ま、物事ってのは落ち着くところに落ち着くようにできてるもんだ。人の生き方ってやつも同じだろ」
と、フムルはやけに含蓄のあることを言って、傍にあった調香用の小瓶を短い前足で叩いた。
「で、新しく見つけた、お前にもできることってのはなんだ?」
「これは新しく見つけたというか、前の仕事が不完全だったって分かったから、それを修正したいんだよね」
私は、フムルがやってくる前に作った”香りを消す香水”について説明する。
”精香”の手順なんてまるで知らず、ただ魔力と願いを込めて作ったもの。
フムルはふんふんと鼻を上下させ、短い前足を組んで話を聞いていた。
「コレットのその作り方も、まあ悪いってことはない。むしろ”精香”の原型に近いだろうな。魔力を捧げて加護をもらう。実際、それは叶ってるわけだ」
「でもそれだと効能は長く続かない、ってことだよね?」
「まあ、魔力の量やら願いの度合いによって変わるけどな。基本的に魔力でどうにかしようって補う部分が多いほど、効果は短くなるし、無駄に疲れるし、あんま良いことはねえな。今回の話を聞く限りじゃ、香水瓶を使い切る前に効能は消えるんじゃねえか」
「……やっぱり」
「ただまあ、ローズ・ウォーターを基礎にして組み合わせた香料は悪くねえ。願いと香りの役割が合わさって、ちょうど良いところで折衷されたんだろうな」
「折衷……?」
「ちょうどよく折り合いがついたって意味。コレットは香りを消したいって願ったんだろ? でも聞く限りじゃ、その香水の効能は過剰な香りを中和するってところだ。そのアシュレイってやつ、匂いがわかるって喜んでたんだろ?」
「あ」
言われて初めて、その違いに気づいた。
たしかに、私は匂いを消して欲しい、と願いを込めたはず。
でもアシュレイ様は、匂いが苦痛ではない範囲で分かる、とおっしゃっていた。
「あらゆる匂いを消すってのは、かなり強い願いだ。これをやるにはちゃんとした手順での”精香”と、質の良い香料を使わないと無理だろうな。だが”香りを抑える”って範囲なら無理がない。その結果として出来上がった––––ま、いわば偶然の産物ってところか」
「うぅ……偶然にできた商品を売ってしまったなんて」
私は調香机に肘をついて頭を抱えた。
私としてはうまくできたものと思っていたのだけれど、フムルから見ればかなり際どい結果だったようだ。
「お前がどうにかしてやりたいって願いは届いてんだ。落ち込むほどでもねえだろ。で、どうすんだ? 作り直すのか?」
「……もちろん、作り直します」
今度こそしっかりと、意図した上で香りを消す香水を作らねば。
フムルのおかげで、魔力によって調合する技術をしっかり理解できる機会でもあるし、今なら絶対に以前よりも良いものを作れる、という確信がある。それを作らずに知らんぷりしておくなんてできない。
「でも”香りを消す”のは難しいんだよね? それなら今と同じ、苦痛に感じる匂いを抑えることを目的に調香するほうがいいかな。アシュレイ様も普通に匂いが分かることを喜んでいたし」
「ま、それが良いんじゃねえか? 強い願いほど長くは続かねえもんだ」
よし、方向性は決まった。
まずは前回抽出したローズ・ウォーターの残りを使うことにする。少ないけれど、試作にはちょうどいい分量だ。これをアシュレイ様に渡して、効能がどれくらい続くかを試してもらって、問題がなければ作る量を増やして––––。
調香のための材料と手順を頭の中で段取りながら、髪をまとめて結ぼうとしたとき、来店を知らせるベルが鳴った。
窓の外はもう夕暮れで、ちょうど、山間に夕日が半分ほど隠れているところだった。こんな時間に店に訪れる人は珍しい。
私は席を立って、部屋を出る。
店舗へとつながる扉を開けると、男性がひとり、カウンターの前に立っていた。




