24.一難去ってまた一難
月がようやく眠気を感じ始めたころ、僕とセイはバルコニーに立っていた。
雲ひとつない夜空に、満月が静かに世界を照らしている。
「セイは満月の時しか男になれない? でも、演奏会は男の姿だったし、僕と会った時も男だったよね?」
僕の問いに、セイはふっと笑って右手を掲げた。月光を受けて、指に嵌められた銀の指輪がきらりと光る。宝石が埋め込まれたその指輪は、まるで星のように淡く輝いていた。
「それは、これのおかげなんだ」
「指輪……?」
「そう。この指輪に魔力を流し込めば男の姿になれる。消費量が多くて、効率が悪いけどな」
そう言って、セイは左手で指輪を軽く叩いた。その仕草はいつも通りの軽く、底が見えなかった。それを聞いて、僕の胸の中にある確信が生まれる。
「じゃあ、セイラが倒れた時って、もしかして……」
「そ。あの時は魔力を使いすぎたんだ。なにしろ演奏会の準備中、ずっと使ってたから。でもあの時は大変だったんだぜ?」
セイは肩をすくめて、わざと頬を膨らませてみせる。
「盗賊みたいなのに付け回されててさ。戦うには、元の姿に戻るしかなかった」
記憶がよみがえる。確かにあの時、地下にいたのはセイだった。
「あの時、セイは、盗賊と戦ってたってこと?」
「そう。お前が来た時、俺、ほんっとにびっくりしたんだぜ? なにせ後ろに死体が転がってたからな?」
セイはそう言って笑うけれど、その目の鋭さは消えない。月光が彼の横顔を照らし、影が深く落ちた。
「そういえば……レンはなんであそこに来たんだ?」
不思議そうに見つめてくるセイに、僕は視線を返しながら答えた。
「なんか、女性に、そこでセイラを見たって声をかけられたんだ」
「げっ、ほんとかそれ?」
「うん。ただの勘だけど……ルミナスの人だと思うよ? 雰囲気がそんな感じだったから」
セイの顔が強張る。月光が彼の瞳に反射し、わずかに揺れた。
「ってことは……俺の正体、もしかしてそいつらにバレてる?」
「それは分からないけど、バレたらやばいのは分かるよ。まぁその可能性は高そうだけどね」
そう言うと黙り込んでしまう。風が少し強くなり、夜の深まりを告げていた。僕はセイの横顔を見つめながら、静かに思う。
強国セルラルドの第二王子が、実は女になる呪いをかけられていたなんて。下手すれば国の存続を揺るがす大問題になりうる。それでも――それでも、僕を信じて言ってくれたんだ。
僕にだけは真実を語ってくれた。その事実が、胸の奥で静かに熱を灯していた。
「どうして、セイはその呪いにかけられたの?」
胸の奥に引っかかっていた疑問を投げかける。なぜ彼がそんな理不尽な運命を背負わされているのか。
「それが、分かんないんだ。俺がこの呪いを発症したのは、忘れもしない、六歳の時だった。唐突に、女の姿になったんだ」
言葉には悔しさが滲んでいた。それでいて、どこか腑に落ちない――そんな口調だった。突然、何の前触れもなくかけられた呪い……
「呪い、解けないの?」
僕の問いに、セイは肩をすくめて、呆れたように言った。
「解けてたら、今頃は俺に呪いかけた奴を半殺しにしてるって!」
その言葉に、思わず苦笑いした。けれど、その暗い瞳の奥には、苦しみが宿っている。
「でも、解けない。それほど高度で複雑な呪文なんだ。凄腕の魔術師か、俺をものすごーく恨んでる奴かわからないけど、とにかく難解らしい。一生解けないかもしれないんだ」
その言葉に、僕は息を呑んだ。一生、女の姿で生きるかもしれない。もし自分がそうなったら、と想像するだけで、背筋が冷えた。セイは、その恐怖を抱え続けてきた。そして、これからも抱え続けるんだ。
「数年かけて、敵の所在地は調べられた。すぐさまそこに向かったよ。けど、そこは辺り一面魔力が満ち溢れていて、詳しく調べるのは困難だった」
セイは拳を握りしめた。その手が悔しそうに震えている。魔力が満ちている場所、それはつまり。
「ルミナス王国、だったんだね……?」
「……あぁ、俺に呪いをかけた人物は今、生きていて、ルミナスのどっかにいる。それだけは、分かってる。けど逆に言えば、それ以外は何も分からないんだ」
ルミナス。その名を聞いた瞬間、母上のことが頭に浮かんだ。忙しくて気に掛ける余裕がなかったけれれど、行方が分からない母上。何かが繋がっているような。僕は、ルミナスに行かなくちゃいけない。なぜだか分からないけれど――全ての答えが、そこにある気がした。
「セイ、僕、ルミナスに行くよ」
夜風が静かに吹き抜けるバルコニーで、僕はそう告げた。月は高く昇り、雲の切れ間から淡い光を落としている。セイは驚いたようにこちらを見た。瞳がわずかに揺れる。
「ルミナスに?」
「うん。色々と確かめたいこともあるしね。それに……」
演奏会で出会った、あの美しい女性。カイのあの様子からして、彼女も無関係ではないだろう。王族に対抗できるのは、自分も王族である場合のみ。セルラルドでないなら、それはすなわち――ルミナスの王族。
「僕、ルミナスの魔法学校から招待状が来てたんだ。それを口実に、ルミナスに行ってみるよ」
そう言って笑顔を見せると、セイもいつもの笑みを浮かべた。
「それなら、俺のとこにも来てたぜ。……じゃあ俺も、ルミナス、行こっかな」
「ほんと!? ……お互い、頑張ろうね」
「あぁ。ってレン、俺のこと、外ではちゃんとセイラって呼べよ?」
「わかってるよ!」
「ほんとかー? 怪しいけどな?」
セイは一転して生意気な口調を叩き、笑い出した。その笑い声につられて僕も笑う。バルコニーに、明るい笑い声が広がっていく。月光が二人の影を並べて、床に落としていた。その笑い声も収まり、沈黙が流れる。ふと、セイが僕の方に向き直った。
「そういえばレン、俺――」
「レン!」
突然、扉が激しく開いた。重い音が部屋の空気を切り裂き、カイが焦った様子で飛び込んできた。蒼白な顔。目は僕だけを捉えていた。
「大変だ、レン、父上が!」
その言葉に、胸がざわついた。普段冷静なカイが、こんなにも取り乱している。嫌な予感が背筋を冷たく撫でていく。
「父上が、危険な状態らしい。今すぐここを発つよ」
その声は確かに耳に届いていた。けれど、脳が理解を拒んでいた。血の気が引いていく。
「ち、ちうえが? どうして……突然?」
なんとか言葉を絞り出す。 カイは一瞬だけ目を伏せ、そして静かに告げた。
「おそらく、何らかの“呪い”にかけられているそうだ」
その言葉に、肩がピクリと反応する。先ほどのセイの言葉が、胸の奥で重く沈んでいく。
『ある日突然かかって』 『一生解けないかもしれない』
月が雲に隠れ、部屋の光が一瞬だけ揺らいだ。風が止まり、空気が張り詰める。笑い声の残響はもう消え、代わりに静かな恐怖が、部屋を満たしていた。僕は父上の名を心の中で呼びながら――この夜が何かの始まりであることを、直感していた。




