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13.モーモートン伯爵の企み

 ホールの天井には、幾重にも重なるシャンデリアが吊るされていた。 光の粒がゆっくりと揺れ、壁に映る影が舞踏のように踊っている。 香水とワインの香りが混ざり合い、空気は甘く、少し重たい。 貴族たちの笑い声が響き、絹のドレスが床を滑る音が、音楽とともに流れていた。


 本日二度目の社交パーティ。午前の茶会に続いて、夜は舞踏会。昼のパーティでは、ご婦人主催のお茶会に、なぜか僕だけが招かれた。男の僕が、婦人たちの輪の中にぽつんと座っているのは、どう考えても場違いだった。


 そんな疑問を胸に抱えながら、今はホールの壁際に寄りかかって、踊りの輪を眺めていた。踊りは嫌いじゃない。でも、今はどうしても気分が乗らなかった。

 体が重い。頭も少しぼんやりしている。そんな僕の周囲に、いつの間にか人だかりができていた。


「レン殿下! わたくしと踊っていただけませんか!」

「いえいえ、レン様と踊るのはわたくしですわ!」

「どうかわたくしと!」


 華やかなドレスに身を包んだ少女たちが、次々と声をかけてくる。その瞳は野心に満ち、熱を帯びていた。


 第三王子という肩書きは、想像以上に目立つ。セイラとの関係について、誰かが口にすることはないようで、それだけは少し安心だった。昼の茶会でも、彼女の演奏が話題になっていた。あんなに格式の高い貴族たちを魅了するなんて、やっぱり彼女は特別だ。可愛くて、聡明で、そして……どこか儚い。


「ねえ殿下! ちゃんと聞いてるの?」

「ええそうよ! 一体誰と踊るのですの?」


 少女たちの声が、次々と耳に飛び込んでくる。でも、僕の心は、もう決まっていた。


「すみません、今日は誰とも踊る気は――」

 できるだけ柔らかく、丁寧に言葉を選んだつもりだった。けれど、彼女たちは聞く耳を持たない。


「わたくしよ!わたくしはワーストン侯爵家の者ですわ!」

「いえ、わたくしもモースリウィルの血筋ですのよ!」


 声が重なり、熱気が増していく。まるで市場の喧騒のように、周囲がざわめき始めた。僕はそっと身を引いた。このままでは、誤解を招くだけだ。


 すり抜けるようにして、壁の反対側へ移動する。 人の波を避けながら、静かな場所を探す。


「……ふ」

 誰にも聞こえないように、小さくため息をついた。背中を壁に預け、少しだけ目を閉じる。

 音楽はまだ続いている。けれど、僕の中では、もう別の旋律が流れていた。


 どうして、こんなに疲れているんだろう。


 身体の疲れだけじゃない。心が、少しずつ擦り減っている気がする。王族としての立場。注目されること、期待されること。 他国の容赦ない視線にあてられて、それらが静かに重くのしかかっていた。


 セイラと話したい。ただ、それだけなのに。それすらも、今は叶わない。

 僕は、壁の影に身を潜めながら、目を伏せた。この夜会の喧騒が、少しでも早く終わってくれることを願いながら。



「おや、いいところに来られましたね、レン様」


 その声が、耳に滑り込んできた。低く、ねっとりとした響き。目を開けると、こちらへ向かってくる男の姿が見えた。その顔に、ジェームズの忠告が、記憶の底から浮かび上がる。


『モーモートン・デイヴィット伯爵。最近鉱山を当て勢いづいていますが、性格は最悪で、人を蹴落とすのが趣味です』


 伯爵は、ワインのグラスを傾けながら、にこやかに近づいてくる。その笑顔は、仮面のように張り付いていて、目だけが冷たく光っていた。


「モーモートン伯爵、何かご用ですか?」

 できるだけ冷静に、礼儀を崩さぬように返す。けれど、心の奥では警鐘が鳴っていた。


「いやー、実はですね。近頃、お茶に興味を持ちまして。良い茶葉を探しているんですが、おすすめはありますか?」


 なるほど、こういう切り口か。 ジェームズの声がまた脳裏に響く。


『モーモートンは、弱そうな相手を見つけると、取り巻きと一緒にイヤミな質問を投げかけ、徹底的に辱めるのが常套手段です』


 心の中でジェームズに感謝しながら、僕は微笑みを浮かべて答えた。


「それは興味深いですね。定番と言えば定番ですが、僕は最近アッサムがお気に入りです。ミルクティーにも最適ですが、ファーストフラッシュは特に香りが高い。花の香りに包まれ、甘みと大地の力強さが感じられます。付け合わせは、スコーンがおすすめですよ。特にミルシェ―地方のバターを使ったスコーンとの相性は抜群なので、良かったらご参考までに」


 伯爵はぽかんと口を開けて、呆然としていた。僕はにっこりと微笑む。


「どうかしました?」

「い、いえ……さすがに詳しいですね、ハッハッハ」


 慌てて作り笑いを浮かべる伯爵。周囲の空気が、少しだけ張り詰める。けれど、彼はすぐに態勢を立て直した。グラスを軽く揺らしながら、声の調子を変える。


「ところで、今宵、陛下や王妃殿下はお見えにならないのですか?」

 その言葉に、周囲の視線が一斉にこちらへ向く。運悪く、ちょうど演奏が止まり、辺りは静まり返った。


「いやー驚きましたよ。まさか末席のあなた様が出席されるとは。王国の人手不足も大変なようで」

 その言葉は、笑いながら放たれた。けれど、その刃は冷たく、鋭く突き刺さる。


「それに先日のカイ殿下、素晴らしい美貌でしたね。皆さん、熱い視線を送っておいででしたよ」


 こいつは一体何が言いたいんだろう。そう思いながらも、微笑みは絶やさない。

 伯爵はニヤニヤと笑いながら、言葉を続ける。


「いやー、その容姿は、ノア殿下とは大変かけ離れておりますね。……もしや、不肖の子……とか?」

「はい?」


 顔面が引き攣りそうになるのを、必死に抑える。怒りが胸の奥で膨れ上がるけれど、言葉を飲み込んだ。冷静でいなければならない。僕は、王族だ。


「そういえば、セイラ様が婚約者をつくったという噂も流れていましたね。もしかして、カイ殿下がセイラ様を……たぶらかしたとか?」

「は?」

「いやー、セイラ嬢は男好きだって噂ですよ」


 そう言いながら伯爵は身をかがめて、僕の耳元で囁いた。


「無理やり襲った時は楽しかったですよ。随分と抵抗されましたが、あれもまた一興で!」


 頭の中が真っ白になった。言葉の意味が理解できず、棒立ちになる。

 その様子を見て、伯爵はさらに言葉を続ける。


「――黙っていないと、可愛いセイラちゃんの写真が街中に出回ることになるぞ?」


 最悪、だ。想像以上に、下衆な男だ。迫ってくる怒りの波を鎮めながら、僕は侮辱を込めて彼を睨む。それを見て嬉しそうにした後、伯爵は驚いた表情を作る。


「え? 本当ですか!? 皆さん、殿下が本当だと……!」


 周囲がざわめき始める。カイが、セイラが侮辱されている。今すぐこいつをぶん殴りたい。


 でも、もし、本当に奴が襲っていて、写真があったら? セイラは?

 理性はそんなわけない、と叫んでいる。けれどその声は遠く、薄れていく。表情がうまく管理できない。怒りのあまり、涙が出そうになった。自分の無力さにも腹が立ってくる。どうすればいいのか、分からない。


 わかっている、精神的に少し参ってしまっているんだ。色んなことがありすぎて。守りたいのに、守れない。己の無力さに、拳を握り締めることしかできない。


 その間にもざわめきは大きくなり、人々は顔を見合わせる。


 どれだけ願っても、誰かが助けてくれるわけじゃない。僕は――何もできない。胸を締めつける絶望が、凍てつく夜の闇のように重くのしかかる。どうすれば……僕はどうすればいい? 第三王子として、恥じぬ対応を、どうすれば……?




「おい」

 鋭く透き通った声が空気を切り裂いた。足音が静かに響き、僕の前でぴたりと止まる。


「なにをしている、モーモートン」


 ゆっくりと顔を上げると、そこには一人の少年が立っていた。

 その瞳は、静かに燃えていた。冷たい炎のように、確かな怒りを宿して。

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