22.それぞれの思い
僕が襲撃されてから、三日が経った。
「もう少しだけここにいてほしいんだ、レンくん」
柔らかく微笑むチトセ。
「けど、レンは襲撃されたって聞いたぜ? そんなとこに、これ以上置いておくのもなぁ?」
ノアの言葉は、いつも唐突で、配慮に欠ける。けれど、今回はそれ以上に嫌みがこめられていた。その声に、僕は黙って視線を動かす。真紅のソファにだらしなく腰を沈め、足を組み、口を半開きにしたその姿。王族の威厳など微塵もない。それでもなぜだか、彼の言葉には妙な説得力があった。
「レンも、こんなところにいたくねぇだろ? な?」
僕の意思など、初めから聞く気はないのだろう。それでも、口を開く。
「どうして、僕をここに留まらせたいんですか?」
本当は、もうここから離れたい。これ以上、セイラに振り回されたくない。そして、あの襲撃が夢に出てくるほど、僕の精神は疲労していた。だから、一刻も早くオルフェオに帰るつもりだった、けれど。
「それは……」
チトセは言葉を詰まらせ、窓の外に視線を向ける。
「……レオンハート家は、代々セルラルド王家に仕えてきてくれた」
ひっそりと呟かれたその言葉に、僕は眉をひそめる。
「だから、その一人娘からの願いを、俺が断れるはずもない」
「……つまり、うちの弟をセイラちゃんが――誑らかそうとしている、ってことか?」
ノアが低く唸る。背筋が凍り、息が詰まった。その表情は変わらない。けれど今は、全身から鋭い殺気が漏れ出している。
永遠にも思える数秒が過ぎる。ふいに、チトセが穏やかに言った。
「そんなに怒らないでよ、ノア。……ね?」
その瞬間、圧迫感がスッと消えた。僕は膝から崩れ落ち、床に手をつく。
「……っ、は……はぁっ……!」
ノアの殺気で、息が、できなかった。肺が空気を求めて悲鳴を上げる。
「レ、レンくん!?大丈夫!?」
チトセが駆け寄ってくる。ノアは微動だにしない。ぼやけた目でも、ノアの視線が凍りついているのがわかった。
「はい、それで……セイラが、僕を引き留めてるっていうのは、本当なんですか?」
これ以上ノアと同じ空間に居続けるは耐えきれない! 急いで言葉を吐き出す。
「……ああ。そうだよ」
その声は少し掠れ、刺のある響きを帯びていた。
そのまま僕を見つめたあと――ふっと、彼は表情を緩めた。
「レンくん。今日は……満月だね」
「……そうなんですか?」
灰色の雲に覆われた外を見て、内心首を傾げる。雲に隠れているのに見えるなんて、やっぱり末恐ろしい。チトセは、僕とノアを一瞥して、寂しげに微笑んだ。
「満月の日は、昔のことを思い出す。レンくん、俺の話……聞いてくれる?」
痛みが滲むその声は、穏やかだった。静かにうなずく。それを見て、静かに語り始めた。
「言っておくけど、これは俺の話じゃない」
その声は、静かに空気を震わせた。部屋の中で、淡い光と影が交錯する。
「ある人にはね、とても大切な人がいたんだ。誰よりも愛してやまない存在がね。けれど、運命の女神は残酷で、その人は呪いをかけられてしまった」
チトセは窓の外を見つめながら、言葉を紡ぐ。遠い記憶を見ているように。
「その人は必死に助けようとした。けれどその間に――大切な人の心は、壊れてしまった」
言葉が途切れ、部屋に静寂が落ちる。風がカーテンを揺らし、床に模様のような影を描いた。
「けれど努力が実りその人は、呪いをかけた魔女にたどり着いた。魔女は呪いを解く代わりに、彼から何かひとつを奪うと告げた」
チトセはゆっくりと振り返り、まっすぐに僕を見つめた。
「さてここで質問。“彼”はどうしたと思う?」
「えっ? もちろん、呪いを解いてもらったんじゃないですか?」
それを聞いて、王子悲しそうに微笑んだ。諦めを含んだ、切ない、笑み。
「ところが彼は、解いてもらわなかった。恐れたんだよ、“何かひとつ”が、自分の大切な人そのものかもしれないと。結局、呪いはそのまま。大切な人は今も心に傷を抱えている」
僕は唇を結んだ。胸の奥がざわつく。チトセは、少しだけ口元を上げて、問いかけてきた。
「もしレンくんが“彼”だったら、どうする?」
そんな質問、僕にされても。けれど、彼の瞳は真剣そのものだった。覚悟を決めて、ゆっくりと口を開く。
「……呪いを解いてもらいます」
「本当に?」
「本当です。当たり前じゃないですか?」
チトセの視線が鋭くなる。
「一生、その人に会えなくなるかもしれないんだよ?」
「それでも、大切な人が幸せでいられるなら、それでいいです。僕の幸せは、その人が幸せでいることだから」
チトセが目を見開く。それに、と僕は続けた。
「それに、何かひとつが、大切な人とは限らないです……ある意味、賭けですよね?」
僕の言葉に、チトセの顔がふっとゆがんだ。その表情は、どこか嬉しそうで、どこか悔しそうだった。
小さく、呟く。
「……そういう、ところなんだろうね」
「え?」
「いーや、なんでもないよ。それじゃあ、ノアは?」
チトセがくるりとノアに向き直る。その澄ました顔は、どこか迷っているようにも見えた。
「わからない。その時になってみないと」
「え?」
「ノア、それ答えになってないよ?」
「うっせ、ほんとにわかんねぇんだよ」
二人のやり取りに、僕は心の中で唖然とした。ノアなら絶対、“見捨てる”の一言だと思ったのに。その時、遠くで鐘が鳴った。窓の外の空が、ゆっくりと藍色に染まり始める。それと一緒に、チトセが僕を振り返る。
「レンくん……俺は、君でよかった、そう思っているよ」
ふわりと微笑むその顔に、思わず息が止まった。
「え、は、はいっ?」
オトコの僕でさえ鼓動が高鳴る笑顔。ここに国宝級の笑顔が、じゃなくて、それよりも……どういう意味?
「さーて、引き留めて悪かったね。もう遅いし、お部屋に戻りなさい」
夢のように甘い声に送り出され、僕は気がつけば自分の部屋にいた。窓から見える空には、雲の切れ間から満月が顔を覗かせていた。
*
静かな夜だった。部屋の中には、ページをめくる音と時計の針の音だけが響く。外では風が木々を揺らし、窓の向こうに浮かぶ月が淡く床を照らしている。その静けさを破ったのは、控えめなノックの音だった。
「レン……大事な話があるんだ」
扉の隙間から顔を覗かせたのは、セイラだった。いつもの柔らかな笑顔はそこになく、代わりに張り詰めた表情が浮かんでいる。その瞳は揺れていて、何かを迷っているようにも見えた。僕は手にしていた本を静かに閉じ、立ち上がる。
「こんな遅くに、どうしたの?」
セイラは答えず、ゆっくりと部屋の中へ入ってくる。その足取りは静かで、けれど確かな重みがあった。
「あのね、レン。初めて会った時のこと、覚えてる?」
彼女は僕の前を通り過ぎ、バルコニーの方へと歩いていく。その背中を見ながら、僕は記憶を辿る。
「え? うん、廊下でぶつかったんだよね」
言葉を返しながらも、どこか胸がざわついていた。セイラの歩みは止まらず、バルコニーの扉をそっと開ける。夜風が流れ込み、カーテンがふわりと揺れた。
「それから、婚約者になった。セイラが協力してくれて……ほんとに良かったよ!」
その言葉に、彼女は静かに振り返った。月明かりが彼女の顔を照らし、瞳に光を宿す。その光は、どこか冷たく、遠くを見ているようだった。
「ちがうよ、レン。あなたのために協力してるんじゃない」
その声が確かに僕の胸を刺す。彼女は息を吸い込み、言葉と共に静かに吐き出した。
「……あなたの味方なんかじゃない。だって……セイラじゃ、ないもの」
言葉の意味を理解しようとした瞬間、突風が部屋に吹き込んだ。カーテンが大きく揺れ、彼女の姿を覆い隠す。遠くで、十二時を告げる鐘の音が鳴り響いた。
「本当の姿は……セイラ・レオンハートじゃない」
風が収まり、カーテンが静かに落ち着く。その向こうに立っていたのは――
藍色の髪が月光を受けてきらめき、気品ある佇まいが空気を変える。その瞳は鋭く、けれどどこか哀しげで、読み切れない表情を浮かべていた。
「俺は……セイ。セイ・セルラルド・アリエスタだ」
低く、静かで、よくとおる声。
言葉を失った。
目の前に立っているのは、確かにセイラだったはずなのに――今そこにいるのは、この国の、セルラルド王国の、第二王子だった。




