第74話 小悪魔後輩は負けてない
「――というワケで、私、リョウ君の恋人になったので」
夏祭りから数日後。
姫奈は以前涼太と共に彩香に呼び出された隣町の喫茶店にやってきていた。
ただ、前回と違う点が二つ。
メンツは涼太を欠いていることと、今回呼び出したのは姫奈の方だという点だ。
姫奈は彩香が涼太に好意を抱いていることを知っているため、筋を通すつもりで成り行きを説明しようと思ったのだ。
捉えようによっては勝者が敗者にマウントを取っているような嫌な女に見えなくもないが、そう思われることも承知の上。
というか、この席を設けた動機に、涼太へのマーキングの意味も含めて正当な恋人として牽制しておこうという意図がまったくないと言えば嘘になる。
同じ高校の後輩相手に大人げないなどとは思わない。
先輩後輩関係なく、これは女の戦い。
手加減はむしろ、相手を侮っていることと同義だ。
(とはいえ、流石にショック受けたかな……?)
手元のアイスカフェラテをストローで吸ってから、対面に腰掛ける彩香の様子をチラリと窺ってみる。
すると――――
「そうですか。それはおめでとうございます」
「……え?」
多少は強がりを見せるだろうと思っていた。
しかし、想像していた以上に、彩香はあまりに冷静な態度だった。
姫奈はポカンとしてしまう。
彩香は澄まし顔で肩を竦める。
「なんです? 『うぅ、悔しぃ~! 私だって涼太先輩のこと大好きなのにぃ! 姫奈先輩のバカぁ~!』みたいな反応を期待してました?」
「ん~、ちょっと?」
「いい性格してますね、姫奈先輩」
「彩香ちゃんほどじゃないよ」
「私と比べられる時点で相当ですよ」
「おぉ、自己評価高いね」
「そりゃもう。腹黒さで私の右に出る人はそういませんからっ」
あえてその台詞をキュルルン! と効果音が乗せられそうな可愛らしい声色で言ってのけられる辺り、やはり本性を隠して外面を取り繕う技術は極まっているようだ。
ただ、取り繕うならずっと取り繕っていて欲しい、というのが姫奈の本音だった。
可愛らしい姿を見せたあとにすぐ笑顔をスッと引っ込められると、シンプルに怖い。
「けどまぁ、安心してくださいよ。流石に内心ではちょっと悔しいって思ってますから」
薄っすらと浮かぶ彩香の自嘲気味な笑みに、姫奈は「彩香ちゃん……」と眉尻を下げるが、すぐに彩香が掌を向けてきた。
「あ、同情とかいらないんで」
彩香は目蓋を中ほどまで閉じた瞳で、ジッと姫奈を睨む。
「というか、同情するって言うことはもう勝った気でいるんですか? 前に私が言ったこと、忘れちゃいました?」
彩香は口角を持ち上げ、自身の頬に人差し指を触れさせた。
「恋愛は最後に座っていた人が勝者の椅子取りゲーム。早い者勝ちじゃないんですよ。今は取り敢えず姫奈先輩が涼太先輩という椅子に座っているだけに過ぎません」
その言葉を聞き、姫奈は一瞬でも自分が彩香に同情してしまったことを後悔した。
彩香はまったく折れていない。
そもそも、折れる必要すらない。
彩香にとっては目先の結果など、恋愛という名の椅子取りゲームを楽しむ過程に過ぎないのだ。
「最後に私がそこに座ってさえいれば良いんです。すぐに過去の女にしてあげますよ、姫奈先輩」
「そういう恋敵がいたってことを、将来リョウ君との思い出話にするね」
ふふふ――と、凄みを帯びた微笑みを向かい合わせる美少女二人。
この場に涼太がいれば、流石に震え上がっていたことだろう。
だが、それはあり得ない可能性。
涼太がいないからこそ、姫奈と彩香は互いに思っていることを隠すことなく言うことが出来て、結果このように苛烈な女の戦いになっているワケだ。
良くも悪くも、涼太が同席していないがゆえに。
「というか、彩香ちゃんはどうやって私からリョウ君を奪うつもりなの? 奪えると思ってるの?」
決して煽っているわけではない。
純粋な疑問だった。
姫奈は自分が逆の立場だったらと想像してみるが、既に恋人のいる相手を略奪する方法なんて思い付きもしない。
「自分で言うのもなんだけど……リョウ君、私のこと好きすぎるくらいに好きだよ?」
確かに涼太は天然人たらしなところがあり、本人の気付かぬところで好意を向けられることはあるが、涼太自身の好意が姫奈から他の誰かへ揺らいだことはない。
姫奈自身も、それは確信を持って断言出来る。
そんな涼太を姫奈から引き剥がして自分のものにするというのは、とても容易なことではない、はずだが――――
「まぁ、方法はいくつか思い付きますけど……」
彩香はいとも簡単そうに言ってみせた。
「手っ取り早いのは、シンプルに既成事実を作ってしまうことでしょうかね~」
目の前に座っているのは本当に高校一年生の女の子なのだろうか、と姫奈は耳を疑うような発言に、思わずむせてしまった。
「き、きせいっ……え……!?」
「寝取っちゃえば一発ですよ。責任感の強い涼太先輩です。行為に及んでしまえば、私と付き合わざるを得なくなるでしょうね」
彩香はそう言ってニコニコと笑っている。
一体どこまで本気で言っているのか、姫奈にはわからなかった。
ただひたすらに目をパチクリと瞬かせている姫奈を、彩香は自分の顎を撫でながら舐め回すように見詰めてから、ニヤリと笑う。
「まぁ、長年の片想いが叶ってようやくこんな可愛い彼女が出来たのに何もしない理性の塊のような涼太先輩をベッドに誘うのは、そう簡単じゃなさそうですけどねぇ?」
「ちょっ……!?」
じわぁ、と姫奈の顔が紅潮する。
「え、な、なに!? まさか、リョウ君そんなことまで彩香ちゃんに話してるの……!?」
涼太と彩香は連絡先を交換している。
時々メッセージのやり取りをしているのも知っている。
だから、その辺りのセンシティブな事情を彩香が把握しているとなると、涼太本人から情報が洩れているのかもしれない――と、姫奈は結び付けたのだが…………
「いやいや、まさか」
「じゃ、じゃあどうして彩香ちゃんがそんなこと知って……?」
恥じらい混じりに尋ねると、彩香は可笑しそうに笑った。
「あはは、わかりますよ~。理屈で説明はしづらいですけど、姫奈先輩ってまだ“女”って感じがしませんもん。どう見ても処女ですよ」
「っ、そういうことをサラッと……!」
「いいじゃないですか、女同士ですし。あぁ、私も処女なので“女の子”同士ですね」
女子同士で行われるこの手の話は、男子のそれとは生々しさのレベルが違うという。
交友関係の狭い姫奈は、同性代の同性とその手の話題で盛り上がるなどという経験をしたことがなかったために、その耐性が身に付いておらず恥ずかしさで死にそうだった。
「まさか、涼太先輩この年でもう枯れてるなんてことないですよね? 私が男子なら、可愛い彼女と夏祭りから帰って来たらもう即行連れ込みますけどね、家」
「りょ、リョウ君別に枯れてるワケじゃないから……」
「……へぇ、その根拠は?」
「……秘密」
姫奈は涼太と一緒に夏祭りから帰ってきた夜のことを思い出しながらも、それは自分達二人だけが知っていればいいことだと思って口にはしなかった。
それ以上に、恥ずかしすぎてとても口には出来なかった――――