41.セイラ・レオンハートの正体
「神様って残酷だよね。僕にはやることが途方もなくあるよ」
ソファにもたれかかってそう呟くと、後ろの執事が驚いたように声を上げた。
「レン様が神を信仰なさっていたとは。初耳です」
「いや信じてないけど。なんかないの? 主人を褒めるとかさ」
「そうですね……ようやく、レベッカ・ゲーテの調査が終わりました。遅くなり、大変申し訳ありません」
その言葉と共に紙の束を差し出してくる。早く言ってよ、と目を通そうとした時、不意に執事が耳元で囁いた。
「レン様、こちらに向かってくる足音が。レベッカ様のものと思われます」
あまりにも都合のいい訪問に、手元の紙を戻して小声で囁き返す。
「この偶然、お前が操作してるようにしか思えないけどね」
恐縮です、とお辞儀をする執事に、お茶を用意するよう言いつけ、ソファにきちんと座りなおした。それと同時に、控えめなノックの音が響く。
「はい?」
「わたくし、レベッカ・ゲーテです。お話したいことがありまして……失礼しても?」
どうぞ、と声をかけると扉を開く音がしてレベッカが姿を現した。珍しくクロエはいない。
そして向かいの席に腰を下ろす。
「どうかしたの?」
いつもの彼女とは、明らかに雰囲気が違う。
「……わたくし、狐が好きなんですの」
そう微笑みながら唐突に話を始めた。頭の中で首をかしげながらも、頷く。
「狐は安易な罠には嵌りませんし、餌にだって飛びつきません。……いずれは捕らわれてしまうのに」
ちょうど紅茶が運ばれてきて、それを手に取る彼女。
「ですがどう足掻いても無駄なのであれば、いっそ無抵抗というのも一つの手段なのかもしれません」
湯気が表情を覆い隠す。
「もうご存じかもしれませんが」
食器が置かれた音がして、彼女は伏せていた顔を上げる。
「わたくしの本当の名前はセイラ・レオンハート。セルラルド王国レオンハート家の、一人娘です」
二人の間に、沈黙が流れた。
「はい」
その言葉を返すと、彼女はあきらめたように笑顔を浮かべる。
「……流石ですわ」
小さくため息をついて、また、紅茶のカップを傾けた。
僕もそうしようとしたけれど、喉が開かなかった。太ももにおかれた手には汗がにじんでいる。
レベッカがセイラ・レオンハート……??
追加の紅茶を運んできた執事を睨むけれど、涼しい顔で受け流された。
その時、レベッカ嬢が机をバンっと叩いて立ち上がり、こちらに身を乗り出してきた。その勢いに思わず身を引く。
「ですが、セイ様は悪くないんです!」
資料がないから彼女の言葉の意味が理解できない。
「仕方がないことですもの! それに、」
歯切れが悪そうに、言葉を続ける。
「悪いのは断り切れなかったわたくし、ですから……」
その瞳に一瞬の悲しさが、深い後悔が映って息をのむ。
「ですから、セイ様は優しい方なんです。本当に、すごく。わたくしが……」
みるみるうちに涙がせり上がってきて、薄くピンクに染まった頬を流れた。あとからあとから流れ落ちる水滴は粒となって輝く。握りしめられた手は細かく震えていた。
彼女がなぜ泣いているのかは分からない。
けれど、気が付けば身を乗り出してその涙をぬぐっていた。驚いた顔と目が合う。
彼女はそのままソファに泣き崩れてしまった。
その声に出てきたジェームズは、悲しそうな表情を作り、目配せをしてくる。もちろん彼女にそっと、ハンカチを差し出しながら。
『レン様……女の子を、泣かすなんて。わたくしは悲しいです』
『いや泣かしてないからちょっと黙ってて!』
その目を睨み返した時、小さな声が聞こえた。ハンカチを握りしめ、うつむいたままの彼女から。
「……だから」
「?」
聞こえるように身を乗り出すと、目をつむったまま彼女は叫んだ。
「そんなんだからいけないのよ!この人たらし!天然無邪気!ばか!」
声を出す間もなく、彼女はぱっと立ち上がり駆けていってしまった。勢いよく扉が閉まる。後に残された僕はただ立ち尽くすばかり。目の前からはわざとらしい声がする。
「レン様が泣かせたー」
「はぁ!? だから、あぁもうとにかく早く報告書を見せてよ! おかげで彼女の話なーーんにも分からなかったよ!」
レン様……と呼びかける悲しげな声を無視し、その手から書類を奪い取って広げる。読み進めていくうちに、彼女の言葉の意味もだんだんと分かってきた。この情報――
「ジェームズ……これ一体どうやって入手したの? 怖いんだけど」
「手間はかかりましたが――なにせ人泣かせなレン様を育て上げましたからね」
「ハイハイワカッタ答えるつもりはないんだね」
そんな会話を交わしながらも報告書から目が離せない。
これは……想像以上だ。けれど、知ってしまったものは、もう無かったことにはできない。
「……セイと、話してくるよ」
「えぇ」
だけど、一つだけ腑に落ちないことがあった。
「そういえば、なんで、レベッカ、僕のことを“人たらし”って言ったの? 人たらしって、“人を騙す”って意味だよね? 彼女になにかしたっけ?」
その質問に目を開き、言いよどむ執事。何かをぼそっと呟く。
「……天性の人たらし」
「え?」
「いえ、レン様は本当にバカでございますね」
「どういうこと? え、つまり、そんな頭悪そうな顔してるの、僕!?」
鏡を探しに行くレン様。そんなお姿を見て、含み笑いを浮かべる。
王子としては素晴らしいお人。その一方で、”レン”という個人は――
本当に無自覚なお方――そんな愛すべき主人のために、今日もまた、執事は任務をこなすのであった。
*
「ごめんセイラ! レベッカとのこと、どうしても見過ごせなくて調べさせちゃった!」
てへっと愛想笑いを浮かべると、セイラはため息をつく。
「やっぱり」
「ごめんね」
「じゃあ……レベッカとのことは?」
頷くと、セイラは視線を床にずらした。その横顔に言葉を投げかける。
「まぁ、家の格が違うから、色々と不便なこともあったんだろうね」
「ん? なにが?」
「え、だから、レベッカの家柄が……」
噛み合わない話に、思わず顔を見合わる。
「レン、なんでレベッカが俺のこと虐めていたのかわかってる?」
「え? 身分を返してほしかったからだよね?」
絶句するセイラ。慌てて言葉を付け足す。
「もちろんレベッカ、悪いのは自分だって反省してたよ。セイラはそれをわかってたから抵抗しなかったんでしょ?」
「あぁ……」
「それに、苦しんでたよ、本当に」
レン、本当に分かってないんだ。
焦ったようにつけたす顔は、レベッカを叱らないで、と言わんばかりだった。その表情には後ろめたさも迷いもない。そんな社会の闇を知らなそうな反面、その渦の中心にいる王子であることに――俺は惹かれたのかもしれない。
じゃあ――その潔白な王子を、わざわざ黒く染める必要はない。
俺がレオンハート家のセイラという立場を手に入れたのは、俺が仕組んだことじゃない。けれどその娘と、立場を利用する負い目。俺の心はそれほど強靭じゃなかった。
俺は呪いの解析を進め、レンと出会った。彼女の嫌がらせは、見せつけでもあったんだろう。レンが干渉するとややこしくなりそうだから忠告したけど、それで止まらないのがレンだ。
「え、本当にどういうこと、セイ? もったいぶってないで教えてよ!」
その無邪気な瞳は隠しきれない優しさにあふれている。
彼女はレンを見張った。それが、全てだ。
とにかくもう手は出してこないだろうし、呪いに関しても……目途は立った。
「教えるわけねーだろバーカ。知りたきゃ自分で調べろよ」
そして、立ち上がって大きく息を吸う。俺は俺の大切なものを守るために闘う。
そして俺の一番大切なものは――




