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第三王子は血縁の糸をほどけない  作者: ひまだひまこ
王位継承権編

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20/50

20.信じたいだけなのに

 白いシーツの上に、藍色の髪の少女は静かに横たわっていた。窓から差し込む朝の光が、彼女の頬を淡く照らしている。カーテンは半分だけ開いていて、風が揺らすたびに光と影が交互に床を撫でていた。


 医師はしばらく安静にしていれば回復する、と言っていた。けれど、彼女の熱さは異常だった。触れた瞬間、その熱がまるで、僕を飲み込むように広がった。


 ベッドの脇に置かれた水差しの中で、光が揺れている。その揺れが、僕の胸の奥でくすぶる不安と、妙に重なって見えた。


 廊下の向こうから、足音とざわめきが近づいてくる。

「セイラ!?」


 勢いよく扉が開く。風が巻き込まれ、カーテンが大きく揺れた。そこに立っていたのは、髪も服も乱れた、チトセだった。肩は大きく上下し、瞳は焦点を定めきれずに揺れている。いつもの余裕そうな表情が、落ち着いた振る舞いが、そこには無かった。


 唖然とした僕に気づいたのか、表情を整えいつもの微笑みを作る。けれど、その笑みは薄く、形だけのものに見えた。


「おっと……取り乱したところを見せてごめんね」


 軽く頭を下げると、すぐに迷いなくセイラの枕元へ向かう。彼女の寝息を確認した瞬間、彼の肩がわずかに落ちた。


 その直後、廊下から荒い息づかいが飛び込んでくる。


「はぁ……っ、チトセ様……お待ちください……!」

 護衛の男が肩で息をしながら部屋へ入ってきた。けれど、チトセは息ひとつ乱れていない。護衛が完全に置いて行かれたらしい。



 窓の外では、鳥が一羽、枝から枝へと飛び移っていた。その軽やかな動きとは対照的に、部屋の空気は重く、張り詰めていた。ただみんな、セイラの寝顔だけを見つめる。


「……ん……」

 小さな声が、シーツの中から漏れた。セイラがゆっくりと目を開ける。


「セイラ……!? 起きたんだね!」

「セイラ!」


 僕とチトセが同時に駆け寄る。セイラはぼんやりと僕を見つめた後、チトセに目を向ける。


「……レン? ……に」

チトセは、彼女の手をそっと包み込むように握った。


「体調はどう、セイラ?」

 その声は、静かで、けれどどこか張り詰めていた。セイラは一瞬だけ瞬きをして、そして笑ってみせた。


「……うん、平気だよ」

 けれど、握られた拳は微かに震えていた。その震えが彼女の言葉の裏にあるものを語っている。


「レン、ちょっとセイラと話があるから……いいかな?」

 柔らかな口調。けれど、拒否できない圧がある。僕は小さくうなずき、部屋から出た。扉を閉めて顔を上げると、かけられた絵が目に入る。その風景の中に、僕の気持ちが吸い込まれていく。


 セイラが迷子になって、女に声をかけられ、その後セイと会い、そしてセイラが倒れた。すべては偶然のように見えて、そうではないのかもしれない。畳みかけるように、護衛の言葉が頭の中で鈍く響いた。


『アレの使い過ぎです!』


 “アレ”って……何のこと? セイラは何を隠しているんだろう。カイの言葉が浮かび上がってくる。


『あの子はセイラ・レオンハートではないのかもしれない』


 そのとき、大きな声がした。その声は廊下を揺らす。


「でも!」

 セイラのつんざくような叫び。


「セイラ……」

 チトセの声が続く。けれど、その先は聞き取れなかった。やがて、扉が開き、チトセが姿を現した。その眉間には深く皺が寄り、唇は固く結ばれている。僕に微笑みかけ、遠ざかっていく背中。冷たい靴音が静かな廊下に響いた。


 そっと扉を開くと、セイラがベッドの上で顔を覆い、肩を震わせているのが見えた。僕は一歩踏み出しかけて、足を止める。今……声をかけるべきじゃない。そう思い静かに扉を閉める。その音がやけに遠くに聞こえた。



 *

 数日後。

 窓から差し込む光がレース明るく輝かせていた。空気は静かに張り詰めている。そんな空気を切り裂くように、メイドが花籠を抱えて現れた。


「これは?」

「セイラ様からの贈り物でございます」

 籠の中には、赤、オレンジ、黄色、色とりどりの花がぎっしりと詰まっていた。燃えるような色彩が、部屋の白い壁に鮮やかに映える。


「内緒ですが、『レン様をイメージした』と仰っていましたよ」

 僕を……? 胸の奥が温かくなる。けれど、その温もりの裏に、数日間の混沌が静かに残っていた。エレナは、セイラ直属のメイド。今なら、聞ける気がした。


「あの、メイドさん……」

「わたくしのことはエレナとお呼びください」

 首を横に振るエレナ。その仕草は柔らかいけれど、断らせない圧があった。


「じゃあ、エレナ。君に聞きたいことがあるんだ。もし答えたくなかったら、言わなくてもいい」

 慎重に言葉を選びながら問いかける。エレナは少しだけ目を伏せて、うなずいた。


「はい、なんでしょう」

「その……セイラとチトセって……恋人なの?」

「はい?」

「二人には、何か特別な関係がある気がして」

 その言葉に、無表情な顔が初めて崩れた。その奥で、微笑みが浮かぶ。


「親しいのは事実です……が、恋人ではありません」

「え? ほんと?」

 その言葉に心臓が跳ねる。二人って恋人じゃないんだ!? 何か分かんないけど、ほっとした……って、違う、そうじゃなくて!


「ふっ……レン様」

 一瞬、エレナのかすかな笑い声が聞こえた気がしたような? 顔を上げると、真剣な顔と目が合った。


「一つ、お願いが……いえ、わたくし個人としての頼みがございます」

 その声に、思わず体を固くする。


「いいよ、なに?」

「どうかセイラ様を……あの方を、お救いくださ――」

 その言葉が終わるよりも早く、壁が震えた。地震のように床が揺れ、次いで、廊下から地響きのような足音が迫ってきた。床がわずかに軋み、振動が足元から伝わってくる。


「お下がりください、レン様」

 エレナが迷いなく、僕を背後に引き寄せて前へ躍り出る。その動きは滑らかでよどみない。

 それと同時に、ドアが爆音と共に破られた。木片が宙を舞い、光の粒となって散る。その隙間から、大きな影が踏み込んできた。風圧でエレナのスカートの裾が宙に舞う。


「……レンってのは、てめえで間違いねえな」

 現れたのは、大男。肩幅は扉の枠を越え、皮膚には無数の古傷が刻まれている。その目は濁った油のように曇り、冷たい光を放っていた。殺気が、空間を切り裂くように広がる。まるで刃物のように、肌を刺すような圧力。僕の喉が、無意識にごくりと鳴った。


「なんでこんな弱っちい坊やをご所望なんだか……」

 頭をポリポリかく、その全身の隙はあるようでない。立ち姿だけで裏の世界の人間だと分かる。けれどエレナの表情は、揺るがない。


「ま、首だけ持って帰りゃいいか」

 そう言い放ち背負っていた大刀を抜き放つ。刃渡りは僕の身長よりも長く、光を受けて鈍く輝いている。その瞬間、部屋の温度が下がったような錯覚が僕の体を震わした。


「死ねぇぇえい!!」

 唸り声とともに、刃が振り下ろされる。空気が裂け、風圧が頬を打つ。その軌道は一直線で迷いも、ためらいもない――その瞬間、エレナの姿が視界から消えた。


 まるで時間が一瞬だけ止まったようだった。次に見えたのは、宙に舞う銀色の破片。砕けた刀の断片が、光を反射し散っていく。床に膝から崩れ落ちる男。その背中が、まるで糸が切れた人形のように沈んでいく。


 遅れて、鈍い破砕音が耳に届いた。それは、金属が砕けた音ではなく、骨が折れたような重い響きだった。


 エレナは、刀を手で粉砕し、そのまま首筋へ寸分の狂いもなく一撃を加えた。彼女の髪がわずかに揺れ、スカートの裾が静かに落ち着くまでの、ほんの一瞬で勝負はついた。


「申し訳ありません。このような者が紛れ込んでいたとは……」

 ぽかんとする僕に、深く一礼するエレナ。その声で我に返り、慌てて両手を振った。



「いやいや、助かったよ! エレナってすごく、強いんだね!」

「恐れ入ります。では、この者をごうも……処置しますので、失礼いたします」

 頭を下げ、大男の首根っこを掴んで廊下へ引きずっていく。その動きは、まるで重さを感じていないかのように滑らかだった。

 廊下の奥へと消えていく彼女の背中を見送る。強すぎる。でも……あれだけの腕前があれば、襲撃の気配にはもっと早く気づいていたはず。襲撃の直前、彼女は何かを言いかけていた。



 “お救いください”――確かにそう言った。“あの方を救ってくれ”と。

 窓の外では、風が木々を揺らしていた。空は曇り始め、光が少しずつ色を失っていく。

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