2.第二王子に頼んでみよう
「まだ夜明け前ですよ、レン様」
突然部屋がぱっと明るくなり、目の前には執事が現れる。僕がまだ靴下をはいている途中だった。
「うわっ!? なんでいるのジェームズ」
「執事が主人より遅く起きてどうするんですか」
あきれた声とともに、部屋に爽やかな紅茶の香りが広がる。
「いや、僕、もう行こうと思っていたんだけど」
「レン様、声がガラガラですし、履こうとなさっている靴下の色が違います」
ジェームズは紅茶のカップを差し出しながら、僕の足元を見てくる。僕はそれを受け取って一口。甘くて爽やかで、なんか悔しいくらい美味しい。ん? 足元?
「これは寝ぼけてるわけじゃ」
「お静かに。まだ朝の四時ですよ」
ジェームズは人差し指を唇に当てて“しーっ”とやってくる。この顔、癪にさわるな!
「もう行くよ!」
勢いよくドアに手をかけると、背後から静かな声が響く。
「ご武運を、お祈りしております」
……この執事、どこまで分かっているんだろう。
扉を閉める音が、やけに大きく響いた。まだ夜も明けきらない城の廊下は、冷たく静まり返っている。僕の足音だけが床に乾いた音を刻んでいた。角を曲がると、書斎の扉の隙間から、淡い光が漏れているのが見える。その光は、妙に不気味に思えた。
近づくにつれて、声が聞こえてきた。父上は誰かと話しているみたいだ……こんな早朝から。
「ですが、先月にも」
「決めたことだ。来月から税を増やす」
「もう民は限界です!」
父上と臣下の声。その迫力に、ノックしかけていた手が止まった。扉の前で、息を潜める。空気が、重い。
「陛下は税金で何をなさっているのですか! 私達にも教えてくださらず」
「それは余に指図しているのか? ……随分と偉くなったものだな」
「いえ、そんなつもりは……っ、申し訳ありません。これで失礼させていただきます」
こちらに向かってくる足音がして慌てて辺りを見渡す。このままだと盗み聞きしていると誤解されかねない。けれど、隠れられそうなところはなかった。
僕は、祈るように拳を握り、扉を叩いた。足音が止まる。息を呑みながら、その扉を開けた。
「父上、話したいことが……あ、お話し中でしたか」
臣下が驚いた顔でこちらを向いた。僕は最大限の笑顔を作る。
名付けて“ちょうど今来たよ作戦”!
「おや、レン様。お久しぶりでございます」
臣下は僕に一礼し、父上にも頭を下げて部屋を後にした。足音が遠ざかる。
部屋の奥、机に座る父上が、手を組んでこちらを見ていた。
「こんな早くに、どうかしたか」
その声は低く、冷たい。まるで、僕の言葉を拒絶する準備がすでに整っているようだった。
「父上に、尋ねたいことがあります。ゲルドという場所を、ご存じですか?」
「……あぁ」
「そこの現状も? 最近の町の様子も、ですか?」
「知っている」
淡々とした返答。まったく変わらない表情が、逆に恐ろしかった。
「ではなぜ改善なさらないのですか? 民の不満をご存じですよね?」
「それが国のためだからだ」
何でもないかのように即答される。感情を挟む余地などないと言わんばかりに。
「民を苦しめることが、国のためですか? では、国のためとは?」
「未来の国への投資だ」
「と、いいますと?」
「それは言えない」
父上の声が、徐々に硬くなっていく。僕の言葉が、その壁に跳ね返されていく。
「つまり、未来のために今を犠牲にしているとおっしゃりたいのですか?」
「……何事にも、ある程度の犠牲は必要だ」
「父上、それは――」
「レン」
瞬間、父上の声が鋭く跳ねた。空気が凍りつく。
「綺麗事だけで国は治められない」
「だからといって――」
「まったく、何度も同じことを言わせるな! カイといい、お前たちは何も分かっていない。この国はもうノアに任せる。これは決定事項だ」
「っ……」
その言葉が、胸に突き刺さる。父上は、もう僕を見ていない。山積みの書類に目を落とし、僕の存在を切り捨てるかのように。
「もう話すことは何もない」
その言葉に、静かに踵を返した。扉に手をかけ、最後に父上を睨む。逆光で、顔は見えなかったけれど、あの冷たさだけは、確かに感じた。
*
父上は未来を見据えている。確かに、それが正しいのかもしれない。
でも、僕は違う。
僕は、今を生きる人々を守りたい。バグドの人々も、ヤンも、町の誰もが、今を必死に生きている。
そして、ノア。彼の考えを聞かなくてはならない。王になる者として、何を思っているのか――
「そんなん、金と女が手に入るからだろ?」
ノアの部屋で、僕はその答えを聞いた。ノアはソファに深く沈み込み、あくびをしながら僕を見下したような目で笑った。その笑顔は、どこか冷たく、軽蔑に満ちている。
「そういう冗談は良いから、真剣に答えてよ、ノア」
まるで空気と会話をしているように、感触が感じられない。それでも、本音を聞きださなければ。これは、僕の中で確かめるべきことだった。
「だから、金と女のためだって」
「ノア、真面目に答えてよ!」
「だから、金と女の」
「ノア? 僕の話、聞いてる?」
怒りがこみ上げてくる。 ノアは眉をしかめ、面倒くさそうに言った。
「はぁ? だから真剣だって」
「は?」
「レンこそ俺の話、聞いてんのか?」
言葉が詰まる。額にじわりと汗が浮かぶ。嫌な予感が、確信に変わっていく。
「もしかして……本気でそんなこと言ってるの?」
否定してほしかった。けれど、ノアの表情は変わらない。むしろ、得意げな笑みが浮き出ていた。
「最初からそうだって。話が通じないのはお前だろ、レン」
呆然としている僕をよそに、ノアは一気に言葉をまくし立てる。
「俺が王になったら、国中の美人でハーレム作るんだ。子供でも人妻でも関係ねぇ。王宮は金ピカにして、毎日遊び放題。たまに街に出て、可愛い娘見つけたら連れて帰る。毎日そんな暮らしを送るんだ!」
そう言って笑った。その笑い声は、豚のようにだらしない体を揺らした。
「……ノア、最後に一つだけいい?」
ノアはニヤニヤしながら、僕の顔を覗き込む。
「あぁ、なんだ?」
「バグドって知っているよね? そこの人たちはどうするつもり?」
「あ? あー、ほっとくぜ? あんな汚いとこに住むとか、俺だったら絶対やだ。死んだほうがマシだね」
「……ありがとう」
その言葉を最後に立ち上がった。胸の奥で、何かが音を立てて崩れていく。そして同時に、別の何かが燃え始めた。僕は『絶対』に、この国を変えなくちゃいけない。
*
「って聞いてた、カイ?」
椅子に座ったままのカイが、あくびをしながら眠たげな目で僕を見た。
「ちょっと寝てたかも。さすがに長いよ、レン」
「でも、必要だったんだ。僕の真剣さをカイに伝えるためにも」
僕はまっすぐにカイを見つめた。この兄は優しい。でも、必要とあらば情を切り捨てることもできる人だ。そんな人に本気で訴えるには、僕も覚悟を決めなきゃいけない。
「だから王になってくれって? でも、それってレンが王になれば解決するよね?」
カイの表情は真剣だった。だから僕も、迷わず答える。
「ノアは今十八歳。二年後の戴冠式で二十歳になる。僕はその時十四歳、王としては若すぎる」
「まぁ、そうだね」
「でもカイは、その時十八歳。バイオリニストとして名が知られてるし、外交にも強いはずだよ」
「それはちょっと言いすぎじゃない?」
そう言いながらも、少し得意げな表情が浮かぶ。十六歳にして歴代最高峰と称される天才バイオリニスト――それがカイだ。
「それに何より、優しさと冷静さを兼ね備えてるのはカイだけ。父上は冷たすぎるし、ノアはもう論外。だから、カイしかいないんだ」
僕は一度息を吸い、言葉を整える。ここが、勝負だ!
「僕は、今も、未来も、みんなが笑って暮らせる国を作りたい。だから、第二王子として、僕に力を貸してください。お願いします」
そう言って、頭を深く下げる。長い、長い沈黙が流れた。
やがて、カイが立ち上がる音がした。
「レンの言いたいことは分かったよ」
「じゃあ……!」
顔を上げると、カイは険しい表情をしていた。
「その方向で進むことには賛成する。けど、レン、忘れないで。まず第一に、僕は王になりたいわけじゃない。国を変える方法は、他にもある。王になることが、必ずしも正解じゃないしね」
そして、声を低くして続ける。
「第二に――王位継承権争いっていうのは、相手を殺せば勝ちだ。最後に、ノアは僕を殺すことに、何のためらいも持たないってこと。あの人にとって、僕たちが生きてるかどうかなんて、関係ないんだよ」
冷たく、重たい空気が僕の周りを包み込んだ。その言葉は、まるで刃のように鋭く胸に突き刺さる。
ノアと話している時に感じる違和感、それは、彼が僕を弟だと思って会話をしていないということ。僕はその他大勢の一人でしかなく、それはカイも一緒だ。
「僕は今日から、死ぬ覚悟を持って生きるよ。これは、謀反と捉えられる行為だからね。レンには、その覚悟があるの? 幾つもの犠牲の上でも、自分の信念を貫ける覚悟が」
“犠牲”――その言葉に、心が揺れた。ほんの少しの迷いが生まれ、自分でも戸惑う。
ふと記憶の奥から声が響いた。
『本当に大事なものは、守るためにあるの』
あの優しくて、温かい声。僕の中に、確かに残っていた言葉。
そうだ。答えはもう、ずっと、ずっと前から決まっていたんだ。
「僕は諦めないよ、カイ。自分の信念を貫き通す。命を懸けてでも、やり遂げてみせる!」
カイは満足そうに頷き、僕の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。ちょっと驚いたけど、気づけば僕は笑っていた。
「ありがとう、カイ!」
「……あぁ」
*
夜の静寂がすべてを包み込む。第二王子はひっそりと、風に吹かれていた。翡翠色の髪が月光を受けて淡く輝く。その姿は、まるで水面に映る幻のように儚く、美しい。彼は遠くを見つめていた。何かを探すように。まるで、何かを思い出すように。
「僕にはもう、誰かを守る資格なんて……」
ぽつりと漏れた言葉は、風に乗って夜空へと消えていく。その声には深い後悔と、言葉にできない不安が滲んでいた。そして、その瞳は、過去を見つめているようで、未来を拒んでいるようでもあった。




