第75話 初恋幼馴染を大切にしたい
カラン……コロン……カラン……コロン…………
互いに想いを確かめ合って、並んで花火を見上げた夏祭りからの帰り。
行きと同様、バスで住宅街まで戻ってきた涼太と姫奈は、手の指を絡めて繋いだまま帰路を歩いていた。
一歩、また一歩……と、ゆっくり、ことさらにゆっくりと下駄がアスファルトを擦る音が、眠り静まり返った住宅街によく響く。
バス停から徒歩三分で着くところ、恐らく十分近く掛けてようやく涼太の家が見えてきた。
更にその奥に姫奈の家が並んでいる。
「最後、結愛達に会えて良かったね」
静寂という無色のキャンバスに、姫奈の口から一滴淡い色が落とされた。
涼太は「だな~」と間延びした返事をする。
「三嶋かなり心配してたからな。『ごめん私が姫様見てないといけなかったのに~』って」
涼太が姫奈を見付けられても、結愛はそのことを知らない。
だから、あのあとに会場で結愛と合流出来なければ、結愛はずっと――少なくとも涼太や姫奈からの連絡が届くようになるまでは、姫奈の安否を心配し続けることになっていただろう。
自分が目を離したから姫奈とはぐれた、と言っていたことから、消して少なくない申し訳なさを抱えることになっていたはずだ。
そういう意味でも、合流出来て本当に良かった。
「なぁんか、子供扱いされてませんかねぇ?」
「で、実際迷子になってたからな。子供扱い上等」
涼太がそう言ってからかうと、姫奈は不満を訴えるように繋いだ手をブンブンと大きく振った。
そんなことをしているうちに、涼太の家の前までやってくる。
しかし、涼太はその隣の姫奈の家まで送り届けるつもりでいたので、足を止めることなくそのまま歩き続けていたのだが――――
「……ん、ヒメ?」
「…………」
姫奈が涼太の家の前ではたと立ち止まった。
涼太はついてこない手を不思議に思って振り返ってみるが、姫奈は少し俯き加減になったまま黙っている。
「ヒメん家まで送るぞ?」
「…………」
「ヒメ?」
具合でも悪くなったのだろうかと少し心配になって顔を覗き込ませてみると、そこには妙に顔を紅潮させた姫奈の綺麗な顔があった。
ドキッ、と心臓が跳ねる。
みるみるうちに鼓動が加速していく中、姫奈が俯かせていた顔をゆっくりと持ち上げ、熱に潤んだ榛色の瞳を上目遣いで向けてきた。
「……っ」
何かを訴えようと一度口が開かれるが、言葉が喉につっかえて出てこない様子ですぐに閉じられる。
それでも、視線だけはジッとこちらを見詰めてきていて――――
「……ヒメ」
姫奈が何を伝えたいのか。
何を思っているのか。
それを察した涼太は、宥めるように落ち着いた声で言う。
「大丈夫、俺も同じ気持ちだ。でもな、ヒメ。俺はそれと同じくらいヒメを大切にしたい。わかるか?」
優しく尋ねると、姫奈「ん」と声を漏らして小さく頷いた。
「でも、今晩これ以上ヒメと一緒にいたら俺、ヒメのこと大切に出来なくなる……かもしれないからさ」
かもしれない――と、可能性の段階であるように言ってしまったが、これは確信だ。
ずっと……ずっと、ずっとずっとずっと好きだった姫奈と、今日ようやく幼馴染で親友以上の特別な関係に――恋人になれた。
当たり前に気分は盛り上がっている。
脈拍はいつもより早いし、それに伴って平熱より身体も熱い。
一見物事を俯瞰で、客観的に捉えられているようにも思えるが、今の自分が完全に冷静かと問われれば即答するのは難しい。
姫奈の言いたいことはわかる。
目を見ればわかる。
だが、この調子でいつものように自室に上げると、雰囲気と流れでいつもはしないようなことをしてしまうだろう。
仮にそれを姫奈が望んでいても。
自分自身が本心のところでそうなりたいと願っていても。
一生の思い出となる初めての経験――その引き金を、雰囲気と流れに引かれたくはない。
(まぁ、悲しき童貞の滑稽なこだわりだけどな……)
童貞ほど理想が高くて困る。
涼太は心の中で自嘲気味に笑い、姫奈の頭の上にポンと手を乗せた。
「ゴメンな? 折角勇気出してくれたのに」
「……ううん」
姫奈はそう理解を示しながら、ボフッと胸に顔を埋めてきた。
「でも、リョウ君って私を大切にし過ぎじゃないですかぁ?」
「た、大切にして何が悪いんだよ……」
「……ふふ」
「な、なに?」
胸の中で笑われると少しくすぐったい。
それはもちろん物理的な意味でも――――
「そういうところ、好き」
「……っ!?」
――精神的な意味でも。
胸に顔を埋められているせいで、動揺するとすぐにバレる。
涼太をドキッとさせられて満足したのか、姫奈はぷはっ、と息継するように顔を上げた。
「じゃ、おやすみ」
「お、おう……」
カランコロン、と姫奈は涼太の横を通り過ぎていく。
カランコロンカランコロンカランコロン、カラン、コロン、カラン、コロン……カラン…………
涼太が背中を見送る先で、姫奈はあと少しで自宅の前に着くかというところで立ち止まって振り返った。
「女心に鈍感なリョウ君に、一つアドバイスしてあげましょ~う」
妙に蠱惑的な色の光を瞳に湛え、悪戯っぽく微笑む姫奈。
「女の子って、大切にされ過ぎても不安になるんですよ~」
「え、ちょ……」
涼太が何かを言うより早く、姫奈は身を翻して再び歩き出した。
そんな背中を見詰めていた涼太は「うぅん」と悩ましく眉を寄せ、後ろ頭を掻く。
そして――――
「……もうこれ、俺悪くないし」
涼太は小走りに姫奈の背を追い掛け、パシッとその手を掴んだ。
「えっ、リョウ――」
「――来い」
驚く姫奈に構わず、涼太は半ば強引に姫奈の手を引いていった――――