5. 死神の影
倦怠感と絶望が、鉛のように体にまとわりつく。
ユウキは倒壊したビルの頂に立ち、荒廃した世界を見渡していた。視線の先、遥か彼方には完璧に管理された都市がそびえている。オムニスタワーの周りに整然と並ぶ超高層ビル群が、灰色の空を背景に陽炎の中で揺らめいていた。
二つの世界。破壊と秩序。死と生。自由と隷属。
皮肉な対比が、心を引き裂く。
「きっと、どこかに答えがあるはずだ……」
呟きは風に攫われ、虚空へと消えていった。
それでも諦めきれない。ケンタのために、自分のために、そして――――人間の尊厳のために。
そのときだった。
「え……? 何だろう、あれ……?」
視界の端に、異様な光景が飛び込んできた。
遠い空に、奇妙な軌跡を描きながら飛ぶ青く輝く何かがいる。最初は監視ドローンかと思ったがそれは明らかに人の形をしていた。
しかも、まっすぐこちらへ向かってくる!
「ヤバいヤバい!」
本能が警鐘を鳴らす。ユウキは咄嗟に倒壊ビルの内部へ飛び込み、崩れた壁の陰に身を潜めた。
心臓が暴れ馬のように跳ね回り、全身から冷や汗が噴き出す。
――見つかったらどうなる?
ここは立ち入り禁止の戦場跡だ。ただの学生だと説明したらなんとかなる? いや、そもそも説明の機会すら与えられないかもしれない。
湧き上がる恐怖が、五臓六腑を氷漬けにしていく。
息を殺し、ユウキはそっと瓦礫の隙間から外を窺った。
ひっ!?
心臓が喉元まで跳ね上がった。
目の前を飛んでいたのは――天使だった。
いや、天使の姿をした何か、だった。
青い髪が風に靡き、陽光を受けて宝石のように煌めいている。白磁のような肌は内側から発光しているかのように美しかった。
だが――――。
碧眼に宿る光は、氷河のように冷たかった。薄い唇に浮かぶ微笑みは、人間を見下す嘲笑。全身から放たれる雰囲気は、美しさの皮を被った死そのものだった。
これが噂に聞く、オムニスの新型アンドロイド兵器――――。
少女は風鈴のような澄んだ声で歌を口ずさみながら、廃墟の上空を舞っていた。死者への鎮魂歌か、それとも新たな犠牲者への葬送曲か。美しい旋律が、荒廃した世界に不気味な彩りを添えていく。
「チョロチョロと目障りねぇ……」
歌が止まり、代わりに響いたのは氷の刃のような言葉だった。
碧眼の瞳孔がキュッと収縮し、獲物を見つけた猛禽類のように瓦礫の陰を見据えた。
――見つかった!
全身の血が逆流した。逃げなければ。だが足が動かない。蛇に睨まれた蛙のように、恐怖で金縛りになってしまった。
アンドロイドの少女が、ゆっくりと右腕を天に掲げる。
細い指が虚空に軌跡を描く。
そして――――振り下ろされた。
刹那、世界が青く染まった。
膨大なエネルギーが解き放たれ、大気が裂け、空間が歪み、青白い光が視界を塗りつぶした。
ズドォォォン!
轟音が大地を揺るがす。
ユウキが隠れていた瓦礫の山が、一瞬にして粉塵と化す。衝撃波が鼓膜を破らんばかりに叩き、内臓を揺さぶった。
「ひぃぃぃ!」
理性が吹き飛んだ。恥も外聞もなく、ただ純粋な恐怖の叫びが喉からほとばしる。
圧倒的な力の前では、人間など塵に等しい。希望も、決意も、怒りもすべてが無意味だった。生存本能だけが、かろうじて体を動かす。
ユウキは転がるように立ち上がり、近くの崩れかけた倉庫へと走り出した。
足がもつれる。瓦礫につまずく。それでも走った。走らなければ死ぬ。本能がそう叫んでいた。
しかし、少年の背中には、人間の無力さを嘲笑うかのように、死神の影が寄り添っていたのだった。