47.豚ゴブリンの正体
ミュリエルが静かに話し始める。太陽が彼女を後ろから照らした。
「アドルは……優しい子だった。今も、その優しさのまま、世界を壊そうとしている。もう自分と同じように悲しむ人がいないように」
うつむくミュリエル。アドルは悪い人じゃない。
自分なりの正義を貫いているだけだ。
それが、僕たちの正義とは違うだけで。
「ねぇ、わかるはず。私が今、どんな思いでここにいるのか。ノア、チトセ、あなたの弟が世界を滅ぼすって言ったらどうする? 見捨てる、切り捨てる? いいえ、おそらく、二人は協力するでしょう?」
チトセとノアは黙ったままだ。ノアが、カイが、もしそんなことをするなら僕はたぶん、止められる。けど、アドルにとって、ミュリエルは唯一の砦だから。それを壊すことは、できないんだ。
「あのルミナスの国王――人の人生を盤上の駒としか見なかった男のせいで、私とアドルは引き裂かれた」
静かに言うミュリエル。その目には、嫌悪が宿っている。
「そんなアドルを救ったのは魔術師だった。でもそれは、王妃に雇われた刺客だったの。死ぬ間際――アドルに愛を教えておきながら――彼を呪った。今でもその呪印は跡を残している」
「そんな……」
母親が殺され、姉とも離れ離れになり、唯一愛を注いでくれた人も、敵、だったなんて。
「それから彼は変わってしまった。でも幸いなことに、まだブラックホールは完成していない。私が説得してみるけれど、もし駄目だったら、戦うことになるわ」
「アドルは一体、どんな魔法を使うの?」
「最低限の魔法しか使わないはず。私が彼を裏切る瞬間、その心には憎しみが芽生える。それを膨大な魔力で変換して、初めて完成する魔法だから。その完成に、全魔力を集中させるはず」
自分の憎しみで成長させる魔法、だなんて。そんなものが、救いなわけない。
「でもそれって逆に、あんたがアドルを裏切らなければ完成しない魔法なんじゃねーの?」
「いいえ。他人の負の感情も、微々たるものだけどアドルは魔力に変換できる。ずっと前からやってきて、今、ようやく完成する、あと一歩前の状態なの」
その声には、悲痛な痛みが現れている。
「ブラックホールの完成は止められない。だから封印するの。それまで、アドルを足止めする必要がある。最低限といっても、彼の魔力は膨大よ。私たちが、時間稼ぎをする」
「それが俺たちの役目って事か」
セイの声に、うなずくミュリエル。
「えぇ、そうよ。これは、王族にしかできないこと。そして――逃げられない立場の者にしか、背負えない役目よ」
ミュリエルがみんなを見渡して言う。僕は大きくうなずいた。
*
「どうしても、言いたいことがあるの。ノアは黙っているようだけど……」
会議室から出てすぐ、ミュリエルにそう声を掛けられた。
「何の話?」
「オルフェオ国王と王妃、ノアにかけられた――呪いのことよ」
そう答える彼女は、自ら針山に進もうとするしがない少女に見えた。
けれど。
「本人の口から聞くよ。そしたら、その後、話してもいい?」
「わかったわ」
言いたくないことをわざわざ他人の口から聞く必要はない。前を歩くノアを見つめる。
それに、ノアが僕たちを助けたからといって、これまでしてきた行いは変わらない。今だって僕らを騙しているのかもしれない。
ノアは一体――どんな思いでここにいて、どういうつもりであの姿をしているんだろう。
「レン、カイ」
呼びかける声。その声は、恐ろしいほどまでに優しい。
「二人に、話したいことがある」
僕とカイは顔を見合わせる。ごくりと唾をのんで、頷いた。
*
話したいことがある。そう言った張本人は迷いない足取りでどこかへ向かっている。その後ろで、僕は小さくカイにささやいた。
「カイ、今から僕達、どうなるんだろう? まさか殺されるのかな……?」
「レン、さすがに兄さんもそこまで馬鹿じゃないよ」
笑って答えるカイ。その目は笑っていない。分かってはいるけど、分からない。ノアがどうして――
「ここだ」
そう言ってノアは扉の中に入っていく。僕とカイも顔を見合わせ、その後に続いた。応接間らしきその部屋には、長い机に向かいあうようにソファが置かれていた。僕とカイが並んで座るのを見て、ノアは静かに口を開く。
「全ての始まりは……俺が12歳の頃だった」
明るいシャンデリアのせいで、その顔には大きく影が映る。
「六年前のその日、いきなり、何者かに強力な呪いをかけられた」
「え」
呆けた声がノアの目に、静かに吸い込まれていった。
「呪いを解くのに、丸三日かかった」
思わず顔を見合わせる僕とカイ。
呪いは、解けない。事実、セイと父上は呪いに掛けられたままだ。それを十二歳のノアが……
「急いでカイとレンのもとへ向かった。二人は無事だった。けれど……」
あのノアが、僕らの心配をするなんて信じられない。
「父上と母上には、俺より強力な呪いがかけられていた。国王でさえ解けない呪い、時間が経ちすぎていて解除はできなかった」
ノアが視線を落とす。二人に呪いがかけられていた? まさか、父上はずっと前から――
「母上は弱り、父上は横暴で野蛮な王となった。その呪いが命じていたからだ」
その言葉に、何も言えなかった。
じゃあ、呪いのせいであんな優しい父上が……
「敵は俺を狙うほど、王家に恨みを持っている可能性が高い。呪いの中には標的をいつでもどこでも監視できるものもある。これらから推測される、問題は?」
「兄さんが……また、呪いをかけられる危険性がある」
カイが戸惑いがちに応える。ノアは、少し微笑み、うなずいた。
「それもある。けれど、敵の次の目的は、お前たちかもしれない。それだけは何としても、絶対に防ぐ必要があった」
強く拳を握りしめるノア。その思いが、言葉の端々からあふれ出ている。
「俺への呪いは、”全ての人に嫌われる最悪な人になれ”だった。そこで俺はその”最悪な王子”を演じることにした――呪いにかけられたふりをして」
「かけられた、ふり……?」
最悪な王子。
つまり、今まで僕が忌み嫌っていたノアは、すべて、演技だったってこと!?
「人が好まない体型、話し方、歩き方、表情、話題。すべて綿密に計算された完璧に最悪な人間だ」
その、全てが、計算済み。唖然としてノアを見つめる。
「裏では父上の公務をこなす日々だった。普段、俺は父上の魔力を調整して暴走しないようにしている。カイの前で暴走した時は、忙しくて父上に構っている暇がなかったんだ」
「だからあの時──兄さんが来た途端、父上が大人しくなったの?」
驚きを隠せず、瞬きを繰り返すカイ。僕も心当たりがある。父上に王家の未来を説いた時と、セイラを迎える時とでは随分様子が違った。たしかに、交流会にはノアがいたけど……
「あぁそうだ。カイには塵を見るような目で睨まれたけれどな」
カイが気まずそうに視線を逸らす。
「……嫌われるのは、簡単だった」
ノアはそう言って、目を伏せた。
「お前らが俺を嫌ってくれるほど、計画は上手くいってた」
淡々と話すけれど、その裏の苦労は。僕には、想像もつかない。
「このことは信頼がおける数人しか知らない。だから、現状把握から呪いをかけた本人を探し出すまでに、数か月をかかった。突き止めた頃には、隣国の王子も呪いにかけられていた」
「セイのこと?」
頷くノア。その表情が黒くかげる。
「あぁ。でもあと一歩のところで、邪魔が入った。あの女だ」
ミュリエルの登場。数か月ってことは、ノアは僕と同じ年齢で、これをやってのけたってことだ。
無表情なその顔からは、大した苦労も伺えない。
「ミュリエルが出てくる、つまり犯人がアドルなことは同時に分かった。けれど彼女は、現状を維持しなければお前たちを殺すと、脅してきた」
「それは……僕らを殺すならとっくに殺っているはずだよ?」
戸惑った声を上げるカイ。たしかに、幼い僕なんて一瞬で殺されそう。
「だが殺さないという確証はどこにもないし……彼女にも訳があるようだった。呪いを解いたことを黙っている代わりに、俺に動かないよう、一種の取引をもちかけてきたんだ」
「それは……」
虚空を見つめるノア。ここまでノアを追い詰めるなんて、ミュリエルはやっぱり只者じゃない。
「そのまま数年の時がたった。カイはその才能を生かし天才バイオリニストとして、レンは王子として優しく明るく育っていった。その二人の成長が、誇らしかった」
明るいその笑顔で微笑まれると、なんだか胸が痛い。
「けれど」
声を固くするノア。
「平和というのは……長くは続かない。カイの他国への演奏、母上の失踪、レンはセイラを婚約者に、父は呪いにより精神を病んでいった。そしてミュリエルが、黒幕が動き出したんだ」
ノアの行動には、全て意図があった、なんて。
じゃあ、豪華客船でのことは?
「じゃあ船の上で女の子を殺したのは? あの子には家族もいたんだよ?」
僕の声に、眉を寄せるノア。その口が、ためらいがちに開かれる。
「……敵に、操られていた」
それ以上、言葉が続かなかった。
「泳がせると、案の定、大勢の客が俺を出迎えてくれた。皆殺しにしたが……」
カイの指が、僅かに震える。
あの大量の血は全部刺客の物だったんだ。
「でも、あの女の子を操っていた敵を殺したんだよね? なら――何で殺したの?」
ノアの視線は落とされている。
「ノア?」
その声に、ようやくノアが顔を上げた。
「彼女の瞳には、爆弾が仕込まれていた」
その言葉の意味を、すぐには理解できなかった。
目に、爆弾?
「彼女はただの市民だ。けれど、あの術式が発動したら、船は木っ端みじんになる。けれど……殺すしかなかった」
カイが顔をしかめる。次の言葉を探しているようだった。
「なぜなら、お前が来た。本当に想定外だったんだ。何より一晩中闘っていたことに驚いていた。姑息な手段で判断を迷わせ、一般市民を迷わず盾にする、そういう奴らだった」
「誰だったの、そいつら?」
自分の想像しているよりも冷たい声が出た。でもそれよりも、許せなかった。
その女の子を犠牲にしたことが。
彼女の家族が泣き叫んでいる姿が。
「……悪名高き殺戮集団だ」
ノアは、一拍置いた。
「トレードマークは、赤と黒のトランプ」
その瞬間、カイの表情が変わる。
「それって、ミュリエルたちを攫った――」
ノアは、否定しなかった。
「あぁ」
低い声が、部屋に落ちる。
「断罪の道化団だ」
深い沈黙が辺りを包んだ。
「断罪の、道化団……」
世界で指名手配中。
正体不明。
「レン、お前に幼少期の記憶がないのは知っているか」
「え、!?」
カイの驚く声。ノアが僕の目を見つめる。揺らいでいるその瞳に、小さくうなずいた。
「うん。ちょっと前に思い出したよ。父上が、魔法で消したんだよね」
「あぁ。そのわけを……知りたいか? 知れば、お前は危険に近づく」
戸惑いがちに開かれた口から出る言葉。肩が揺れる。
「うん」
「それを話すにはまず、ミュリエルとアドルの話をしよう。あの日――二人の母親が殺され、ミュリエルとアドルがさらわれた日、一体何が起こっていたのか。カイも落ち着いて聞いてくれ」
「分かった」
カイもゆっくりと頷く。その様子を見て、ノアは口を開く。
「あの日――父上と母上は公務でいない時に、道化団はやってきた。ミュリエルの懸賞金が目当てだろう。だが、それだけでも森に火を巻き、証拠は塵一つ残さない。それが奴らのやり方だ。ところが――」
僕と、カイの顔を見つめるノア。
「その森には、カイとレンがいた。見張り役はそれに気づき、お前らを殺そうとした。カイは殺されかけ、それをレンが目撃した。幼いレンは感情の制御が出来なかったんだろう。その勢いのまま、エンドラゴンを呼び出した」
「エンドラゴンって……最後の皇黒龍? あの伝説の!?」
「僕が、エンドラを?」
カイが声を上げる。あの生意気なエンドラを、僕が、幼い僕の魔力で呼び寄せた?
「そうだ。だがエンドラは暴走し、それにより、道化団は証人の完全抹殺をあきらた。森は完全に燃えつくされ、二人は命の危機に陥った」
喉がひくりと鳴った。
「……僕の、せいなの?」
その言葉に、ノアが優しくささやく。
「違う。けれど父上は誇り高き道化団がその屈辱を晴らしにくる――その時を恐れた。そこでお前の記憶を消すことにした。彼らの中には……心を読める奴もいるからな」
おぼろげながら記憶が浮かび上がってくる。泣いている、父上と母上……
「もちろん、記憶は戻すつもりだった。アドルに呪いをかけられなければ、な」
「だから……幼いころの記憶がなかったんだね」
「あぁ。でもレンは自力で思い出した。もう、父上の力を超えているかもしれないな」
誇らしげな目で僕を見つめる。それだけ、学院で成長できたのかも。
黙っていたカイが、隣で静かに口を開いた。
「それなら兄さん、母上はどこに?」
「……可能性は二つある。一つはアドルに捕らわれていること。もう一つは――」
言葉を止める。その表情が、全てを物語っていた。少しした後、戸惑いがちにノアが問いかけてくる。
「レン、お前はアドルと……戦いたく、ないのか?」
「僕が、アドルと?」
「あぁ」
僕は――どうなんだろう。彼の気持ちにも同情できる。けど、戦わなければ呪いは解けないままだ。母上も、そしてミュリエルを助けることもできない。
「できれば戦いたくなんかない。けど今回は、そうも言ってられないから……戦うよ」
「そうか。それを聞けて良かった」
安心したようにため息をつくノア。そして、僕らを見つめた後――
「ぇ!?」
「に、にいさん!?」
ノアが、僕達を、抱きしめていた。その肩は小刻みに震えている。
ノアは何も言わなかった。
だから僕達も、何も言わなかった。
ただ、無言の時間が流れていった。
*
「どうしてアドルは複雑な呪いをかけたの? 人格を操る魔法とか、女にする魔法とか」
僕の目の前に座る王女。ミュリエルに問いかけると、その肩が少し揺れた。
「オルフェオの王族に呪いをかけたのは――半分はお母様を見殺しにしたから。もう半分は、負の感情を集めるため。王政が崩れれば国民たちの不満は溜まる。だから、わざわざ人格を支配した。そして、セイを女にする呪文を提案したのは、私よ」
彼女の顏にはひどく悲しげな色が映っていた。
「セルラルドは決して治安がいい国じゃない。そんな中、第二王子の方が圧倒的に魔力を多く持っていたら――」
無言でうなずく。王位継承権争いから、セイを遠ざけたってことか。
「ルミナスの王族に何もしなかったのは、正常な状態で支配するため。絶対に、この手で、殺すためよ」
ミュリエルは言葉を切る。深い憎しみと、悲しさが詰まった声。
そこでため息をついて、僕の目を見つめる。
「でもね、レン。あなたに呪いを掛けなかったのは……アドルが反対したからなの。あなたの優しさに、アドルの心は揺らいでいた。それも――事実なのよ」
視線をそらし、ミュリエルは口を開こうとして、また閉じる。
「アドル……」
悲しく透き通った声が通っていく。
本当はアドルと戦いたくなんてない。だけど――




