9.招待状の裏では
玉座の間。
荘厳な空間に、重厚な沈黙が満ちていた。僕とノアは、国王の前に膝をつき、静かに言葉を待っていた。
「本来なら、余が参加するべきなのだが……体調がすぐれなくてな」
父上は深くため息をつきながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。その顔には、疲労の色が濃くにじんでいた。僕は、ふと胸の奥に浮かんだ疑問を押し殺す。
本当に、父上が民を苦しめているのだろうか?
「そこで、お前たちに代わりに行ってきてほしい。なにせ、このコンサートは重要だからな」
「重要、とはどういうことでしょうか、父上」
珍しくノアが真面目な声を出す。いつもは軽薄な笑みを浮かべている彼が、真剣な眼差しを向けている。
「今回のコンサートには、ルミナスの者が来るらしい」
「「ルミナス!?」」
僕とノアは、同時に声を上げた。ルミナス王国――年中雪に閉ざされた北の国。大陸随一の魔術師育成学校を擁し、数多くの伝説的魔術師を生み出してきた国だ。その一方で、外交は鉄壁で、僕でさえ、ルミナスの王族には会ったことはない。そんな国がセルラルドの演奏会に来る。これはただの演奏会じゃない。何かが、動き始めている。
「ふむ、それではよろしく頼むぞ。私はこれで失礼する」
父上はそう言い残し、玉座の間を後にした。静寂が戻る。そして、残されたのは僕とノア。僕は立ち上がりながら、ちらりとノアを横目で見る。 ぷよんと揺れる腹、ニヤリと笑う口元。
「ルミナスが、ついに……」
ノアがぽつりと呟いたその言葉に、僕の心が跳ねた。城を探検した時に見つけた手紙、あの手紙にも、“ルミナス”と書かれていた。
不意にノアが声をかけてくる。
「おいレン、セルラルドだってさ。またお前のかわいい婚約者に会えるぞ」
「セイラは、ぼくの婚約者なんだよ?」
怒りをこめて言い返す。この前あれだけ脅したのに、まだ懲りていないらしい。
「でもまだ正式な婚約者じゃないよな。向こうの両親とは、話してないんだろ?」
悔しいけど、それは事実だった。押し黙ってしまった僕を見て、言葉を続ける。
「じゃあ、問題ないだろ? セイラちゃんかわいいし、未来のハーレムに加えてあげよっかな」
怒りが、胸の内をくすぶる。その熱でお前の腹肉をソーセージにしてやろうか?
「ノア……それくらいにしておきなよ」
ノアを見つめる。
「ヒッ、きょ、今日はこのくらいで勘弁しといてやるよ!」
ノアは慌てて王座の間から飛び出していった。
階段を上っている時も、その怒りは収まらなかった。
セイラを侮辱し、王国の未来を考えず、上から目線になぜあんなことが言えるのか。でも、それ以上に胸が痛んだ。セイラを――この国を守るためには、もう迷っていられない。それを改めて思い知らされたようだった。
王国を照らしていた月は、流れる雲にゆっくりと隠れていった。
*
セルラルド行きが決まり、僕は準備に追われていた。
「これを、全部!?」
資料の山に埋もれながら、絶望的な声を上げる。
「これでも、ごくごく初歩の資料なんですよ? ご安心ください、山はまだ続きます」
メガネをクイッと上げて笑うウィリアム。彼は僕の歴史の教師で、知識の鬼でもある。
「ちなみにノア殿下は、一日で全てに目を通されましたよ」
「い、一日でこの量を!?」
「えぇ。レン様も頑張ってくださいね」
ウィリアムが悪魔のような笑みを浮かる。
「う……」
これは……過酷な試練になりそうだ。
「レン様、少しよろしいですか?」
いつのまにかジェームズが立っていた。
「うん、もちろん! ジェームズに呼ばれちゃったから、またね!!」
僕は椅子から飛び降り、ウィリアムの声を振り切って廊下へ飛び出した。
*
「レン様、こちらを」
そう、執事が差し出してきたのは、一枚の封筒だった。
「誰から?」
宛名がない。封蝋は、見覚えのない紋章。
「その……」
珍しく、ジェームズが言葉を濁す。
「レン様は王妃殿下が今、どうしていらっしゃるか、ご存じですか?」
「うん。避暑地で療養中だよね」
母上は随分と昔に体調を崩されて、今も会えない状態が続いている。執事の表情に、僕の胸がざわつく。
「何か、あったの?」
「実は少し前、突然王妃が体調を戻されました。そしてその後、僅かな従者と共に姿を消したのです。このことは一部の人間にしか知らされていない情報ですが」
「母上が?」
「えぇ、姿を消す際、私にこうおっしゃいました。『もし、わたしが二ヶ月経っても戻らなければ、この手紙をレンに渡してほしい』と。そして今日が、その約束の日なのです」
僕は封筒を開け、手紙を取り出す。懐かしい筆跡。手紙にはこう書かれていた。
“レンへ
もし私の仮説が正しければ、オルフェオ、いいえ、世界は破滅を迎えるでしょう。だから真実を確かめに、ルミナスへ行きます。レン、あなたに流れるその血は、少し特殊なものよ。時には恐ろしくなるかもしれない。けれどね、レン。人を信じることを忘れないで。 あなたの味方は、敵ではないのだから”
その手紙は、母上の覚悟宿っていた。母上は一体、何を伝えたかったんだろう。
顔を上げると、執事がこちらを見ていた。その目には、深い忠誠心が現れている。母上に信用されるほどだし、ジェームズに見せたら何かわかるかもしれない。
「ジェームズ、読んでいいよ」
「よろしいのですか?」
「うん」
僕が手紙を渡すと、封筒の中からもう一枚、紙が落ちてきた。
一枚の写真。
野原に寝転ぶ、幼い五人の子どもたち。ノア、カイ、僕。そして、見知らぬ少年と少女。どこかで見たことがあるような。でも、思い出せない。その写真が、静かに語りかけてくる。
この物語は、きっと、もっと前から始まっていたのだと。




