家なき子
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「ちょっと待ってください」
とことこと後ろを着いてくるジニアを無視して、ヘルトは王都のメインストリートを進む。彼女の手によって拘束は解かれ自由になった体だが、散々殴られた後だ。痛む手足を無理矢理動かしながら帰路を辿る。
すでに夜は明け、朝露が街道に生える草花を濡らし、陽光を反射してキラリと光る。ヴァルキリーの薄暗いアジトから抜け出してきたばかりのヘルトにとってはそれがとても眩しく映る。朝早いこともあってか、日中は人が賑わう道もまばらに人がいるばかり。時折すれ違う人は皆、少女の美しさに度肝を抜かれ何度も振り返って道を行く。
「ついてくるな。家に帰れ」
後ろは見ず、ただ歩く方向へ視線を向けたままヘルトはぶっきらぼうに言った。
ヴァルキリーの面々から救ってくれた命の恩人、なおかつとびきりの美少女といえどさすがに愛想を良くするにも限度がある。
勇者を殺してください。そんな突飛な誘いに加えて尋常ではない戦闘能力。この世のものとは思えないほどに美しい顔立ち。何事も突出しすぎていれば薄気味悪ささえ感じるのだということを、ヘルトはこれ以上ないほどに自覚し、自然とその歩は早くなる。一刻も早くこの少女から離れなくては、と。
「家ないです」
しかしジニアはそんなヘルトの態度を全く気にもせず、そう返す。その言葉にはやはり抑揚が全くなく、それも神秘的だと感じていた先ほどとは打って変わってただただ不気味さがヘルトの中に湧き上がる。
「買ってこい」
「お金ないです」
「奪ってこい。ほら、あのおっさんなんか良さそうだぞ」
「バカですかあなたは。あのおじさんはどう見てもお金なんて持ってないでしょう。あっちの女性の方が良さそうですよ。では、私が笑顔を振りまいて近づくので、その腰の剣を使って後ろから脅かしてください」
「お前がバカか。いくら人が少ないからってこんな天下の往来でそんなことやってみろ、一瞬で捕まるぞ。まずは路地裏にお前が連れ出してだな……って違う。いや、なんでもないんです。だから叫ぶのは辞めてください! 冗談なんです!」
ぎょっとした顔をする貴婦人に謝罪しながらも、足を止めずにヘルトは進み、少女もやはり距離を離さず後に続く。
「ヘルトさん、どこに向かってるんですか?」
後ろから聞こえる声を今度は無視してヘルトは突き進み、本来曲がる予定のない路地を右へと曲がる。ヘルトとしては早く家に帰って痛む体を休ませたいのだが、殺人を教唆してくる少女に自宅を特定されたくはない。撒くのあれば複雑な裏通りの方が好都合だ、そう判断した。
「ちょっとヘルトさん。あなたのお家はこちらではないでしょう?」
だが、そんなヘルトの目論見をジニアは見透かしてそう問うてくる。
じゃあその前の質問はなんだったのか、そう言いたくなるヘルトだったがぐっと言葉を押し込んだ。代わりに、と路地を少し入ったところで立ち止まって振り返る。両側を背の高い建物に挟まれて影が差している。
正面から見つめるとやはり美しすぎる少女の面差しに一瞬体が硬直するが、さすがに二回目ともなると幾分かは慣れる。ヘルトは浅く息を吸って、金髪の少女に言った。
「なあ、マジでついてくるのは辞めてくれないか? 勇者殺害の件なら断っただろ?」
勇者殺害など下手人だとバレてしまえば死刑しかありえない。いくら勇者を快く思っておらず、ジニアが闇ギルドの面々から救ってくれた命の恩人といえど、そんなことに協力できるはずもない。ヘルトは再度彼女へと断りを入れる。
ジニアが何者で、何故勇者を殺害したいのか、その理由が少し気になるヘルトだったが、余計なことを聞いて巻き込まれたくはない。
「それにそういった依頼ならお前がぶっ倒したヴァルキリーの奴らに頼んだ方がいい。プロだぞ。そもそも──」
お前なら一人でも倒せるんじゃないのか?
そう言おうとして、はたと思いとどまる。
彼女は強い。それは間違いない。王都最強の闇ギルドを単身で壊滅できる者など、それこそ勇者パーティに入れるレベルの実力者だ。当然ヘルトにはそんなことは不可能だ。だからこそ、彼の中で疑問が湧く。
一体どうして彼女は自分に助けを求めるのか、と。
だが、それはまさに彼女の核心を突く疑問だろう。そして、それを聞いてしまえば後戻りが出来ない。そんな気がした。しかし──。
「ああ、あなたに協力を申し入れる理由ですか? そんなの簡単ですよ。まず一つ。私一人での勇者暗殺は難しいこと。二つ。私の存在はあまり多くの人間に知られるわけにはいかないんです。そして三つ。英雄を殺すなんてとんでもなく非常識なこと受けてくれる人なんてそうそういませんから」
相も変わらずヘルトの考えを見透かして少女はその細く白い指を折りながらそう言った。
「この条件で私が協力者に求める条件とはなんでしょうか? はい、ヘルトさん」
「……単身でお前らの戦いについていけそうな実力者かつとんでもなく非常識な人間」
ぎり、と歯ぎしりをしてからヘルトは答える。つまり彼女の言いたいことは。
「そうです、あなたです」
「ふざけんな誰が非常識だ」
そういいながらも若干の喜びを感じたことにヘルトは内心驚いた。ジニアのような強者に実力が認められた、と。そして、まだ自分にもそれを喜べるだけの気概があったのか、と。
「常識のある人は闇ギルドとなんて関わったりしませんし、非常識な人でも闇ギルド相手に詐欺を働こうとはしませんよ。つまりあなたは常軌を逸した非常識です。お金に困ってるんだったらなおさら私に協力すべきです。もし成し遂げられたのならあなたに一生遊んで暮らせるほどの大金を渡しましょう」
見知らぬ少女が持ち掛けた儲け話。それだけでうさん臭さがぷんぷんするようなものだが、ヘルトにはどうしてか彼女が嘘を言っているようには見えなかった。
「別に金には困ってねえよ。これでも中級冒険者なんだ。普通に食ってく分には十分な金は簡単に稼げる」
冒険者にはランクがある。下から初級、中級、上級、特級といった具合に。一番下の初級冒険者ならいざ知らず、中級冒険者ともなれば普段の暮らしに困ることはないほどに報酬が高く設定されている。
「であれば一体どうして?」
小首を傾げてジニアは問う。その可愛らしい仕草に視線を逸らしながらヘルトは答えた。
「別に。特に理由はない。上手く騙せれば大金が手に入ると思っただけだ」
言いながらヘルトは気づく。本当に大した理由ではないなと。もしかするとラウレルの言っていたこともあながち間違いではないのかもしれない。そんなヘルトを見て、ジニアは少し考えた後に言う。
「そうですか。まあ、それは別にどうでも良いです。それに先ほどの条件はあくまでも最低条件。あなたを選んだ理由についてはむしろここからが本題です。いいですか? 勇者の力は強大です。先ほど言った通り、私一人での殺害は不可能に等しい。……といっても戦闘能力的な問題ではありません」
さらりと勇者よりも強いと言ってのける少女にヘルトは戦慄する。
「私でも彼女に気づかれずに殺害するのは最早不可能。であれば必然的に戦闘が発生します。それはそれは周囲に甚大な被害をもたらすでしょう。地は抉れ、炎は吹き荒び、風は荒れ狂う。どう考えても普通の場所でやってしまえば私は人類への反逆者として捕らえられてしまうでしょう?」
「まあ、確かに」
「だからこそ勇者を邪魔の入らない場所まで誘導する必要があるんです。けれど、そんなところに勇者を誘き出すのは簡単ではない。あの勇者は人間不信ですからね。だからこそのあなたです。あなたであれば容易に勇者に接触出来るはずです。なぜなら……これは言わなくても分かっているのでしょうけれど」
「……プリムとイディオのことか?」
「だーいせーいかーい。拍手してあげましょう」
苦々しく二人の名を上げたヘルトに、ジニアは言葉通り両手を打ち合わせて大きな音を立てる。声音とのアンバランスさもあってか一層ヘルトの中に不快感が沸き上がった。
“万魔の至宝”プリム。
“百武の雄”イディオ・ヴァルフォード。
いずれもヘルトの知己であり、さらには勇者テュシアと共に魔王を討伐した者たちの名だ。ジニアは彼女らを通して勇者を誘い出せ、そう言っているのだとヘルトは悟った。と同時に一つの疑問も浮かび上がる。
「ちょっと待て、だったら俺じゃなくプリムかイディオに協力を仰いだらどうだ?」
至極最もな疑問であり。
「あなたはバカですか。いくら私のような美少女に頼まれたといえ、二年間も一緒に苦難を乗り越えた仲間を簡単に裏切れるような人間がいるはずないでしょうが」
至極最もな回答だった。
「だったら見ず知らずの人間に勇者暗殺の片棒を担がされそうになって了承する奴もいないだろうよ。いいか、はっきり言っておくぞ。俺はお前が何者で、一体どんな理由で勇者を殺そうとしてるのかは知らんが、そんなことに関わる気も手伝う気も毛頭無い」
きっぱりと言い切るヘルト。その瞳にはっきりと拒絶が示されているのを見て取ったジニアは小さなため息を吐く。
「はあ、強情ですね。いいでしょう。本当はもっと劇的な場面で見せるつもりでしたが、ここまで拒絶を示されるとは思っていませんでした」
「本来の計画だとどうなる予定だったんだ?」
「ジニアちゃん可愛い! 勇者暗殺? いいよ! って具合です」
「そんな単細胞を仲間に引き入れようとするな」
しかし、そんなヘルトの突っ込みを無視して、ジニアは。
「【クリスタルヴェール】」
魔法を唱えて。
「──!?」
シュルリとささやかな音を立てて白いシャツを脱ぎ去った。
「お、おい何やってんだ!」
「? 大丈夫ですよ? 早朝で人の通りも少ないですし、魔法を使ってあなたにしか私の姿は見えていないので」
さらりと冷静にそう言ってのけるジニアだったが、対するヘルトは顔を真っ赤にして視線を逸らす。下着は身に着けているとはいえ、女性経験のないヘルトにとっては刺激的すぎる。本来であれば太古に失われたはずの魔法を行使したことについて問い詰めるべきなのだろうが、すでにヘルトからまともな思考は失われていた。
「どこを見ているんですか。こちらをしっかりと見てください」
「み、見ろって言われてもだな……」
「本人が良いと言っているんです。いいから見なさい」
ぴしゃりと言い放たれてヘルトは仕方なしにジニアへと向き直る。そこにはやはり上半身に下着だけを身に着けた彼女の姿があった。言動はどうあれ、外見は非常に優れた少女だ。無駄な肉が付いておらずほっそりとしたその体は、ヘルトの心臓を埒外の力をもって突き動かす。
必死に情欲を抑えながらヘルトは考える。一体彼女の目的はなんだろうか、と。
(色仕掛けか?! 色仕掛けなのか?! 俺はもしかしてこれから──!)
期待と不安。それらがないまぜになり、ヘルトの背中に汗が滲む。
しかし、ジニアが次に取った行動はヘルトの思いもよらぬものだった。
「……んっ」
「………………は?」
ジニアの艶めかしい声と共にそれは現れた。
「はあああああああああああああ!?!?!?!?!?」
ヘルトの絶叫が木霊する。
彼女の背には一対の皓白の翼。羽根は一枚一枚が細やかで、まるで絹のような柔らかさと光沢を持ち、重なり合って完璧な形を形成していた。その形状は、まさに天上の美しさと威厳を具現化する。
「お、おま、おまおまおま……!」
意味をなさない言葉の羅列がヘルトの口から漏れ出る。
魔法名を口にしていないことから魔法で顕現させたものではないことは明らかだ。であればその翼は生来のもの。しかし、学園出身で一般人よりも多くの知識を持つ彼でさえ、背中から翼を生やす人型の生物などは知らない。つまりは未知の生命体か。
そこまで考えたところで、一つヘルトの中で答えが浮かぶ。
ありえない。そう頭では分かっている。あまりにも荒唐無稽でまるで子供の妄想のような考えだ。だが──。
だが、少女は告げる。能面のような顔で、淡々と。
「私は天使ジニア。女神様の名の下に勇者テュシアを処刑します」
その子供の妄想こそが真実であると。