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──あなたに会えたのが、最後で良かった。

Xにて挿絵公開中。

よろしければそちらもご覧ください。

@aiueo4564654

「ゆうべはお楽しみでしたね」


 意識の覚醒と共に、感情の籠らない声が耳朶を打つ。


 ヘルトは未だ覚醒しきらない頭で、ぼんやりと辺りを見回した。


 ざらざらとした白い石材で作られた床と壁。床の上には雑多に散らばった本が申し訳程度に足の踏み場を形成し、壁に沿っておかれた机の上には蝋燭の火がゆらゆらと揺れていた。


 そんな机の前の椅子に座る彼女の金の髪と瞳は、わずかな光量の中でもその鮮やかな色合いが陰ることはない。黒いスカートから伸びた細い足は組まれ、腿に肘を置いて頬杖を突く姿は見るもの全てを魅了するほどに美しい。


 そんなジニアへ、ヘルトは言った。


「楽しくなかったが?」


「そうなんですか? あんなにノリノリで戦ってたのに」


「ノリノリじゃねえよ、ったく。……ここは、俺の部屋か?」


 安っぽい建材と散らかった部屋、明らかに見覚えのある部屋の様子にヘルトはジニアへ問いかけた。


「ええ」


「どうしてここにいる? あれからどうなった?」


 魔王軍四天王との激闘、そして収めた勝利。


 今更ながら自らの挑んだ命知らずな挑戦と、手繰り寄せた結果に反省やら歓喜やら様々な感情が湧いてきてごちゃまぜになる。


 聞きながら、ヘルトはベッドの端に腰かける。その間痛まない体を不思議に思って見てみれば、怪我は綺麗に治っていた。


 一体どれだけ時間が経って、誰がここまで運んで来て、誰が治したのか。そんな彼の疑問に答えるべく、ジニアは口を開く。


「あなたが魔王軍べリアスと戦ってから一晩明けました。今は見ての通り夜です」


 ピッと窓を指し示すジニア。


 曇っているのか月の光すらなく、黒い窓には蝋燭の光と彼らの姿が映るばかり。


「大変でしたよ? 私たちが到着してみれば、血だらけになったあなたと傍で膝を抱えているテュシアさんがいて、あなたの姿を見るやプリムさんはワンワンと泣き始めますし、イディオさんに至っては腹を切ろうとしてましたからね」 


 彼らの様子は容易に想像がつき、ヘルトは苦笑する。


「プリムは回復魔法使えないし、イディオはそもそも魔法を使えないからな……」


 万魔の至宝の意外な弱点と、百武の雄のドストレートな弱点だ。


「ええ、だからあなたには感謝してほしいものです。あれだけ混沌とした状況の中、テュシアさんの魔封じを解いて、それに気付くように誘導してあげたんですから。そしてテュシアさんが魔法であなたを治して、イディオさんに運ばせたんですよ」


 エッヘンと胸を張る天使の相貌にはやはり感情がなく、人形のようだ。


 空々しさを感じさせるその姿に、ヘルトは言う。


「そうか、やっぱりお前が仕組んだのか」


「ええ、当たり前じゃないですか? ちなみにそんなことした理由は……必要なさそうですね」


 ヘルトの顔をしげしげと眺めた後、ジニアは言った。


 突然の地盤崩落に、テュシアの魔封じ。全て彼女の仕業である、と。その理由については語ることはないし、ヘルト自身も説明は必要としていなかった。


 テュシア暗殺のため彼女が立てたのは仲良し作戦。説明されなくとも、彼女がどうしてあんなことを行ったのか十二分に理解している。


 ヘルトは複雑な胸中から逃れるように、目を伏せた。


 揺れる蝋燭の炎が、天使の影をシーツの上に落とす。雨が降り出したのか、パラパラと窓ガラスに弾ける水の音が聞こえてくる。


 漂う金木犀の香りの中、ふう、と一息ついてから、ヘルトは言った。


「おい、お前、何を考えている?」


「何を、とは?」


 一層無機質に聞こえる彼女の声。ヘルトは恐れずに踏み込んだ。


「テュシアのことだ。今回十分に殺すチャンスはあっただろう?」


 ジニアが一緒にヘルト達と穴に落ちていれば、それで全てが終わっていたはずだ。


「プリムさん達がすぐに来てしまいますよ。今回彼女達の到着が遅れたのは、私が密かに邪魔をしていたからです」


「あいつらも別の穴に落とせばいいだろうが」


「あれはあの場限りのものです。他の場所では使えないものです」


「あいつらを戦闘不能に追い込めばいいだろうが」


「天使、むやみに人傷つけない」


 のらりくらりと躱されていく追求。しかし、天使の能力や信条に明るくないヘルトにはそれが嘘なのか、はたまた本当なのか判別することは出来なかった。


 歯痒い気持ちで舌を鳴らすヘルト。


「まあ、そんなにイラつかないでください。どれもこれも計画に必要なことで、あなたにとっても悪いことではありません。天使は嘘を吐きませんから。神に誓って本当のことです」


 神に誓って。


 これほど空虚な言葉もないと思うヘルトだが、神に従事する天使が言うとなると相応の重みがあるように思えてくる。


 天使は嘘を吐かない。


 それが本当のことであるならば──。


「なあ、お前言ったよな。テュシアは初めて転生したこの世界で義務を放棄したって」


 ピクリ、と彼女の口端が動く。


「……ええ」


 その声が若干弾んでいるように聞こえるのはヘルトの気のせいだろうか。


 洞窟内でのテュシアとの会話を思い出しながら、ヘルトは口を開く。


「俺の見立て違いでなければ、あいつはそんな大罪人には見えなかったんだがな」


 そう、彼女の仲良し作戦の中で、ヘルトはそんな疑問を抱いていた。


「女神から生き返らせてもらって、一度もその約束を果たさないような無責任な奴には思えない」


 彼女はその命を擲ってまでヘルトを助けようとした。その事実がヘルトにそう思わせる。


 彼女は言ったのだ。


 あなたに会えたのが最後で良かった、と。


 決して、最後に会えたのがあなたで良かった、などと言う殊勝なセリフではない。


 何を思って彼女がそう言ったのか、何が彼女にそう言わせたのか、その答えを確かめるかのように、ヘルトは核心へと踏み込んだ。


「あいつ、この世界に来たのは本当に初めてか?」


「いいえ」


「──っ!」


 天使が笑った。


 常に張り付いていた無表情の仮面は溶け、喜色が浮かぶその均整の取れ過ぎた笑顔はヘルトの背筋を凍り付かせる。


 薄いまつ毛が揺れて、黄金色の瞳がヘルトを見据える。薄紅色の唇が小さく動き、滔々と言葉を紡ぐ。


「あなたの言う通り、彼女は一度も約束を果たしていない大罪人などではありませんし、この世界に来たのは今回が初めてではありません。二度目です。生を受けた世界から初めて転生したのが一回目ですね。分かっていると思いますが」


 ヘルトの推測に与えられた、正解という回答。


 しかし、それが今のヘルトにとっては何よりも恐ろしかった。


「アリアの話をしたでしょう? あれが忘れられたのは、テュシアさんのせいですよ。アリアの次の勇者として彼女が突然現れたせいで、聖剣を抜く、なんて伝説は始まらなかった。だって彼女はそんなのを使わずに当時の魔王を倒したんですから」


 なおも天使は笑顔を崩さず、歌うように語っていく。


「そして彼女はこの世界での役割を終え、次の世界へと移った。その世界でも役割を終え、次の世界へと移った。そしてその世界でも、です。そうして彼女は実に多くの世界を救った。他にも彼女と同じような存在は何人もいますが、ダントツで一番多くの世界を救っています」


 暑くもないのに、ヘルトの首筋にたらり、と汗が流れる。それを見てジニアは心底面白そうに口端を歪めた。


「千の世界を救った勇者、女神が選んだ三千世界の犠牲、それが彼女です」


 天使の言葉は重く、響く。


「千の世界で魔王を倒し、悪竜を滅し、魔人を屠り、すぐさま別の世界へと旅立つ。それが彼女の宿命です。誰かに感謝をされる時間も、仲間達との別れの時間も与えらず、孤独に世界を渡り歩く。それが彼女の代償です」


 天使の言葉が痛く、耳朶を打つ。


「五垓二十八京千九百兆八十五億二千三百十一万二千三十八人の命を彼女が救いました」


 その一人にヘルトは含まれるのだろう。


「五万二千百十四人の仲間と彼女は別れました」


 その一人にヘルトは追加されるのだろう。


「いつしか彼女は、人との関りを断つようになりました。別れがつらいのならば、初めから仲良くしなければ良い。そんな良くある結論に達したのですよ」


 袂を分かった彼女は言った。


 

──あなたに会えたのが、最後で良かった。


 勇者の言葉が、ヘルトの胸を抉った。


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