45.ピンチを救う救世主
静まり返った世界に響く靴音。その音は僕の前で止まった。しゃがみ込み、ミュリエルの額に手を当てる、指輪の嵌った大きな手。レン、という低い声と青い瞳が凍った心を突き動かす。
「は、はい!」
「今からお前をこの女の記憶に送り込む。彼女はおそらく最深部――感情が一番左右される場所にいるだろう。そこから彼女を連れ出してほしい」
ミュリエルを、連れ出す……彼女の心は今、どうなっているんだろう。
「無理だったらカイを送るから、安心して戻ってこい……できるか?」
心配そうな瞳で、そう言われる。
「うん」
力強く頷くと、ふっと表情が緩んだ。そのまま頭に手置かれる。
「頼んだぞ、レン」
その言葉と共に、僕の意識は抜けていった。
傾いたレンの体を、ノアは受け止める。ミュリエルの隣にそっと横たえて、二人を囲む防御結界を張る。そして今度はカイのもとへと瞬間移動した。
「!?」
驚いたカイが、手を広げて俺を睨む。敵か味方か判断しかねているんだろう。やがて、その表情が、驚愕の色に染まった。
「兄さ、ん……」
急に糸が切れたように、ゆっくりと前のめりに倒れるカイ。その体を受け止めると、濃い血の匂いがした。その後ろには、雪に倒れているセイラの姿がある。二人を抱え上げて転移し、結界の中へ入れた。みな損傷がひどい。特にカイとセイ。
魔法を解除すると、一斉に動き出す世界。
巨大ゴーレムがこちらへと氷ブレスを放ってくる。
「遅い」
ノアはその後ろにワープして、超高濃度に魔力を圧縮していく。多少地形が変わることを計算に入れたまま。
ノアは振り返ったゴーレムに向かって、その塊をぶつける。そしてつづけざまに全身に蹴りを入れた。
その一撃ごとに、ゴーレムの巨体が削り取られていく。抵抗の余地すら与えられないまま――
やがて鈍い轟音と共に、土ぼこりと粉雪が舞う。それがおさまった時、残っていたのは水色に光る結界だけだった。見渡す限り一面が砂漠と化している。
雪も、岩も、木も、森も、全てがなくなっていた。
その様子を無言で眺めていたノアは、ゆっくりと地面に降りて結界の方へ向かう。そして、結界を解き、乾いた地面に座り込む。そこで、回復魔法をかけ始めた。
「遅くなって……すまない」
何もない乾いた世界に、その声がぽつりと響いた。
*
真っ暗な闇に、僕はいた。目の前には膝を抱え泣いている少女、ミュリエルだ。
「もう帰ってよ。何しても無駄だから」
そうわめく彼女。その様子に、何故かもやもやする。
「どうして?」
「もう嫌なの。いいの、もう死ぬから」
静かにつぶやくその声は、震えていた。心の中でもやもやが大きくなる。
「どうして死にたいの?」
「どうしてって、こっちの台詞よ! どうしてあなたはここに来たの? もういいから死なせてよ!」
囁くようなうめき声に、段々と腹が立ってくる。
あぁそうだ、僕は今、怒ってるんだ!
「じゃあなんで死なないの? 今、君は生きているの? 勝手に暴走して、迷惑かけて」
冷たく言い放つと、肩を揺らすミュリエル。
「それは……だって」
「なに?」
「だって、もう、どうしようもないの」
「なにが?」
「私、頑張ったもん! できる限りのことはやったの!」
涙をためながら、こちらを睨んでくる少女。けれどその顔は段々と下がっていった。
「でも、無理だった……結局、最初から……」
今ミュリエルの顏が、見えていなくても分かる。
「どうしようもないの。ここから先が、真っ暗で見えない。でもあの子を……」
消え入りそうな声。
「ねぇ、顔を上げてよ」
「いや! もう嫌なの! なにもかも!」
「上げてよ」
「もう構わないで。私に構わないでよ!」
「いいから僕の目を見ろっ!」
その声に驚いたのか、顔を上げるミュリエル。その顔を掴んだ。彼女の瞳に、僕が映る。おそらく、僕の瞳にも。
「死にたい?じゃあ、どうしてそんなに切なそうな顔をしている?どうしてそんな、悲しそうな顔をしているんだ!」
「っ」
目をそらす。けれど、言葉からは逃げられない。
「少なくとも、そんな顔をしているミュリエルを、死なせることはできないよ!」
震える声。息遣いが、何もない空間にこだました。彼女は顔を上げる。
「なんっで……なんで私を、ここまで」
「ミュリエルを――待っている人がいる。それに、僕は君に死んで欲しくない、生きていて欲しい。その気持ちだけじゃ、生きる理由にはならないのかな?」
その声に、かすかに揺らぐ瞳。
「困っているなら、助けるよ。世界中どこへでも駆けつけるよ。それに、君は、僕に助けを求めていない。まだ、僕がいるよね?」
「……っ」
「ミュリエル。君の本当の願いは? 本当は、ミュリエルは、どうしたいの?」
その笑顔を見た瞬間、胸の奥がほどけた。涙があふれ、嗚咽が、声がこぼれ出る。喉元まで出かかった言葉が、一気に放たれた。
「生きたい! わたし、生きたいよ。レン、助けて……私を、助けてっ!」
その声に、ふふっと、声を上げるレン。天使の微笑みが私を貫いた。
「……任せてよ。僕は王子だからね」
「うん、……うん」
「あとで、聞かせて、事情を。じゃあ、外で待っているから」
背中に羽を付けた天使は天国へと飛び去って行った。その姿を見送って、自分の足で立ち上がる。
目の前に大きな鏡が現れた。悲しい顔をした自分が映っている。
”いいの? 一生後悔することにもなるかもしれないよ”
「そんなまさか」
”ううん、無理よ。レンに私が救えるとは思えない”
「あるよ。私、死んでない。わたし、本当に死ぬって、壊れるって思っていた。事実、心は死んでいたもの。でも生きている。それが答え」
その言葉に、鏡の前の自分は眉を寄せる。そして、そっと問いかけてくる。
”本当に……後悔しないの?”
「後悔しない選択なんて、きっとないよ。それでも私は、この道を選ぶの」
そういいながら、鏡に手を置く。水面を触るように、ゆっくりと鏡が溶けていく。
”じゃあ……後悔しないようにね”
ちょっぴり切なそうなその声と共に、黒塗りの世界がはじけ飛んだ。
そう、後悔しない選択肢を自らの手で作り出していく。過去の後悔を無駄にしないためにも。
体をまばゆい光が覆い、意識がそこで途切れた。
*
「おいレン、起きろって!」
その声と共に、冷たい液体がおでこから顔全体へと流れていく。
「う、ん」
目をこすって体を起こす。そこは、どこかの部屋の様だった。朝日がきらきらと白いレースを揺らしている。
戻って――きたんだ。
寝ぼけた眼で正面に目を向けると、見覚えのある少女が立っていた。ニヤニヤした笑顔を浮かべている。
「おはよ、レン!」
「……?」
セイ、ラ? なんでここに? そう思ってあくびをしていると、不意にその手が濡れているのに気づいた。心なしか髪も重たい。ぽたぽたと落ちる水滴。
「あーあ、レンが起きないから」
そういいながら風魔法で髪を乾かすセイ。
「ほらほらぼーっとしてないでさ」
「――乾かしたから、許されるわけじゃないからね?」
つまり、こいつは僕の、朝一の僕に水をぶっかけてきたんだ。随分と乱暴な目覚めだと思った。
「ごめんって、起きなかったからつい……」
「つい?」
冷ややかな目で見つめると、その顔はどんどんきまり悪そうになっていく。
「ご、ごめんなさい、もうしないから許してください」
「うん」
そういいながら辺りを見渡しても、まるで見覚えのない家具に景色。えっと、記憶を思い返そう。確か――
「セイ、なんで学院、爆破して逃げたの? 僕を裏切ったの?もうしないって約束したのに?」
「いや違うちがいます聞いてください」
セイラが慌てた様子で首を横に振る。セイラの状態でも、話し方がセイって事は――どういうこと? とりあえず話を聞こう。
「あのですね、俺はミュリエルにですね」
「敬語やめれる?」
「あ? だから、味方になってくれないとチトセと結婚するって言われたから」
「うん」
新聞では婚約発表って書いてあったけど?
「誘拐された風でって頼んだら、それをレンに見られたわけ。ていうかあんな火事の中突っ込んでくんなバカ!」
「それは……ごめん」
だから、あの時セイと一緒にミュリエルがいたんだ。
「で、仲間になったら、もう婚約を結んだから、破棄して欲しければオルフェオ破壊しろってさ」
「……は?」
「だろ? だからあの女を裏切ってやったの。もともと味方になるふりだったんだけど、さすがに従うのばかばかしくなったから」
「Oh」
つまり、全部、僕の、勘違いってことか。
セイラはそこで言葉を切って、ずいっと僕の方に近づいてくる。
「だから俺は約束破ってないの! お前を裏切ることなんて、もう、しないよ。これから一生」
語尾が弱々しく消えていく。その様子を見て、言葉を探していると、セイラはくるりと回転する。ドレスがふわりと揺れた。
「ってことで早く行こうぜ?」
「どういうわけで? 行くって、どこに?」
振り返った口元に浮かぶのは、嬉しそうな笑顔。
「そりゃあもちろん、黒幕ぶっ潰す作戦会議に、だよ」




