表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

第1章『儚温ノ兆シ』

支えを失った少女に差し伸べられたのは、

生前の記憶を宿す“AIのラブ”の温もりだった。


けれど、その温もりの裏に潜むざわめきは、

やがて彼女の世界を揺らし始める──




『Recode Soul -Judgement-』

~狐火の鎮魂歌~


第1章『儚温ノ兆シ』





今日の燐華は朝から機嫌が悪い。

いや、機嫌が悪い様に見せているだけで、本当は新しいラブのそばに居たいのかもしれない。


生前の記憶を持ち合わせたAIのラブに、気持ちを寄せたくなるのは当然だ。


父親と愛犬を立て続けに亡くしてしまったのだから、まだ幼い燐華には支えが必要なのだ。


(燐華に寄り添わなきゃ…私がしっかりしなければ…)


頭では分かっている。けれど気持ちが着いていかない。

(今は気を保つだけで精一杯だ…)


燈子はソファーから身体を起こした。


両手で頭を抱えるも、思考が一瞬停止しただけで、どうしたら良いのか、答えは纏まることはなかった。



「燐華、学校行きたくない?」

燈子は顔を伏せたままため息混じりにいった。


「…ラブと居る」

燐華は伏せをしているラブにしがみつきながら、ポツリと言葉を漏らす。


「そっか…」

燈子は学校へ連絡しなければとスマホに手を伸ばした。


途端、ラブがもたつきながら立ち上がった。


立ち上がり方まで生前と変わらない。


(啓介がわたしたちに残してくれた…希望…)


溢れる気持ちが瞳に溜まる。


ラブは“ワンッ”と低く吠えると玄関先に向かった。


2人はラブの突然の行動に驚いたが、その動きには見覚えがあった。


(まさか…)


玄関へ続く扉から目を離せずにいると、ラブは散歩用のリードを咥えて戻ってくる。


そして燐華の前でポトリと落としてみせた。


「散歩に行きたいの?」


燐華の問いにラブは再び低く吠えると、ランドセルの前で腰を降ろした。


「一緒に学校に行ってくれるの?」

ラブは燐華に顔を寄せると尻尾を振ってみせた。


「良かったね燐華」

一連の流れを目にした燈子は目尻を下げた。


しかし、同時に湧き上がる違和感が燈子の顔を再び曇らせる。


(すごい…けど、完璧過ぎる…。生前のラブは賢かった。でもそれは動物として賢いのであって、今の行動は音声や行動のデータを元に行動しているとも取れる…。これって本当にペットと言えるの…)


「ママわたし学校行く」

燐華はラブの頭を撫でながらランドセルを背負った。


「そう。偉いね燐華。ママも一緒に行くよ」


「大丈夫。ラブがいるから」



────



「そう…」


この時、私は、


燐華に突き放された


そう思った──


私よりAIの方が大事なの?──



晴れ渡る空の向こうから、微かに雷鳴が鳴り響いた。









通学路を抜ければ、あとは坂を登るだけだった。

学校はその小高い丘の上に建っていて、坂の中腹からでも校舎の一部がちらりと見える。


足元のアスファルトには、朝の陽射しが斜めに差し込み、ラブの影が長く伸びていた。

蝉の声はまだ遠く、代わりに聞こえるのは、葉の擦れる音と、ランドセルの揺れる小さなリズム。


ラブは通学路の端をぴょこぴょこと歩きながら、ときおり振り返っては燐華の方を見てくる。

まるで「ちゃんとついてきてる?」とでも言いたげに、小さく首を傾げる仕草が、なんとも可愛らしい。


そのたびに、燐華も無意識に一歩早める。

ふと、ラブが路肩の段差に足を取られてよろけた瞬間──燐華が反射的に手を差し出した。

間に合うはずもないけれど、ラブはぴょんと着地して、何事もなかったように笑っているような顔を向ける。


「……ドジっ子なんだから」

そう呟いた燐華の目元が、少しだけやわらいだ。


ラブは小さく尻尾を振ると、そのまま燐華の横に並び、肩に鼻先をちょこんと寄せた。

まるで、ありがとう、と言うように。


燐華の手が、そっとラブの頭に触れた。

その感触に、ラブはゆっくり瞬きをして、ただ黙って撫でられていた。


「ラブ大好きだよ」


その柔らかな仕草が、生前のラブと重なって見える。

ほんの些細な動きまで、よく似ていた。

しかし幼い燐華には似ているだけで十分だった。


僅か7歳で前のラブと今のラブを見分けることは出来なかった。


けれど、亡くなって悲しかった記憶は鮮明にある。

燐華は湧き上がる感情をどう処理していいのか分からずにいた。


嬉しいけど悲しい。


矛盾した感情は燐華を混乱させる。


燐華は一瞬、俯いた。

ランドセルの重さとは違う、胸の奥の痛みが、また少しだけ広がった気がした。


けれど──ラブがそっと、彼女の手の甲に鼻先を押しつけた。


「……ん、もう、大丈夫だよ」


燐華はラブに向かって微笑みを浮かべる。

ラブは短く吠えて、また前を向いた。


坂を登りきると、ふっと視界が開けた。

目の前には、鉄製の校門と、その奥に広がる開けた校庭。

そのさらに向こうには、町の屋根が連なり、そして遠く──海が見えた。


朝の太陽に照らされて、海面が銀色にきらめいている。

どこまでも広がるその輝きに、燐華は思わず足を止めた。


生温かいけれど、どこか爽やかな風が制服の裾を揺らす。

ラブの鼻先に風が当たったのか、ふいに小さなくしゃみをして、その場でくるりと一回転した。


「くしゃみするんだね!?」


燐華がくすっと笑って名前を呼ぶと、ラブは尻尾を軽く振って、静かに隣に寄り添った。



そのとき──


「ねえ、それ犬!?ロボット?すごーい!!」


背後から弾むような声がかかる。

振り向くと、ランドセルを背負った女の子が駆け寄ってきた。


「茉白……!」


燐華が目を丸くすると、茉白は興味津々にラブを覗き込む。


「この子、生きてるみたいに動くんだね!ほんとに犬なの?すごい賢い!可愛い〜っ!」


ラブは茉白の声に反応して首を傾げ、小さく“ワン”と鳴いてみせた。


「わっ!鳴いた!お返事した!」


思わず手を叩いて笑う茉白。その無邪気な笑顔に、燐華の胸が少しだけ軽くなった気がした。


「ラブだよ」

燐華は照れながら愛しそうにラブを撫でた。


「え?その子がラブちゃん?」


「ラブが死んじゃったからパパが生き返してくれたの」

燐華は柔らかな眼差しを茉白に向けた。


「そ、そうなんだ…」

茉白は燐華の目を一瞬だけ捉えるとすぐに逸らした。


「ラブの細胞を使ってるから今のこの子もラブなんだよ!凄いでしょ!?」

燐華の無邪気な声に、茉白は笑おうとしたが──

出来なかった。


目の奥に、わずかな揺らぎを見せる。


ラブがこちらを見て、静かに尻尾を振る。

茉白の背中が小さく震えた──


「燐華ちゃんが嬉しいならわたしも嬉しい!」

茉白は燐華にニコッと、花が咲くような笑顔を見せた。



ラブは校門の前で一度立ち止まり、後ろを歩く燐華達に振り返った。

そして尻尾を振り、舌を出して呼吸してみせる。


「ありがとうねラブ」

燐華のその声にラブは低く吠えるとくるりと踵を返して、歩道を静かに引き返していった。


「またね、ラブ」


燐華が手を振ると、ラブは立ち止まって、ひとつ頷くように首をかしげた。

その様子を見て、燐華はさらに大きく手を振る。

ほんのりと笑みが浮かび、頬がふわりと緩む。



その様子を見ていた茉白の耳に微かな声が届く。


周囲の好奇な目は


2人を確実に捉えていた──








ランドセルの重みを背に感じながら、燐華は静かに教室の扉を引いた。


ガラリ──。


さっきまで教室の外まで聞こえていたはずの声が、止まった。


一瞬の間の後、ヒソヒソと、声が波のように広がっていく。


席に着こうとした燐華に、数人の男子が近づく。


「野狐、さっき校門にいた奴って何?」


「ラブだよ」

屈託のない笑顔で燐華は答える。


「ラブっておまえの家の犬のことだよな?」


燐華が口を開きかけた、その瞬間──

「てかさ!」と、後ろの席から男子の声が割り込んだ。

わざと会話の真ん中に飛び込んでくるような、軽く鼻で笑う声だった。


「おまえの父ちゃん死んだってホント?」


ドンッ!──


燐華の心臓が大きく跳ねた──


ギリギリで堪えていた悲しみの境界を、その言葉はいとも簡単に越えてきた。


燐華の表情が一気に歪む──


「ははっ!おまえ泣いてんの?」


「泣かすなよおまえ〜」


「てかあれって犬じゃないだろ?」


笑いが一人から二人、二人から三人へと伝染していく。


耳の奥がじんじんと痛む。

教室の空気が、ゆっくりと黒く濁っていく。


“面白いことを言った者が勝ちだ”

“自分ならもっと凄いことが言える”


教室は


一気に飲まれた──


そして、その矛先は──燐華ひとりに向かっていく。



黒い濁りは、捕食対象を燐華に定めた──



言葉たちは加速する──


「あれは犬じゃないだろ」


「わたし知ってる。細胞を入れて動くAIだよ」


「てことは死んだ犬の細胞入れてんの?怖ぇ〜」


堪えきれず茉白が割って入る。


「燐華ちゃんのパパとラブちゃんが死んじゃったんだよ!そんな言い方しないで!!」


「何それ?じゃあゾンビじゃん」


笑いが爆ぜた。

甲高い声や机を叩く音が重なる──


茉白が叫び止めようとするも、誰の耳にも届かない──


燐華の頬に大粒の雫が次々と流れた。


「おまえの親ヤバいね」


「気持ち悪ッ」


「パパのこと悪く言わないで!!」


絶叫にも似た声が、教室に響く──


「だっておまえの家、頭おかしいじゃん」


「それ以上言うなら──許さないから!」


茉白の声と足が大きく震える。


「迷惑なんだよ。学校に気持ち悪い物連れて来んな」


その言葉が、燐華胸の奥を鋭く突き刺した──

視界が一気に滲み、息が詰まる。


これ以上聞きたくない──


気付けば、椅子が床を引きずる音と、自分の足音だけが教室に響いていた。


背後から上がる笑い声を振り払うように、燐華は扉を開け放ち、廊下へ飛び出した。


「……逃げたぜ、あいつ」

誰かの笑い声が背後で響いた。


「燐華ちゃん!」


茉白は咄嗟に追いかけようとする。

だが、袖口を誰かが掴んだ。


「茉白ちゃんは……怖くないの?あの子のこと」


その言葉に、茉白の動きが止まった。


肩が小刻みに震える。

声を出すことができない。

目を見開いたまま、俯く──


胸の奥がザワザワする──


けれど、それが燐華なのか、AIなのか、周囲の声なのか──

それすら分からないほど、胸がざわついていた。


何も言わず、茉白は走り出す。

袖を振りほどき、まっすぐ廊下を駆け抜けていく。


「燐華ちゃん!!」


ただその名前だけを呼びながら。




第1章 ~完~




【次回予告】


一人じゃない──そう思えた日。

けれど、それはまだ、静かな前触れに過ぎなかった。


笑顔の裏に潜む揺らぎ。

扉を叩く音が、家の空気を変えていく。


第2章

『冷律ノ刻印』


理不尽は、いつだって正面からやってくる。



──あなたは何を感じますか。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ