第53話 初恋幼馴染と小悪魔後輩
ガタンゴトン、ガタンゴトン――――
いつも通り電車に揺られて登校する、涼太と姫奈。
今日は普段より混雑しているようで、車内の人口密度が満員と言わないまでもかなり高い。
レールのカーブで車体が揺れる度に、乗客の肩同士や背中が当たり、個々の体幹の強度によっては大きく押されることもある。
なので、涼太はドアの傍の隅を確保したうえで自然と姫奈を誘導して立たせつつ、自分が壁となることで姫奈が押し潰されないように配慮していた。
「そういや、あのあと結局終わったのか? 今日提出の課題」
涼太は自分が姫奈を庇っていることを変に恩着せがましく表情に出したりせず、それが当たり前であるかのように意に介さず口を開いた。
あのあと――というのは、昨日涼太が姫奈に抱擁されて仲直りしたあとのことだ。
姫奈が翌日――現在となっては今日のことだが――の課題に手をつけていなかったため、涼太は夜になるまで姫奈が課題を終わらせる手伝いをしていた。
ある程度進んだところで、問題の解き方を理解した姫奈は「あとは帰ってからでも出来るから」と言って、夜遅くなる前に涼太の部屋を去ったのだ。
「お陰様で無事に終わりましたぁ~」
「そりゃ何より」
解法をつきっきりで教えてくれた涼太への感謝と、課題と激戦を繰り広げた疲労を同時に滲ませた姫奈が、両肩を上下させる。
そんなときだ。
電車がガタッ、と大きく揺れた。
涼太も姫奈もかれこれ一年この電車で通学している。
おおよそどの区間でどんな揺れが来るかは把握しているし、揺れに耐えられる体幹も持っている。
しかし、今日の混雑具合。
姫奈は扉の隅で問題なく立っていられたが、涼太の背中側に人波の圧がグッと寄り掛かる。
「おっ……!」
涼太は一足分前へよろめいたものの、何とか姫奈を守る壁を維持するために、片腕を姫奈の顔の隣にダンッ! と突くことで耐えた。
ただ、その音と急接近した涼太に驚いたのか、姫奈がビクッと身体を震わせた。
「すまん、ヒメ」
「う、ううん。大丈夫」
そう答えるものの、姫奈はサッと顔を逸らした。
相変わらず息を飲むほどに整ったその横顔には、微かに赤みが差しているようにも見える。
「ヒメ? やっぱ狭いか?」
涼太は自分がよろめいて接近してしまったせいで息苦しくなってしまったのかもしれないと思い、近付いた一歩分の空間を再び確保しようとする。
が…………
「だ、大丈夫って言ったんですけどぉ」
「あっ……」
距離を取ろうとした涼太。
しかし、キュッと制服のブレザーの端を姫奈に摘ままれており、密着状態から離れることが出来なかった。
「ひ、ヒメ……?」
「気とか、遣わなくていいから……」
「え?」
涼太が不思議そうな声を漏らすと、姫奈は気恥ずかしさと呆れが混ざったような上目を向けてきた。
「必要以上にくっつかないようにしてるの、バレてるからね?」
うぅん、と涼太は唸って頬を掻いた。
図星に他ならない反応。
涼太は確かに自分が壁となるように心掛けていた。
それは単純に姫奈が人混みの圧力で押し潰されないようにする目的もあれば、日々のストレスと目の前の誘惑に魔が差した輩の野蛮な手が間違っても姫奈に触れないようにするため。
そして、その輩に自分がならないようにするため。
健全な思春期男子高校生である涼太にも、もちろん歳相応に人並みの欲求というものがある。
道徳という概念を無視出来るのなら、涼太は姫奈の髪に、肌に、そしてさらに敏感なところにも遠慮なく触れたいと思う。
それが素直な感情だ。
だが、涼太は自分の理性の固さに自信を持っている。
素直な感情がどうであれ、姫奈の許可なしに――いや、姫奈がそうして欲しいと求めてくれるまで、手を出さないと決めている。
(そうは言っても……!!)
涼太は心の中で苦悶の悲鳴を上げる。
手は出さない。
魔は差さない――差させない。
それは絶対だ。
だからこそ、触れたいという感情が煮えて煮えて沸騰するほど、その感情を押し止める理性の蓋に掛かる負担が大きくなる。
「別に、リョウ君にならくっつかれても嫌じゃないから、気にしないで……」
ブレザーを摘まむ姫奈の手は離れない。
いやむしろ、若干自分の方に手繰り寄せるように引っ張っている。
背中に掛かる人口密度の圧力も相まって、涼太の身体はやや前のめりになり、斜めになった身体の重みを支えるのは姫奈の顔の隣に立てられた腕と、二本の脚――そのうち右脚は姫奈のしなやかな双脚の間に滑り込んでしまっている。
そんな状態で気にするなと言われても――――
(いやっ、気にするからっ……!!)
地元駅から笠之峰高校の最寄り駅までの二駅分の距離と時間、涼太は自身の理性の蓋を押し上げんとする衝動を抑え続けることになった――――
◇◆◇
「はぁ、つっかれたぁ……」
「えぇ、大袈裟じゃないですかねぇ?」
駅からしばらく歩き、笠之峰高校の校門を潜った涼太と姫奈。
靴箱の並ぶ正面玄関へと並んで歩いていきながら、涼太はまだ微かに羞恥の色の残る顔を俯かせてため息を吐いた。
それを見た姫奈がけらけらと笑う。
「お前なぁ、人の恋心を弄ぶのも大概にしろよなぁ……」
「わぁ、人聞き悪いなぁ~」
「俺は事実をありのまま言ってるだけなんだが?」
涼太は少し咎めるような半目で姫奈を横から睨んだが、姫奈は飄々とした態度を保ったままだった。
そうこうしているうちに正面玄関は目の前。
他愛のない会話を続けながら足を踏み入れようとしたとき――――
「あっ、涼太先輩と姫奈せんぱ~い!」
人懐っこい愛嬌のある呼び声と共に、背後から駆け寄ってくる軽快な足音が聞こえてきた。
振り返ると、ちょうど声の主――ミディアムの黒髪をツーサイドアップに束ねて、二つの尻尾もしくは垂れ耳を揺らす彩香が立っていた。
「おはようございま~すっ!」
ペコリと愛想良くお辞儀してくるので、涼太と姫奈はそれに応える。
「おはよ、彩香」
「おはよ~」
顔を上げた彩香が、そんな涼太と姫奈を少し不思議そうに交互に見比べる。
涼太も姫奈も普段通り接したはずだが、何かおかしな点でもあっただろうかと首を傾げた。
「彩香? どうかしたか?」
「あぁ~、いえ! 何でもないですっ!」
涼太の質問に、彩香はニコッと笑って首を振った。
「そうか?」
「あっ、でもちょっと良いですか~?」
疑問は残るものの彩香が特に口にしないならそれでいいかと涼太は判断して、挨拶もそこそこに玄関に入ろうかと足を出そうとしたところで、彩香に呼び止められる。
「実はちょっと姫奈先輩にお話があるんですけどぉ……良い、ですか?」
チラリ、と不安げに、それでいて甘えるように上目遣いで姫奈を見やる彩香。
涼太は「ヒメに?」と疑問符を浮かべて同じく姫奈へ視線を向け、その先で姫奈もキョトンとした表情を浮かべる。
「えっと、私?」
「はい、姫奈先輩に」
お時間は取らせませんので、と付け加える彩香。
「えぇっと……別に良いけど……?」
「ホントですかっ? やった、ありがとうございますっ!」
戸惑いながらも頷いた姫奈に、彩香は嬉しそうに両手を合わせた。
「じゃあ、すみません涼太先輩。少しだけ姫奈先輩をお借りしますね?」
「リョウ君、先行っててくれる?」
二人の視線を受けて、涼太は「お、おう」と応じる。
「んじゃ、ヒメ。カバン持ってっとくわ」
「うん、ありがと」
差し伸べられた涼太の手に、自分のカバンを預ける姫奈。
「じゃあ、こっちで」
「わかった」
最後に彩香は涼太に小さく一礼してから、姫奈を連れて中庭の方へと歩いていった。
涼太はよくわからなそうに後ろ頭を掻いて、その背中を見送ったのだった――――




