31.確かに中庭は広かった
この学園の中庭は広大で迷路のようになっているため、利用する人は少ない。
そんな噂を聞いて中庭に出てみると、向こうから知った顔の人物が歩いてくるのが見えた。寸分狂わず縦巻きにカールされた淡いすみれ色の髪に、高いヒールのついた靴を履いたご令嬢。その後ろでは、一つにまとめられた髪の毛がふわりと揺れていた。
レベッカとクロエだ。クラスメイトというだけであまり接点はなく、会話を交わしたこともまだ数回しかない。けれど、レベッカに対しては、あまりいい印象を持っていなかった。
それもそれはず、最近のセイラは……ずっとレベッカを気にかけている。あのじゃじゃ馬セイラが、この学園に入ってから――正確にはレベッカと会った時から――猫を被ったように大人しい、というのは不自然に思えた。
「なにか御用でして?」
バサッと、扇が開かれレベッカの口元が隠れる。どうやら見つめ過ぎたらしい。この際だから聞いてみようか、と口を開いた。
「いや、あの、レベッカって……セイラのこと嫌いなの?」
その質問に、扇を仰ぐ手が止まった。瞬間、空気を切り裂く鋭い音が聞こえる。
「クロエ!」
「え?」
目の前には、小刻みに震えるこぶしがあった。透き通る目が怒りをたたえ、こちらを睨む。熱い息が首筋をかすめた。
「っ貴様は、レベッカ様を!」
「下がりなさいクロエ、わたくしは大丈夫ですから」
なお下がらないこぶしに向かって、レベッカが声を張り上げる。その声にふっとクロエからの殺気が消え、こぶしが力なくおろされた。それと同時に首筋を汗が流れる。
今、僕は、彼女に、殴られるところだった? 直前まで全く気づかなかった。彼女は――メイド兼暗殺者だ。素早く回転する頭とは裏腹に、口からは焦った声が出る。
「ごめん、何か気に障るようなこと言ったよね!本当にごめん」
その言葉も二人には聞こえていないようだった。レベッカの持っている扇は細かく震え、クロエの突き刺すようなまなざしが刺さる。ぽつりと、レベッカが声を発した。
「……わたくしがセイラ様のことを嫌いなのかと、おっしゃいましたね」
普段の強気な態度からは想像できない、弱々しい声だった。
「答えは“いいえ”です。わたくしはあの方をお慕い申しておりますわ」
そう答えるレベッカの表情に偽りはない。でも、それならばなぜ、セイラはあんなにもレベッカのことを恐れているのか。
「ですが、それと同時に……どうしようもない反感と倦怠の念が胸をよぎるのもまた、否めぬ事実なのです」
そして、と続ける。
「レン様、それはあなたに対しても、ですわ」
「……え?」
レベッカはそう言い切って、悲しそうに微笑む。クロエが、驚いたようにその顔を見つめた。二人の視線が交差し、またレベッカの口が開く。
「そのことをゆめゆめお忘れなきように。クロエ、行きますわよ」
「はい、レベッカ様」
優雅に脇を通り過ぎるレベッカに続いて、クロエがこちらへ身を乗り出してきた。主人に聞かれないようにか、耳元で囁いてくる。
「お前はさっき、言ってはならないことを言った。次にレベッカ様を傷つけたら――容赦はしない」
低く、けれど強い声。殺気のこもった瞳がこちらを睨む。
そうしてレベッカの後を追いかけていった。
二人が立ち去った後。ひとまず僕は、近くに置いてあった椅子に腰を掛けることにした。冷たいベンチに腰を下ろして、両手を組む。
クロエと、レベッカが何を言いたいのかは分からない。けれど、レベッカ・ゲーテとセイラ・レオンハート。二人には何か深い因縁があると、考えずにはいられなかった。
そんな一部始終を窓から見ている人物がいた。
「レベッカ……」
その顔は、苦痛と後悔に歪んでいた。
*
「レン」
椅子に沈んでいた顔を上げると、セイラが立っていた。
「ちょっと、話があるんだけど」
辺りを見渡す。誰もいないのを確認して、指輪を外すと、セイが姿を変身した。第二王子は楽しそうに自分の姿を確認して、制服のパーツをいじる。
「セイ、それで?」
「あぁ……あのさ」
秋の冷たい風が、二人の間を吹き抜ける。
「レベッカと俺のこと、気にしないでほしいんだ」
「え?」
「正確に言えばセイラの時の俺とレベッカだけどな。とにかく、心配しなくて平気だからさ」
そう言い放ったセイの笑顔は、どことなく硬いものだった。まるで何かを隠しているように。つまりセイが言いたいのは。
「セイラがレベッカに虐められていても、助けるなってこと?」
「そう」
「……なんで?」
声が裏返った。辺りに緊迫した空気が漂う。セイは、姑息な手段を使う人間を軽蔑している。それなのに、どうして。なぜか、違和感を感じていた。そんな僕を見てセイは眉を下げたような気がしたけれど、それも一瞬のことだった。
「それは秘密」
冷たく硬い響き。確かな拒絶が、そこにはあった。
「……わかった。何かわけがあるんだよね。これ以上、関わらないでおくよ」
「ありがとう。あと、なるべく俺と会話しないようにしてくれると助かる、少なくともレベッカの前では」
「分かった」
外交的スマイルを浮かべると、ほっとしたようにセイは安堵の息をついた。
「それじゃ」
指輪をはめ戻っていくセイラを見送ってから、表情を戻す。
「レベッカ・ゲーテについて調べて」
「御意」
その言葉と共に後ろの茂みから気配が消えた。再度ベンチに座り、シュワルツの教室を眺める。セイにはセイなりの理由があるかもしれないけれど――僕も僕なりの信念がある。僕の目の前で、絶対に、そんなことは許さない。
冷たい風が吹き抜け、不気味な音がする。冬の気配が近づいていた。




