第55話 初恋幼馴染は気にしない
何やら話があるらしい彩香の誘いを受けた姫奈と本校舎玄関前で一旦別れてから、涼太は預かった姫奈のカバンを片手に、階段で二年生の教室が並ぶ三階に上がって来た。
既に登校してきている生徒がチラホラおり、新学期になってクラスが離れてしまった去年のクラスメイトと廊下で近況報告している者もいれば、教室内で新しいクラスメイトと仲良く談笑している者も見られる。
そんな光景を横目に廊下を歩き、二年一組教室の前までやってくる。
「――いや、ホントそれなぁ~」
「だよねぇ。私もちょっと思ってた~」
「それにさぁ――」
教室に出入りするスライド式のドアは、前も後ろも閉まっている。
だが、内容まではよくわからないが何やら話し声は聞こえるので、誰かがもう登校してきていることは確かだ。
涼太は姫奈のカバンを先に窓際最後列の姫奈の席に置くなら、後ろのドアから入室した方が気分レベルで多少は合理的かと判断し、ドアノブに手を掛ける。
カラカラカラ――――
「――私自分が可愛いの知ってるんで~、みたいな態度が無性に気に障るんだよねぇ、音瀬」
教室の後ろのドアを開けた瞬間に、そんな発言が涼太の耳に飛び込んできた。
教室に一歩足を踏み入れた涼太と、雑談――もとい陰口で盛り上がっていた三人の女子の視線が向かい合う。
他にはまだ誰も登校してきておらず、見詰め合ったまま気まずい沈黙が教室中に充満した。
(確か、朝比奈真緒……だったか?)
百六十半ばはあるかと思われる背丈は女子にしてはやや高く、体型の維持への努力を欠かしていないことはその整ったスタイルを見れば明らか。
黒髪は癖一つないストレートロングで前髪は切り揃えられ、元々相当に整っているであろう顔は更に化粧で彩られている。
制服も校則違反グレーゾーンで着崩されており、何度も折られたスカートからは白く眩しい太腿さえ窺える。
美人だし可愛いことに変わりはないが、スクールカーストの壁を感じて誰でも彼でもが話し掛けられる相手ではない……という雰囲気が漂っていた。
先程の発言の主は、その真緒に他ならなかった。
(他の二人は……見たことはあるけど知らんな。他クラスか)
とはいえ、盛り上がり様から他の二人も同調して姫奈の陰口を叩いていたことに違いはないだろう。
やべっ、と書いてある三人の顔を一瞥してから、涼太は何事もなかったかのように再び足を進めた。
「あ、あれ確か音瀬の幼馴染っていうさ……」
「絶対聞かれたよね……」
「ちっ……」
涼太が何も指摘してこないとわかり、三人が潜め声を漏らす。
だが、気まずさに耐えられなくなったのか、他クラスの女子二人が微苦笑を浮かべて立ち上がった。
「あ、あはは……私、そろそろ行くわ~」
「わ、私も~」
「はっ? ちょ、二人とも……!」
早足で一組教室を去っていく二人の背中に、真緒は制止を促そうとするが、残念ながら間に合わず、伸ばし掛けた手は空を掴んだ。
その間に、涼太は姫奈の机の上にカバンを置いてから、教室の真ん中辺りにある自分の席に座る。
真緒の席は姫奈と同じく窓際列の前の方なので、大して距離は近くないが、この空気感の中では「もう少し遠ければな」と思わずにはいられない微妙な位置だった。
(ん~、気まずいなぁ……)
涼太は何も気にしてなさそうな飄々としたポーカーフェイスを表向き保ちながらも、内心ではどうしようもない居心地の悪さを感じていた。
それは真緒も同じらしく、目的があって操作しているのかどうかもわからないスマホを弄りながら、大きなため息を吐いた。
「はぁ……」
「…………」
「…………」
「…………」
「……ねぇ」
静寂を切り裂き、気まずい二人きりの教室の中で真緒が呼び掛けられるのは、今この場所に涼太しかいない。
無視するのも余計に空気を悪くするだけだと判断した涼太がゆっくり顔を向けると、真緒は手元のスマホに視線を向けたまま口を開いた。
「さっきウチらが話してたこと、言うの?」
「……はい?」
「音瀬にチクんのかって意味」
「いや、別に言わない。アイツは……ヒメは、自分が周りにどう思われてるか自覚してるし、言ったところで何とも思わないよ」
頭の中で容易に想像出来る。
涼太がこのことを伝えたときの、姫奈の反応が。
精々「同じこと思ってるのその人だけじゃないしねぇ~」とけらけら笑うくらいだ。
自分が自然と異性の目を惹いてしまうことを、他の女子に妬ましく思われるなんて今に始まったことではない。
その状況を、今更気にしたりしない。
「ちっ、そういうところがムカつくんだよ……」
「……まぁ、思うだけにしとけよ?」
「はぁ?」
ようやく真緒がスマホから視線を外し、涼太の方を向いた。
化粧によってバッチリ攻撃力の上がった顔は、不機嫌に顰められたことによって更にその威力を増している。
しかし、涼太はそんな相手を前に尻込みすることなく、吊り上がり気味の真緒の瞳を真正面から見詰め返す。
怒りはない。
憤りもない。
ただ淡々と、無感情に、それが当たり前であるように、冷静な面持ちで言う。
「誰が何をどう思おうと自由だ。それについてとやかく言う権利は俺にはない。だが……」
トス、トス、トス……、と席を立ち上がった真緒が、涼太のすぐ傍まで歩いてくる。
「実際にヒメに危害を加えようとしたら、その限りじゃない」
「は? なに? 脅してんの?」
席に座ったままの涼太を上から見下ろす真緒。
涼太はその体勢のまま、真っ直ぐ見上げる。
脅しかどうかへの返答は、無言の視線だけで充分。
「っ、音瀬もウザいけどアンタも大概ねっ……!?」
キッ、と目を細くした真緒が、涼太の胸ぐらに手を伸ばす。
力を込めて掴まれ、ネクタイはよれてシャツには無数のシワが入る。
確かに涼太はインドア派なうえ、華奢な身体付きではあるが、自主的に筋トレを行っていて運動量としては充分。
相手が女子ということもあって、この状況下で力勝負で負けることはあり得ないが、経緯がどうであれ男子が女子に手を出すというのは絵面がよろしくない。
涼太も特に問題を起こしたいわけではないので、仮にここで二、三発平手打ちくらい喰らおうが、大人しくしているつもりだった。
しかし――――
「リョウ君お待た――」
カラカラカラ、と開いた教室の前の扉から姿を現したのは姫奈。
どうやら彩香との話は終わったらしい。
「――せ……?」
そんな姫奈は、教室に足を踏み入れた瞬間に立ち止まり、呆然と涼太と涼太の胸倉を掴み上げる真緒を交互に見詰めた――――




