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第三王子は血縁の糸をほどけない  作者: ひまだひまこ
王位継承権編

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21/50

21.拷問と誤算

「うっ……」

 地下牢の空気が、鈍い音とともに震えた。骨が砕ける音が石壁に反響し、鉄格子の中で男が膝を折る。悲鳴はない。代わりに、血混じりの唾が床に散り、赤黒い斑点が冷たい石畳に広がった。


 エレナは微塵も動かず、ただ男を見下ろしていた。その瞳からは、光が消えている。まるで感情というものが一時的に切り離されたかのように。


「誰に命令されたのですか?」

 尋ねる声は静かだった。けれど、氷のように冷たく、耳に触れるだけで皮膚が粟立つ。


「……言うわけ、ねぇだろ」

 男は顔を歪めながらも、虚勢を張る。折れた足を引きずりながら、鉄格子に背を預ける。その姿は、誇りか、ただの無駄な意地か。


 エレナはわずかに眉を動かし、白い指先をそっと持ち上げる。絹を撫でるように滑らかに。次の瞬間、男の口から鮮血が迸った。喉の奥から赤い液体が噴き出し、鉄格子に飛沫を描く。


「答えなければ、二度と声を出せなくなりますよ?」

 その言葉に、男の肩がわずかに震えた。裁きを下す神官のように揺るぎない声に、戸惑いの色が現れる。


 彼女の周りに、呪文が編まれていく。空気が震え、石畳の上に血の円環が広がっていった。エレナが行使したのは“吐露の呪文”――拒めば声を奪い、魂すら砕く。円環の中心に立つエレナの髪が、魔力の風に揺れた。彼女の影が、牢の壁に長く伸びる。


「誰に命令されたのですか?」

「……ッ、返事は変わらねぇ」


 ゴフッ、と血が逆流する鈍い音が牢獄に響いた。男の顔色が徐々に青ざめていく。人間とは、かくも脆いものか――そんな冷ややかな思いはおくびにも顔に出さない。


「それが、あなたの最後の言葉になるかもしれませんよ。誰に、命令されたのですか?」

「言わねぇ」

 返事は変わらない。けれど、男の目はかすかに揺らぎ始めた。その動揺の隙を逃さず、エレナは静かに指を動かす。男が気を失うのと同時に、彼女の意識は闇の底へと沈んでいった。



 ざわめき。重なり合う声。男の記憶の断片が、黒い水面の下で泡のように浮かんでは消えていく。エレナはその闇を泳ぐように、答えを探し続けた。空間は歪み、時間の感覚が曖昧になる。冷たい風が吹き抜けるたび、過去の声が耳元をかすめる。やがて、彼女の耳に一つの声が響いた。


『――このレンってガキを殺ればいいんですね?』

「……」

 聞き慣れた名に、足が止まる。空間が静まり返り、だんだんと闇の奥に巨大な水晶球が浮かび上がってきた。その水晶の中で流れる男の記憶。水晶には、椅子に腰を下ろし、机に肘をつく影が映っていた。その顔はローブで覆われ、はっきりと見えない。


『えぇ。彼は唯一の障害ですから』

 その声音は、冷たく、鋭く、そして底知れぬ闇を孕んでいた。その声に心臓が、強く締め付けられる。


『しっかしこんな子供が……?』

『ものは試し、というでしょう。彼は今、セルラルドにいるわ。早く行きなさい』

『へいへい、人使いが荒い……』


 男は気だるげに立ち上がり、扉の向こうへ消えていく。 残された女は、静かに囁いた。


『――計画を乱す者は、誰であっても許さない』


 その瞬間、女の視線が水晶越しにエレナを正確に射抜いた。まるで、この精神世界の中で、こちらが見えているかのように。


『保険を掛けておくに……越したことはないわ』

 その声は冷たく、恐ろしく、そして抗えない力を帯びていた。


「――!」

 頭蓋の内側を槌で殴られるような衝撃。視界が白く弾け、エレナの意識は精神世界から強制的に引き戻された。


 地下牢の空気が、再び現実の重さを取り戻す。石壁に囲まれた空間が重くのしかかってくる。エレナは荒い呼吸を繰り返しながら、膝をついた。視界は揺れ、鋭い頭痛は頭を引き裂かんばかりに増していく。胸を抉られるような痛みが走り、心臓が焼けるように熱くなる。


「……せい、ら……様……に……」

 最後の力で名を呼ぶ。けれど、その声は届かない。エレナの身体は石畳に崩れ落ちる。硬い音が牢獄に響き、血の円環が静かに彼女の周囲に広がっていく。光はなく、音もない。ただ、暗闇だけが、冷たく彼女を包み込んだ。



 *

「……」

 鼻腔を突く、鋭いアルコールの匂い。意識がゆっくりと浮上する。まぶたの裏に、柔らかな光が差し込んでいた。


「エレナ?」

 その声に、目を開ける。白い天井の向こうに、逆光の中、立つ人影。光に縁取られたその輪郭は、見間違えるはずもない。


「セイラ様……?」

 身を起こそうとするけれど、力が入らずベッドに沈み込んでしまう。頭を締めつけるような痛みが走り、思わず呻いた。


「っ……申し訳、ありません……」

 主人はベッドの脇に静かに腰を下ろす。その瞳は心配そうに揺れていたが、出た声は鋭かった。


「……巡回の兵が気づかなければ、お前は、死んでいたかもしれない」

 その瞳が揺らぎ、声が震える。けれど、すぐに言葉を継いだ。


「生きててくれて、よかった」

「セイラ様……」

 その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。けれど安堵の色は消え、声色がまた硬くなる。


「それで? なぜ牢獄に倒れていたの? しかも傍らの男は死んでいた、と」

「死んで……いた?」


 小さく息を呑む。確かにあの男に“吐露の呪文”をかけた。けれど、あれは三度の問いを拒んだ者にのみ発動する術。わたくしは、まだ三度目の問いをしていないはず――


「どういうこと? 説明しなさい、エレナ」

 わたくしは、襲撃から意識を失うまでの経緯をすべて語った。その間にも窓から差し込む光は、ゆっくりと部屋の床を移動していく。


「精神干渉とはいえ、わたくしが行うのは記憶の断片を垣間見るだけ。それなのに……」

「確かに、筋が通らない、か」

「もし、相手がこの()()()()に逆に呪いを仕掛けてきたのなら……もしもこうなることを見越していたとしたら……よほどの力の持ち主です」

 その言葉に、セイラ様の表情が陰る。


「……エレナ。そいつに……見当は?」

「おそらくルミナスの者かと」

「やはり……か」

 セイラ様も、同じ顔を思い浮かべているのだろう。謎に包まれた高貴な存在。


「なぜ……なぜあいつはレンを狙う……?」

 そうおっしゃるセイラ様の横顔は、苦しげに歪んでいた。その表情に胸の奥で怒りが静かに燃え上がる。この方を苦しめる者を、わたくしは絶対に許さない。


「……セイラ様。どうかお気を落とさずに。かけられた呪いは今、とき終わりましたわ」

 はっと顔を上げたセイラ様に、微笑みを返す。わたくしにとってこの方は、いつだって強く、凛としていてほしい人なのだから。そのためにわたくしは、強くあらなくてはならない。


「何なりとご命令を」

 一度開けられた口は閉じ、そして再び開かれた。その瞳には、決意の光が宿っている。


「……エレナ、お前に任務を与える」

 声が鋭さを取り戻す。


「これからルミナスを探れ。そして――()()()を狙う刺客を排除しろ」

 可憐な顔で、とんでもなく困難な命令を下すものだ。けれど、そこがこの方らしい。


「かしこまりました。ひとつだけ……よろしいでしょうか」

「……?」

 レン様と話して感じたこと――彼なら必ず、セイラ様を信じる。


「レン様には、いずれ真実をお伝えになるべきかと。彼ならきっと受け入れてくださるはずです。たとえ……チトセ様がお止めになったとしても」

 セイラ様の表情は動かない。けれど、纏う空気が微かに震える。


「……わかって、いる。でも……!」

 その一言に、どれほどの苦悩が込められているのだろう。


「出過ぎた真似をいたしました。ですが、分かっていただきたかったのです」

 そろそろ、あなたも一歩を踏み出すべきだということを。

 じっと見つめると、そのお顔は一瞬だけ、苦しげに歪む。


「……うん」

 その声は、かすかに震えていた。


「それでは、失礼いたします」

 一礼し、病室を後にする。廊下に出て、静かに気配を消した。


 こればかりは、セイラ様ご自身の口から語らねばなりません。セイラ様、わたくしは、ずっと応援しております。どんな時も、あなたの強さと優しさを信じております。

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