第45話 ラブコメ主人公の密やかな進展
これは、春休み某日。
涼太が姫奈の春休み課題の面倒を見ている一方での光景――――
「すみません先輩。お待たせしました」
地元の駅から電車に乗ってしばらく。
蓮は到着した駅前の広場に設置されているオブジェの前に立っていた優香の傍に駆け寄る。
優香はそのボブカットの黒髪をふわりと揺らして、イマイチ感情の読み切れない赤みを帯びた茶目を向けた。
「いや、私も今来たところだよ」
心配しなくていい、と蓮を安心させるように首を横に振る優香。
「それよりも、本当に付き合ってもらって良かったのか? ただ絵を描きに行くだけだから、もしかすると君には退屈かもしれない」
「いえ、全然! というか、俺の方からついて行って良いですかってお願いしたんですし」
昨晩のメッセージのやり取りでのこと。
何てことのない雑談から、優香が明日絵を描きに外へ出るという話になり、蓮はふとそこに同行したいと思って頼んだのだ。
「そうか? なら良いが」
「で、どこに行くんです?」
「この近くに公園があってな。この時期花が綺麗に咲くんだ」
そう説明しながら、優香がゆっくりと歩き始める。
蓮はその隣に並ぶように、歩幅を合わせてついて行った。
移動すること十数分。
桜の蕾が綻び始めている大きな公園の門を潜った。
木は様々な種類が植えられており、定期的に剪定もされているらしく、四季折々に違った風景を作り上げるのだろう。
少し離れた場所には遊具があり、同じく春休みであろう子供達が、保護者に暖かく見守られながら無邪気に遊んでいる様子が窺える。
そんな光景に、相変わらず変化の乏しい顔を向けていた優香が、ふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、あれから幼馴染達とはどうだい? 上手くやれているのか?」
蓮は優しく微笑んで頷いた。
「はい、お陰様で。橘先輩の助言がなかったら、前みたいには戻れませんでしたから……本当に、ありがとうございました」
「いや、私は何もしていないさ。ただ、客観的に見て言えることを言っただけ……称えるべきは、やはりその“面倒臭がりで面倒見の良い親友”だろう?」
優香が口にしたその言い回しに、蓮は相談を持ち掛けた当時のことを思い出して懐かしく感じながら、フッと口許を緩めた。
「まぁ、確かに。でも橘先輩のアドバイスがなかったら、涼太――その“面倒臭がりで面倒見の良い親友”には相談出来なかったので」
確かに幼馴染としての絆を取り戻せたのは、涼太の働きが大きいだろうが、それでもやはり優香が切っ掛けを与えてくれたことに変わりはない。
蓮が改めて感謝すると、優香は二、三度目をパチクリとさせてから、ほんの少しだけ口角を持ち上げた。
「そうか」
「……っ!?」
ドクッ……、と蓮は自分の心臓が一度跳ねたのを感じた。
感情の起伏が小さい優香の珍しい表情の変化に単純に驚いたのか、それとも僅かに見えた笑顔に魅力を感じたのか、はたまた更にもっと深い理由があるのか…………
その原因を胸の内から探り当てる前に優香が再び歩き出してしまったので、蓮はただ不思議そうに胸に手を当てるだけに止めて、優香のあとを追った――――
◇◆◇
その日の夕方――――
「……今日は新鮮だったな」
しばらく花の綺麗な公園で蓮を連れ添い絵を描いた優香は、駅で蓮と別れて帰宅した。
一般的な二階建ての一軒家。
玄関を跨ぎ、階段で二階に上がって自室に入る。
新たにいくつもページが埋まったスケッチブックを学習机に置いてから、一息吐くようにベッドに腰掛けた。
「まさか、誰かを伴って絵を描くことになるとは……」
自分がただ黙々と絵を描いているだけの場所に同席して、蓮に一体何のメリットがあるのかは、正直優香にはわからなかった。
だが、同時にそんな時間も悪くないとも感じている。
「ふっ、面白い子だ。神代蓮……」
微かにくすぐったさを覚え、思わず笑みを溢していると、自室の扉が三度ノックされる。
「お姉ちゃ~ん? 帰ってきたの~?」
「ああ、今な」
ガチャ、と開けられた扉から姿を現したのは、一人の少女。
外出時にはお気に入りのツーサイドアップにされているミディアムの黒髪は下ろされておりラフな印象で、優香と同じ赤みを帯びた茶目がクリッと大きい。
「どうした、アヤ?」
何か用事があるのかと思って尋ねられた優香の妹――橘彩香は「ううん」と首を横に振る。
「今日はいつもより帰りが遅いな~って思って、ちょっと気になっただけなんだけど……お姉ちゃん、何か良いことでもあった?」
「え……?」
丸い瞳を瞬かせて小首を傾げる彩香。
なぜそんなことを言い出したのかわからない優香は、不思議そうに声を漏らす。
「いや、何か嬉しそう? だから」
「嬉しそう、か? 私が?」
「うん」
優香は自分が感情の起伏が小さく、表情の変化が乏しいことを自覚している。
もちろん家族である彩香であれば、そんな自分の些細な表情変化でも多少感情を読み取ってくることは可能だろうが、それでも今の彩香の反応からして、どうやら目に見えていつもと自分の様子が違うらしい。
「私は……嬉しい、のか……」
少しばかりの驚きを感じながら優香が自分の胸に片手を添えて呟くと、堪え切れなかったのか彩香が「あははっ」と笑いを吹き出した。
「どうしたのお姉ちゃん。感情を知ったロボットみたいになってるよ~」
彩香は笑っているが、優香は存外その例えは間違っていないなと思った。
感情を知ったロボット――蓮にも説明したことがある通り、優香は客観的な視点を持っているが、見ている景色に自分の姿はない。
ゆえに、自分に対しては鈍感。
今、優香が感じている思いがなんなのか……単なる好奇心なのか、新鮮味を楽しんでいるだけなのか、それともひょんな出逢いから関わり始めた蓮に何かが向き始めているのか…………
「何と言うか、難しいな。自分の感情を知るのは」
「えぇ~、お姉ちゃんは難しく考えすぎなんだよぉ~」
彩香が立てた人差し指を頬に当てる。
「無理に感情に理屈なんて持ち出そうとするからワケがわからなくなるんだから、思いのままに行動すればいいのに」
私はいつもそうしてるっ、と楽しそうに笑みを作る彩香。
「いや、アヤはもう少し頭を使って行動した方がいいね」
「頭は使ってるよ? 使ってないように見せてるだけで。ほら、天然って可愛いでしょ?」
よくわからんな、と優香が肩をすくめるので、彩香はムスッと表情で不満を訴える。
「では、そんな頭を使っているアヤは、予定立ててもうとっくに入学の準備は出来ているんだろうね?」
「うっ……!」
姉の指摘に息を詰まらせる妹。
その反応で、答えを聞くまでもないと呆れる姉。
「はぁ……アヤ、小中と違って高校は義務教育ではない。気を抜いているとどんどん周りに置いて行かれるぞ?」
「あーあー! 聞きたくな~い!」
優香の正論に耳を塞いで対抗する彩香。
優香としてはそんな態度に呆れるしかないが、意外にも彩香はすぐに気合の入った表情を見せた。
「大丈夫だよ、お姉ちゃん。私、高校すっごく楽しみにしてるから~」
ほう? と意外に思って目を丸くする優香。
その視線の先で、彩香は腰の後ろに手を回して組み、期待に胸を膨らませた可愛らしい表情で微笑んだ。
「やっと本当の後輩になれるんだもん。カッコ悪いところは見せられないよね~」




