4「同じ食事が続くことに何の問題が?」
「こんなに仕事が早いとは思わなかった」
「ザックが目を丸くしている顔を見られたから、頑張った甲斐があったかな」
「こんな顔でよかったらいくらでも」
調合を終えたのは夕方過ぎだった。
レストランは夕食どきを前にした準備時間のようなもので、食事に来るお客さんは多くない。ザックに時間をもらうにはちょうどいい頃合いだった。
「無理をお願いしたとは思うんだけど、どんな形で仕上がったんだろう?」
「とりあえず、試作してみた、って感じなんだ。一度、ザックの意見をもらいたくて」
私は小瓶をテーブルに置いた。
「これがスパイスミートパイの香水、ってことになるのかな」
「ただスパイスミートパイを蒸留してもやっぱりどうしても香りは薄くなっちゃって。抽出した香味水を再蒸留してもたぶん香りは濃くならずに飛んでいくと思うんだ。もしかしたらアルコールで漬け込んでからならそれもできるかもしれないけど試すにしても時間がかかるから。まず香味水をベースに特徴的なスパイスの香りを足すことにしたの。嗅覚が鈍くなっているなら繊細な細部の香りよりも記憶を刺激しやすい強い香りを際立たせたほうがいいかと思ってシナモンを強めにローズマリーとクローブを合わせたんだ––––ごめん、喋り過ぎました」
自分の仕事のことになると止まらなくなるのが悪い癖だった。おまけにその悪癖に気づくのはひと通り喋り切った後なのだから始末が悪い。
私が自分の口を押さえて頭を下げても、ザックは「気にしないで」と朗らかに笑ってくれている。
「すごいな。料理じゃ香りだけを調整するのは難しいんだ。どうしても味にまで変化がくるから。とくにシナモンなんかは味と香りを崩さない分量が難しくて」
ザックは小瓶をとって、栓を抜くと、鼻を寄せた。目を細めた途端に表情が真剣なものになる。いつも接客している時に見える愛想の良い笑顔ではなくて、それは料理人としてのザックの顔だった。
「––––面白い」
ぼそりとザックが呟いた。
「スパイスミートパイから沸き立った湯気を閉じ込めたみたいだ。シナモンが強いけど、それがスパイスミートパイの輪郭を作ってるかも」
それから顔を上げて。
「僕にはちょっと過剰に感じるけど、ミレルさんの嗅覚のことを考えると、これくらい強くないと届かないかもしれないね。これはすごいな。本当に香りで食事をしている気分になる」
ザックの評価に、私はほっと息をついた。
何しろ初めてのことだ。これでうまくいっているのか不安だった。
「あとはこれを僕の方で加工させてもらって良いかな? ミレルさんに試してもらわなきゃ」
「それはもちろん構わないんだけど……そういえば、この香水をどう使うの? 食べる前に振りかける、とか?」
「それも考えたし、やってもらおうと思ってる。食事の前の導入みたいなものでね。それとは別にひとつ考えがあるんだ」
ちょっと待ってて、とザックは奥の厨房に行ってしまう。しかしすぐに戻ってきたかと思うと、手には小皿を携えていた。それが私の前に置かれる。
「これは……?」
「食べてみて」
スプーンで掬い上げたものは、黄色っぽい色のついた、プルプルと震える小さな塊だった。
鼻を寄せて、無意識にくんくん、と匂いを嗅ぐ。透き通った見た目と違和感なく、匂いはほとんど感じられない。
口の中に入れた瞬間、それはじゅわ、っと溶け出して、口の中で一気に味と香りが広がった。鼻の奥に強く抜けるのは、濃厚なチキン・スープの味だ。
きっと私は目を丸くして驚いていたのだろう。ザックがくすくすと笑いながら解説してくれる。
「それは”アスピック”––––スープの煮凝りだね。チキンや牛なんかを煮込んだスープを冷やすとそうやって固まるんだ。これなら香りも味もしっかりと閉じ込められて、口の中でほどけるだろう? コレットが作ってくれた香水も、これと同じようにアスピックにしようと思っているんだ。それをスパイスミートパイの上に飾る」
どうかな、とザックは私に訊ねる。返事は決まっていた。
「すごくいいと思う! そうだよね、香水なら身につけて嗅ぐことしかできないけど、これは”食べる香水”だもの。本当に食べちゃえば良いんだ。アスピックにして口の中で溶ければ、ただ香りを嗅ぐよりももっと濃密に感じられるはず! すごい!」
口の中から香水を嗅ぐ、とでもいうべき手法に、私は驚くやら感動するやらで、何だかもう興奮してしまった。
調香師として、どうやって人に香りを届けるかを考えてきたけれど、そんな手法は考えたこともなかった。
「そっか、それが料理なのか。口に入れる前だけじゃなくて、口の中でも香りを感じてるんだよね。うわあ、深いなあ。香水を料理と合わせるって、もしかしてすごく革新的かも。ザックってすごい!」
「あの、コレット……?」
「この手法でならもっと美味しくなる料理もたくさんあるよねたとえばアップルパイだったら香ばしいパイ生地の焼けたと匂いに新鮮なリンゴの爽やかな甘さを香水にして付け足したら違う味わいになるはずだしそれかあえて別の匂いで香りを重ねても良いしミント系だったら切れ味がよくなるしベチバーとかパチュリだったらもっとどっしりとした重厚な––––すみませんでした」
また喋りすぎてしまった。私は口を押さえた。けれど今回は仕方ない。だってザックの発想にワクワクしてしまったのだから。
それでもザックを置いてきぼりにしてひとりで話していたことが申し訳なく、おずおずとザックの様子を窺う。
困ったような、それでいてどこか照れたような表情で、ザックは頷きを返してくれた。
「そこまで褒められると、ちょっと困ってしまう。僕はただ思いついただけで、コレットほど香りには詳しくないから。新しい料理を生み出すなんて考えたこともなかった」
「もったいない! ––––ごめんなさい、声が大きかった。でも本当に、すごく新しい発想だと思う。料理と香水を合わせるって。調香師としても新しい世界を開拓できそう」
「コレットにそこまで言ってもらえるなら光栄だな。でも、ひとまずその探究は置いておいて」
と、ザックは両手で架空のものを持ち上げるようにして、それを脇に置いた。
「まずはミレルさんのために、この料理を仕上げよう。いま話したとおり、コレットの作ってくれた香水をこのアスピックの形に加工したいんだ。良いかな?」
「もちろん!」
拒否する理由はどこにもない。
「その代わり、なんだけど」
「条件があったらなんでも言って」
「出来上がったら、私も食べてみたい」
真剣な声音で告げる。
ただでさえ美味しいスパイスミートパイなのだ。そこに香りが重なるアスピックを加えたら、どんな香りと味になるのか、震えるほど興味があった。
ザックはきょとんとしたいたけれど、「ふふっ」と空気を吹き出して、肩を震わせて笑い始めてしまった。
「……なんで笑うの」
「いや、ごめん。コレットって本当に面白いね」
「褒めてる、よね?」
「もちろん。今夜もミレルさんの家族が夕食を取りにくる予定なんだ。それまでに作って渡そうと思う。そのときに、コレットにも試食してもらおう」
「よしっ」
私は拳を握りしめた。
「でもいいの? お昼にも食べたでしょ? 二食続けてスパイスミートパイになっちゃうけど」
「え? 二食続くとなにか問題があるの? 何回食べても美味しいよ」
「––––そっか」
なぜかザックはほんのりと暖かい目線を私にやってから、席を立った。
「それじゃ、今度は僕の番だ。さっそく調理に取り掛かるよ」




