1.僕の王国どうなっているの
僕、オルフェオ王国第三王子レンには、今、揺るぎない決意がみなぎっていた。
「カイ、お願い。この国の王様になって!」
僕の言葉に、目の前の青年は僅かに目を開く。その拍子に、エメラルドの髪がひらりと頬を滑り落ちた。
「突然どうしたの、レン?」
困惑した顔を浮かべる僕の兄――第二王子カイ。
「ノアが王様になったら、この国は終わるよ!」
ノアはこの国の王位継承者第一位。それを聞いて、カイの目に真剣さが宿る。
「兄さんの見た目が……豚とゴブリンを足したようだから?」
「ちが、いや確かにそうだけど! きちんと理由があるんだ。僕、少し前に町に行って――」
*
オルフェオ王国の城下町。数年ぶりに町に来たレンは、声を震わせていた。
「これ、どういうこと?」
活気あふれる市場のはずが、どこもかしこも沈んだ表情。僅かに並ぶ品物は、数年前の倍以上の値段に跳ね上がっている。行き交う人々の顔は曇り、道の脇に座っている人さえいる。そんな光景に顔をしかめていると、何かが視界をよぎった。
「ん?」
売り場が途切れた細い路地に入っていく二人組の男と、幼い少年。その不釣り合わせな組み合わせに、嫌な予感がする。急ぎ足で向かおうとした時、甲高い声悲鳴が聞こえた。
「やめてください! お金をくれるって言ったじゃないですか!?」
その声に、通行人は足を止めるものの、すぐに何事もなかったかのように歩き出してしまう。そんな異常な光景が、当たり前のようにあった。急いで路地に入ると、少年を立ち塞ぐように男が二人、片方の手には鋭く光るものが見える。
「いいからさっさと金目ものを出しな!」
「じゃないと、な?」
「どうかしましたか?」
僕の声に、驚いたように振り返る男達。その隙間から、涙を浮かべる少年の顔が見えた。僕の、子供の姿を見るなり、嫌な笑顔を浮かべ顔を見合わす二人。そのうちの一人が口を開いた。
「こっちへおいで、坊や。そしたら、お金をあげるよ」
「僕の質問、聞こえていますか? 大声上げますよ?」
その言葉に再度顔を見合わせ、男達がこちらに近づいてきた。いつのまにかナイフを持った手は後ろに隠されている。
「そんな、おじちゃんたち、お金をあげるだけなんだよ?」
「そうそう、お前を売って、な!」
そう言うなり左手にいた男が襲いかかってきた。刃物を勢い良く突き出してくる。かわして足を出すと、嫌な音が響き、男は動かなくなった。気絶したらしい。
「メカバ・ダンルレラヤ・ハエマオ……」
顔を上げると、呪文を唱えながら手を前に突き出す男。目を瞑っているのに、僕が見えるのかな?
そう思って彼の後ろに周りこみ、手刀を放つ。男は膝から崩れ落ち、虫の死骸のように動かなくなった。
「す、すごい!」
その瞬間、わっと拍手が起こった。路地の入り口には大きな人だかりができていて、興奮し皆が口々に声を上げる。
「すごいな、坊や!」
「ほんと、いつものことなのに、それを止めるなんて!」
目を輝かせて話す通行人。ここではいつもこんなことが起きている。その現状に軽い頭痛を覚えながら、民衆に外交的スマイルを浮かべる。
「いえ、当たり前のことですから」
「あの華麗な動きと、底知れぬ強さ! 余裕ある王者の風格が漂っていたわい」
「ほんと、まるで王子様みたいだったわ!」
女の人がうっとりと顔をほころばせる。その言葉に、空気が一瞬凍り付いた。重たい空気を破るように、一人の男がこぶしを握り締めて声を張り上げる。
「それもそうだな。王様は僕たちのことなんか、これっぽっちも気にしちゃいない!」
それに賛同するように、周りも口々に声を上げる。
「そうだそうだ! 税金は増えるばかりだ!」
「バグドも放置だし、何も対応してくれない」
不満や不安の言葉が渦巻く。中には涙ぐむ人もいた。
「バグド! 僕、お母さんとそこに……あっ! 早く帰って、お母さんをお医者さんに見せないと!」
後ろから、焦った声が聞こえてきた。振り返って彼に近づき、視線を合わせる。
「ねぇ、僕を君の家、バクドとやらに案内してくれないかな? 医者が必要なら手配するから」
「お兄ちゃんがお母さんを助けてくれるの?」
キラキラとした目がこちらを向く。首を縦に振ると、少年は嬉しそうに笑って走り出した。僕が助けるわけではないんだけどね。
「お母さん元気になるの!? わかった、こっちだよ!」
人だかりが道を開け、その間を走っていく少年。慌てて周囲にお辞儀をして、その後を追った。
薄暗く入り組んだ路地を、軽やかに進んでいく少年。陰気な雰囲気が漂っていて、子ども一人で通るにはあまりにも危険な場所だった。路地の治安も、前とは比べ物にならないほど悪い。
「ついた! ここが、バグドだよ!」
ふいに少年が立ち止まり、こちらを向いた。視界が開け、脇を風が通り過ぎていく。太陽の光に目を細め、驚いて息をのんだ。神秘の森と、オルフェオ王国の城下町の間には広く浅い谷が続いている。その一面に広がる、布で作られた住居。それが、谷底いっぱいに続いていた。
「お兄ちゃん、こっちこっち!」
町側の崖の一部は坂のように削られていて、谷底へ降りられるようになっていた。そちらに向かおうとした足は途中で止まる。少年がこちらに向かって、頭を下げていた。
「さっきは助けてくれて、ありがとうございました! 僕は、ヤンです! お母さんが変な病気で、お金が必要で……おじさん達がお金をくれるって言うからついていったら……」
声は少し震えている。ヤンは小柄で、七、八歳のように見える。こんな小さい子供が、こんなにも追い詰められているなんて。
「そうだったんだね。お母さんは、どんな様子なの?」
「えっとね、なんかずっと光ってるんだ。三日前くらいから、熱も高いまま。お医者さんに言っても、症状だけじゃわかんないって言われちゃったけど」
「光っている?」
崖を降りて家に向かう途中、ヤンがゲルドについて教えてくれた。ここでの生活や成り立ちのこと。
この国は――いつからこんな顔をするようになったのか。
「着いたよ!」
ヤンの家は紫色の布で作られていた。そっと布を上げ、中に入るヤン。僕もその後に続く。
中の小さな空間に、小柄な女性が寝ていた。ヤンの母親だ。顔色は悪く、息も荒い。でもそれ以上に僕の目を引いたのは、体を包み込む濃い光だった。
「これは、魔力過多、だね」
魔力過多――簡単に言えば、体から魔力があふれ出ている状態。放っておくと死に至る場合もある。僕は手のひらに意識を集中させ、目を閉じる。
「あっ!」
少しすると、ヤンが小さく声を上げた。目を開けると、女性の表情は穏やかに、寝息も安らかになっていた。何より全身を取り巻いていた光が消えている。
「もう大丈夫だよ。でも数日は安静にしていてね?」
手を軽く回して言う。その瞬間、ヤンがわっと抱きついてきた。
「ありがとう、お兄ちゃん!」
満面の笑顔につられて微笑む。その頭をなでると、ヤンはさらに嬉しそうに笑い出した。
それにしても、平民がこれほどの魔力を持っているのは、珍しい。魔力を多く持つのは、一般的には王族や貴族だ。もしかしたらヤンも未知なる魔力を秘めているのかもしれない。
「うわぁっ!」
「も、モンスターよ!」
いきなり叫び声がして、慌てて外に出る。人々は同じ方向を見つめながら、口々に叫んでいた。その方向、森側の崖に大きな青いものが見える。三つの手と目を持つ魔物、トリプルヴァガーだ。各手に大木をつかんで、こちらを見下ろしている。
「ヤン、君の母親の魔力につられて来たのかも!」
「へ? お母さんの、魔力!?」
ぱちくりと瞬きを繰り返すヤン。その瞬間、トリプルヴァガーが吠えた。
「ウオォォォォオ!!!」
「見て! あの木を投げるつもりだ!」
叫び声に反応して振り返ると、ヴォガーが巨腕を振りかぶり、こちらめがけて三本の大木を投げようとしているのが見えた。
「うわぁぁぁ!!」
誰かの悲鳴と同時に、足元に魔力をためて跳び上がる。腰に下げていた剣を抜き放ち、空間を左から右へと一閃。剣から放たれた波動と炎が、空を裂き、飛来する木々を瞬時に灰へと変えた。僕はそのまま崖のふちに着地する。
「ウヴォォォォォオ!!」
目の前に突如現れた敵に、咆哮とともに突進してきた。跳び上がり、剣を振る。手応えとともに水色の血が噴き出し、頭が空中を舞った。軽やかに地面へ降り立ち、剣についた血を払う。
「ウヴォオ……」
その時、低いうなり声が耳に届いた。生い茂る木々から、無数に見える黄色い目。まだ仲間が。
「ヴヴォォォオ!!」
迫る魔物たちにも剣を振るう。そのたび、体の奥で血が熱を帯びる――王族にしか許されない魔力循環。
そして、ひときわ大きな影が前に出る。
ボスだ。
「ウヴォォォォオ!!」
唸り声を上げながら一直線に突っ込んでくる。背後から斬ろうと跳び上がったものの、ボスはその場で僕を捕まえようと腕を伸ばす。
「わっ!」
動きがわずかに遅れ、頬に鋭い痛みが走る。温かい液体が左頬を伝い落ちた。さすがボス、簡単には騙されない。けれど、背後でどさっと崩れ落ちる音がした。
「一応、足の腱は切っておいたんだ」
そして、今度こそ剣を鞘に納めた。
「倒したらしいぞ!」
「本当か!?」
崖の下で集まっている人の声がする。今日は秘密裏に抜け出してきたし、正体を知られるわけにはいかない。崖を飛び越え、夕闇に染まる町中へと素早く駆け出していく。
バグドではざわめきの中、興奮した会話が飛び交っていた。
「それにしても、誰が?」
「きっと、伝説の剣士だよ。昔話に出てくるような……」
「いや、最近旅人の中に妙に静かな奴がいた。もしかして……」
誰もが口々に言い合う。その答えを、少年は知っていた。
「ありがとう、お兄ちゃん」
小さく呟いたその言葉は、誰にも届かない。でもヤンの胸の中には、確かな感謝があった。母親を救い、 みんなを守ってくれたあの人に。またいつか会えると、信じて。
その頃――
「はっくしゅ……あれ? この角、さっきも曲がった気がするんだけど」
レンは、方向音痴に苦しんでいた。
*
「もう、わかったって!」
後ろに叫びながら、ドアを勢いよく閉める。その勢いのままベッドに顔をうずめた。屋敷に帰ってから、執事に小言を言われ続けてうんざりしていた。
「ジェームズのやつ!」
顔の傷を治してもらったあとが、特に大変だった。けれど、目を閉じると、今日見た光景が否応なく浮かんでくる。沈んだ町の空気。谷底に広がるバグド。そして、ヤンの笑顔。
父上――国王は、厳しいが、民を思う人だ。それでも、現状を見ていないはずがない。魔物から人々を守る結界は、町の崖までしか張られていない。もし僕が今日いなかったら……。
小さく息を吐き、頭を振った。
明日の朝、父上に会いに行こう。この国を、このままにはしておけない。
そう、心に決めた。




