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第三王子は血縁の糸をほどけない  作者: ひまだひまこ
王位継承権編

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16/50

16.演奏会には絶世の美女が

 大理石の床に反射する光が、天井のシャンデリアからこぼれ落ちていた。煌びやかな金細工で彩られたホールは、まるで宮殿のように華やかで、どこか現実離れしている。


 今日は、演奏会当日。

 三階の特別席へと向かう胸は、静かに高鳴っている。結局、セイラとは今日まで一度も会えなかった。毎日のようにパーティに顔を出す日々に追われ、気づけばもう演奏会当日だ。


 そんなことを思い出して苦笑いしていると、視界がぱっと開けた。バルコニー席には、宝石をじゃらつかせた紳士や、鋭い眼差しの騎士たちが並んでいた。そして、ノア。できるだけ距離を取って、離れた席に腰を下ろす。


 ホールを見下ろすと、人々がぎっしりと詰めかけていた。豆粒のような観客たちが、こちらを指差しているのが見える。その様子に、自然と背筋が伸びた。


 そのとき、隣から柔らかな声がした。


「お隣、よろしいですか?」

 振り向くと、顔をシルクのヴェールで覆った女性が立っていた。


「はい! どうぞ」


 微笑みながら腰を下ろした彼女から、ふんわりと甘い香りが漂う。ちらりと目を向けると、彼女はヴェールを外そうとしていた。


 その瞬間、言葉が喉に詰まった。シャンデリアの光を受けて輝く髪、透き通るような肌、そして桜の花びらのような瞳。美しさに息を呑むとは――こういうことなのかもしれない。


「……ん?」

 僕がぽかんと見つめていたことに気づいたのか、彼女がこちらを見た。


「な、なんでもないです!」

 慌てて視線を逸らす。集中できる気がしない。

 そのくらい絶世の美女が隣に座っていた。



 演奏会が進むにつれて、僕の集中力はどこかへ消えていった。隣の女性は、いつの間にか僕の肩に寄りかかって眠ってしまっている。その姿は穏やかで、まるで風に揺れる花のようだった。どうすればいいのか分からないまま、会場は盛り上がりを増していく。そして、ついにフィナーレの時間が訪れた。


「さて、お次は最後の演奏です。オルフェオ王国、セルラルド王国第二王子の共演です!」


 司会の声がホールに響いた瞬間、隣の女性がぱちりと目を開けた。

「カイ……」


 漏れ出たその言葉に、思わず彼女の顔を見た。カイの知り合いなのかな? 


 ステージには、カイとセイが立っていた。ふたりが礼をして、それぞれの位置につく。そして、音楽が始まった。カイのヴァイオリンはいつもよりも軽やかで、風のようにホールをすり抜けていく。セイのピアノは、水の流れのように途切れることなく、きらきらと輝いていた。切なさと孤独がにじむその音は、辺りの空気をも飲み込んでしまう。



 気づけば演奏は終わっていた。開始からもう、一時間が過ぎている。信じられなかった。ざわめく会場。人々が動揺しているのが分かる。それほどまでに、特別だった。


「これにて演奏会は終了となります。本日はご来場いただき、誠にありがとうございました」

 司会の声とともに、赤いカーテンがゆっくりと降りていく。人々が帰り始める中、隣の女性が呟きが耳に入る。


「カイ……やっぱり、まだ……」

 今、確かに“カイ”って、そう呟いたよね?


「あの、カイのお知り合いの方ですか?」

 彼女は驚いたように僕を見て、それから静かに口を開く。


「ごめんなさい、声に出てた? 実は……」


 そのとき背後から声がした。


「レン?」

 振り返ると、キラキラと光るエメラルドのカイが目に入る。


「カイ! 演奏、すごくよかったよ!」

 立ち上がってそう声をかけると、嬉しそうに頬をかくカイ。


「ありがとう。……あれ、ごめん、お話し中だったかな? そちらの方は……?」


 カイが僕の後ろの女性に気付いたのか、優しい音色で問いかける。その美しさに驚かないあたり、さすが僕のお兄さん。


「ううん、なんかカイを知り合いみたいだから、声をかけてたんだけど……」

 言いながら気づく。

 カイの知り合いだとしたら、どうしてカイは気づかないんだろう? そう思い彼女を見ると、彼女は少し困ったように微笑んだ。


「わたくしはミュリエルと申します」

「……ミュリエル?」

 カイの声が震えた。大きく見開かれた目が彼女を見つめる。

 カイがこんなに動揺しているところ、久しぶりに見た。一体この人、誰なんだ?


「もしかして、ミュリィ?」

 ミュリィと呼ばれた女性は表情を変えない。けれど僕は気づいていた。名前を呼ばれた瞬間、彼女の瞳孔が僅かに揺れた。顔の管理に長けているようだけれど、それは僕も同じだ。


「本当に、どういうこと、だ? どうして、君はここにいる?」

 カイはもはや動揺を隠せず、うろたえた口調で尋ねる。女性が口を開きかけた、その時だった。


「はいはいちょっと、あんた。お嬢様に気安く触らないように」

「お嬢様、お顔をお隠しくださいませ!」


 どこからか、大柄な黒服を着た男性がおし寄せてきた。そのうちの一人がお嬢様、と呼びかけながら彼女を階段の方へと急かす。追いかけようとするカイの前に立ち塞がる黒服達。


退()け、一体お前達は誰の前を塞いでいるんだ?」

 冷たく言い放つカイ。突き刺すような視線に、黒服達がひるんだように口をつぐむ。その間にも彼女の姿は遠ざかっていく。


「そうだよ、あなたたち、いったい誰?」

 僕の方を見て、特に黒服の一人が鼻で笑いながら答える。


「お前ら、あの方が誰か知ってて言ってんのか? あの方は──」

「やめろって。殺されちまうぞ」

 慌てる黒服たち。


「平気だって、大事なことは言わねえよ。あの方はお前らみたいな子供と話す立場じゃないんだよ!」

「それは僕が、オルフェオ王族の人間だと知っての発言か?」


 カイの凍るような声に、顔を見合わせる黒服達。顔を引きつらせ、それでも退こうとはしない。その様子を見て、カイは凍えるような視線を男に送った後、踵を返して歩いて行ってしまう。


「あ、あいつ、王子だったのかよ」

「おい、お前のせいで俺ら殺されるかと思った!」

「……いや、平気だ。俺らにはあの方がついてるからな」

 男たちのざわめきを背に、僕もカイの後を追いかけていく。


「カイ、あの人、誰?」

 僕の問いかけにその足が止まる。振り返った表情は暗い。


「……レンが心配するようなことじゃないよ。ごめん、今は一人にして欲しい」

「わかった。……あんまり、思いつめないようにね」


 ひらりと手を振るその姿は、やがて見えなくなってしまう。大丈夫、かな。

 いつも冷静沈着なカイがあそこまで熱くなるのは珍しい。それに。カイの声には、深い哀しみが滲んでいた。



 *

「ごはっ」

 巨体が吹き飛び、壁が鈍い音を立てて揺れた。男はずるりと崩れ落ち、息を吸う間もなく首をつかまれた。細い指。なのに、逃げる隙間すらないほど強く、冷たい。


「言ったわよね?」

 淡々としたその声に、目を見開く男。


「余計なことするなって」

 震える男の目に、恐怖が浮かび上がる。


「ヒイッ、た、たすけ」

 静寂がおとずれた。動かなくなった男。潰れた顔を見下ろすその目には、何の感情も宿っていなかった。


「処理、しといて」

「は、はいっ……!」


 返事をする部下の声の震えだけが、周囲の空気を示している。

 踵を返したドレスがふわりと揺れた。その動きが先ほどとは別人なほど優雅で――だからこそ、おかしい。


「……」


 振り返った彼女の瞳には、笑みが浮かんでいた。

 柔らかくて、美しくて、まるで天使のような笑みだった。

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