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腹ペコ魔女は香りでお腹を満たしたい〜調香師コレットの日月〜  作者: 風見鶏
2nd notes 「亡き人を想う香り」

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2「夢への契約書」


「いらっしゃいませっ! 本日はどういったご用件、で……?」


 窓からはまだ朝日の名残がある白い日差しが差し込んでいる。その光の中に、夜が明けるのを忘れてしまったみたいにその人が立っていた。


「あ、アシュレイさまっ!?」

「夜は仕方ないとはいえ、昼も客がいないんだな、この店は」

「わざわざ喧嘩をお売りにいらっしゃったんですね? 暇なんですか?」


 しまった、と慌てて口を覆う。

 つい反射的にとはいえ、相手はお貴族様だ。不敬にも程があった。

 アシュレイ様は目を丸くしていた。そこから感情は怒りへと変わるかと思いきや、唇を笑みの形に変えた。


「今のは俺が悪かった。わざわざ口にすべきではないことだ。事実とはいえ」

「本当に謝る気あります?」


 しまった、と慌てて口を覆う。

 まさか二回も同じ過ちを繰り返すなんて……ッ!


 アシュレイ様は怒りもせず、むしろ面白い生き物を見つけたみたいな目で私を見ている。


「謝る気はある。それに、俺にとっては客がいないほうが好都合だ」

「……私にとっては死活問題なんですけど」

「それは当然だな。この街で店を構えるというのは大変だろう? 大通りから外れてはいるが中心区からほど近い。賃料はどのくらいだ?」

「急に世俗的な会話を始めるのはやめてくれませんか?」

「なに、世間話というものだ。世俗に疎いからな、興味がある」


 言いながら、アシュレイ様はカウンターにまで歩いてきた。おかげで身長の傾斜がきつくなって、私は首を反らさないといけなくなった。


 以前に出会った時は夜だった。互いの顔はランタンのか弱い灯りに頼っていた。その時でさえ輪郭の際立つ美貌だったというのに、いまこうして真昼間に向き合うと、芸術としての彫刻を鑑賞するみたいにまじまじと見てしまう。


「……なんだ?」

「いえ、綺麗なお顔立ちだなあと、しみじみ思って」


 素直に称賛したのだけれど、アシュレイ様はなんだか困ったような顔をした。褒められ慣れているだろうに。


「それで今日はどんなご用件でしょうか。あ、もしかして香水に何か問題が?」


 自分の思いつきが急に現実味を帯びて不安の形になる。

 アシュレイ様に渡した香水には、私の魔法が込められている。自らの調香の技術であれば知り尽くしていても、私は自分の魔法についてまだ理解しきれていない。宿した魔法がある朝、急に消えている、なんてことだって起こり得る。


「––––いいや、今も不満ひとつなくその効能を発揮している」


 アシュレイ様の顔に小さな笑みが浮かんだ。苦悩や苦痛から解放された人だけが浮かべることのできる、複雑で、どこか陰があって、けれど清々しいすっきりとした表情。

 言われてみれば、たしかに、アシュレイ様はハンカチで鼻を覆っていなかった。さまざまな香りに満ちたこの店でも平気なら、私生活でも問題はないのだろう。


「よかったです。お役に立てているなら」

「きみがその程度の認識でいるのは困る」

「はい?」


 急にアシュレイ様が声音を鋭くして、ずい、と身を乗り出してカウンターに両手をついた。


「この香水は、俺にとって夢を具現化したものだ。幼い日から願い続けた日々を、こうして現実のものにしてくれた。きみの香水は、今の俺にとって生命線だ。これは冗談でも比喩でもない。きみがいなければ、俺はまた––––」

「ええと、アシュレイ様、ちょっとだけ、目が、あの」


 思わず一歩下がって、背中が壁に当たる。

 アシュレイ様の目は鋭く細められ、それは猛禽類に睨まれたネズミのような本能的な怖さを感じた。私はネズミの中でもさらに臆病なほうなのだ。


「今日は、提案を持ってきた。きみにはこれを受け入れてもらわねばならない」


 アシュレイ様は懐に手を入れると、一通の書状を取り出して、それをカウンターに置いた。

 表書きにはこの店と私の名前が記されていた。見るだけで背中がそわそわするくらいに流麗な筆記体で、とても自分宛の手紙とは思えない。


「中身の確認を」

「み、見ないとだめですか? 怖いんですけど」

「何を怖がる?」


 それを日常としている人には分かってもらえないことを説明するわけにもいかず、私はおそるおそる書状に手を伸ばした。手触りがもう、上質な羊皮紙だ。ひっくり返すと赤い封蝋に鷲の紋様が押されている。それを破ることに畏れ多い気持ちが湧いたけれど、目の前に立つ人を見上げれば、視線で早くしろとせっつかれる。


 私は誰とも知れずすみませんと謝りつつ、指で慎重に封を切って書状を開いた。

 中に記されているのも表書きと同じく美しい文字の連なりで、その文字が作り出す意味を理解するのに、ずいぶんと時間がかかった。

 いや、正直、あんまり理解できなかった。驚きがあまりに強すぎて、思考がぴたっと止まってしまっていた。


「……あの、これは、どういう意味でしょうか」

「書いてある通りだ」

「フォン・ラヴァン伯爵家、専属の––––調香師?」

「そうだ。当家の専属調香師として、きみを招きたい。それは契約書だ」

「……ああ、なるほど。これは夢なんですね。すみません、私、まだベッドの中にいたみたいです」

「本当に寝ぼけているのか?」

「いえ、ただの現実逃避です」


 私は目を閉じた。

 うーん、と唸ってみる。


 目を開ける。

 夢じゃない。

 よし、せーの。


「––––ええええっ!?」





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