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11.厄介な共演者

「この演奏会に、ノア兄さんとレンが来る?」

 思わず立ち止まり、召使の顔を見つめる。


「え、えぇ……ルミナスの使者のお方も、ですが……」

「……そう。ありがとう、下がっていいよ」


 扉が静かに閉まる音を背に、僕は深く息を吐いた。よりによって、あの二人が来るとは。


 オルフェオ王国第二王子こと僕――カイは、ありがたいことに“天才バイオリニスト”なんて呼ばれている。けれど、今回ばかりはその肩書きが重く感じられた。


「ピアニストと二週間で合奏できるようになれって?」

 演奏会まではもう二週間を切っている。今になって初顔合わせとは、さすがに無茶がすぎる。


「レンと同い年の王子と演奏……さすがにね」

 階段を下りながら、苦笑する。僕にしか通用しない無理難題だ。あとでチトセさんに文句のひとつでも言っておこう。そう思いながら、相手が待つ部屋へと歩き出す。次第にピアノの音が聞こえてきた。


 奥の扉の向こうから、空気を震わせるような透明な音が流れてくる。誰かがピアノを弾いている。その旋律は、どこか懐かしく、そして忘れられない響きを持っていた。


 静かにドアを開ける。中に入っても、少年はピアノを弾き続けていた。


 不意に音が変わる。その転調は、あのときと同じだった。心の奥を静かにえぐってくるような旋律。穏やかに、曲調が替わっても違和感がないほどの滑らかさ。セイラ嬢と弾き方が似ている。いや、それ以上かもしれない。


 そして、音色が変わった。滑らかに、でも確かに。

 空気の温度が一瞬、下がったような気がした。怒り、悲しみ、絶望。けれど、それらを鍵盤を叩きつけることはない。まるで赤ん坊をあやすように、そっと世界を変えていく。


 ……本物だ。


 演奏が静かに終わった。終わりを感じさせない余韻が残る。部屋の中央で、少年は振り返った。その瞳には、年齢に似合わないほどの深い光が宿っている。


「次は、お前の番」


 他国の年上の王子と分かっていて、顎で促す仕草。反骨精神は嫌いじゃない。特に実力が伴っている場合。気づけば、顔が緩んでいるのが分かった。久しぶりの好敵手だ。

 ピアノもヴァイオリンも、結局行きつくところは同じだ。無知の領域。それがどんなに孤独で辛くても。音がすべてを体現してくれる。


 ヴァイオリンを手に取り、構える。目の前の少年を満足させるわけじゃない。自分のために弾いた。


 曲が終わると、少年は手を差し出してくる。


「良い、演奏だったよ。俺はセイ。知っての通り、この国の第二王子だ」


 にやっと笑う顔。自信と余裕、そして少しの反抗心が滲んでいる。レンと同じ年とは思えない。纏っている空気が()()()()()、そう思いながらその手を握り返した。


「僕はオルフェオ王国の第二王子、カイ。そちらも、いい演奏だったよ。セイ王子は――」

「セイでいいぜ? オレもカイって呼ぶから」

 無邪気な笑顔。一応僕の方が年上なんだけどな。この子、人との距離を縮めるのが妙にうまい。


「分かった。それと、もしかしてセイは、セイラ嬢の兄弟……とかだったりする?」

「セイラ? 俺は王子だぜ? セイラはレオンハート家のご令嬢だろ?」


 その反応は、嘘をついているようには見えなかった。いや、正確には、心拍数がまったく変わらなかった。僕の耳は、特別製だ。人の心拍数を音として聴き取れる。けれど、この子の心拍は、ずっと一定だった。心拍数六十。十二歳にしては、落ち着きすぎている。


「ごめん。演奏があまりにも彼女に似ていたから、てっきり血縁関係なのかと」

「そんなわけないだろ?」


 笑うと、光の角度が変わって瞳がきらめく。その横顔に、セイラ嬢の面影がふと重なる。本当に、似ている。


「じゃあ、セイ。君は、僕の味方? それとも――敵?」

 わざと大人びた口調で、試すように聞いてみる。セイはニコッと笑って、答えた。


「教えるかよ、ばーか」


 ……なるほど。これは、ムカつく。レンのように素直で明るい弟を持つ僕にとって、この“腹黒生意気天才ピアニスト”は、未知の生物そのものだった。



 *

「カイ! 今俺に合わせろよ!」

「ごめん、ここはセイが僕に合わせるべきだよ」

「はぁ? ここは俺の見せ場だろ!」


 僕とセイが今日何度目かもわからない、争いを繰り広げる。


「お二人とも落ち着いてくださいね」

 講師の先生がおろおろと手をかざすけれど、焼け石に水。そもそも演奏者は、自己中心的な人が多いといわれている。僕も普段は温厚であるよう心掛けているけれど、演奏に関してはそうもいかない。


「ここは、カイ様を前に出すべきだと思います」

「やっぱり? 先生もそう思いますよね?」

「わかったよ、ほら続きから弾くぞ」


 僕の合図とともに演奏が再開する。一時間ほどのこの曲の、ようやく終わりが見えるところだった。一週間が過ぎて、ようやく完成しそうなこの曲。

 僕もセイも、お互いの凄さが分かっているからこそ、妥協はしない。特別講師が曲のバランスを考え、揉めた時には的確に判断を下してくれた。その力量は見事なもので、この人の教えを乞うために十年待ちだという噂も本当なのかもしれない、と信じ始めてきた頃だった。


 ようやくお互い納得する形で通して弾けるようになり、僕とセイがハイタッチを交わしていると、先生が口を開いた。


「あら、まさかあなた方、今の演奏で満足していらっしゃるのかしら?」


 にっこりとほほ笑んではいるものの、目の奥は笑っていない。思わずセイと顔を見合わせて、どちらが喋るのか目で口論した挙句、観念した僕がおそるおそる声を発した。


「はい、今までで一番の演奏かと……」

「本当にこの程度で満足していらっしゃるのですか?」


 もはや言葉の端々から強い意志を、目の奥には炎が燃えているのを感じて、二人でビクッと体を揺らす。


「さぁ、やりますよ。二人とも、構えなさい」

 温厚の姿はどこに行ったのやら。長く横に垂らしていた髪の毛を高く一つにくくり、指揮者が持つタクトを構える先生。


「セイ様! そこは適当にひかないでください。もっと音を遊ばして!」

「カイ様、もっと情熱的に! ここの演奏、本当に分かっていらっしゃるのですか!?」


 五時間後、情熱的な指導に僕は疲れ果て、床に座り込んでいた。セイもぐったりした様子で椅子にもたれかかっている。


 その耳に、心地のよい音色が聞こえてくる。優しい音が体に染み渡り、まるで疲労が流れ出ていくようだ。先生が、窓際に立ってフルートを吹いていた。音と音が滑らかに繋がり、夕焼けの空へと吸い込まれていく。


 そしてその中に、先生の葛藤を見たような気がした。秀才ではなく天才と言われるようになるまでの道。その過程を隠しきり、儚く美しい世界を見せてくれる演奏。


 弾き終わった先生はこちらを向いた。そして僕たちの顔を見渡す。


「努力を悟られず、完璧に魅せる奏者になってくださいね」

「はい、先生!」


 僕とセイの声が被り、驚いてお互いの顔を見つめる。そんな僕たちを見て笑う先生。夕焼けを背景に笑ったその顔は、天使のように儚かった。

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