9「ある夜会での噂」
ある日の夜会で、とある珍しい光景が話題を拾った。
フォン・ラヴァン若伯爵についてである。
その凛々しい容貌から、以前より貴婦人たちの間ではよく取り沙汰されていたアシュレイが、その日は特に機嫌よく、これまでに見たこともないほど穏やかに談笑する姿が見られた。
これまでのアシュレイは常に口元をハンカチで覆い、まるで夜会中を睨め付けるような目つきでいた。話しかけれど会話は短く、声音はこもり、どんな相手とでも苦痛で仕方ないような顔を隠せていなかったのだ。
それがどうしたことか、今日の彼は覆い隠したハンカチもなく、グラスを片手に堂々と会場を歩き回り、自ら話しかけるほどの社交性を見せていた。
まるで人が変わったような、という表現では収まりきらず、心無い者たちはそれこそあれは別人と入れ替わったのだ、と囁いた。
しかし概ねアシュレイの変化は好意的に受け取られ、その夜の主役はアシュレイとなった。
そうなれば、誰もが気にするのはその変化の理由である。ある貴婦人が、これまでアシュレイにはなかったひとつの変化に気づいた。
「––––まあ、アシュレイ様。珍しく香りを纏われておりますのね? まるで深い森の泉に触れたかのように清涼で穏やかな香り……」
「ええ。ようやく気に入る香りを見つけたもので。この香りが、文字通り私の人生を一変させてくれたようなものです。そうですか、深い森のような香り。なるほど」
アシュレイはその夜、一度も中座することなく、最後まで会場に残っていた。
そしてあのアシュレイをここまで変化させた謎の香りについて、社交会では静かにひとつの噂が広まっていった。
––––あのフォン・ラヴァン伯爵家が、ついに専属の調香師を抱えたらしい、と。




