第44話 初恋幼馴染と特別の味
マカロン生地の搾り出し、乾燥、オーブンでの焼成などを経てしばらく。
底の浅い白く大きな丸皿の上に、しっとりとした茶色が映えるショコラマカロンが丁寧に並べ積み重ねられていた。
出来立て特有の甘い香りがふわりと漂ううちに、涼太と姫奈はリビングに移動し、強化ガラス製の長テーブルの前にあるリビングソファーに並んで腰を下ろした。
「ほら、ヒメ。出来たぞ。バレンタインのお返し」
「何か、女子力で敗北した気分なんですけどぉ……」
半開きにされた姫奈の視線の先には、素人が作った割にハイクオリティなマカロン。
誰がどう見ても、バレンタインに姫奈が作ったチョコレートクッキーよりも高い完成度だった。
不満げでいてどこか落ち込んだ風にも見える姫奈に、涼太は小さく笑って肩を竦める。
「そりゃ、練習量が違うから当然だな。でも、こういうのって一番大切なのは込められた想いだろ? 経験とか練習量とかではどうにもならないモノ」
そう語りながら、涼太は皿の上からマカロンを一つ指で挟むようにして掴んで、ニッと笑い、姫奈に見せる。
「俺がこのクオリティで作りたかったのは、ヒメから貰ったクッキーにそれだけの価値を感じたからだぞ」
「うわぁ、なぁんか自分余裕ですよって感じでムカつくわぁ~」
姫奈がツーンと鼻を尖らせそっぽを向いた。
その横顔には仄かな赤みが落ちている。
「別に余裕じゃないけどな」
「うっそだぁ」
「嘘じゃないぞ」
ホントかなぁ、と再度顔を向けた姫奈の視界には、意外にもおどけていない、真面目ながらも少し照れたように耳を赤くした涼太の顔が映った。
「俺はいつでもヒメに好きになってもらえるように必死だから」
ゆっくり。
ゆっくり、ことさらにゆっくりと……目一杯に榛色の瞳が見開かれる。
不意を突かれて驚いたような。
何かを見付けて惚けたような。
頭が真っ白になって呆然としたような。
体感永遠にも感じられるようなほんの数秒間の沈黙を経て、姫奈の顔にマカロン生地を焼くオーブンにも勝るとも劣らない熱が籠る。
「ほ、ほんとバカっ……!」
「あ、ちょ――」
パシッ、と姫奈は涼太の手にあったマカロンを奪うと、そのまま勢いに任せて頬張った。
やはり小さな口で一口は厳しかったか。
姫奈はしばらくモグモグと咀嚼してから飲み込んだ。
「……はぁ、美味しい」
「何でため息混じり」
感想とは裏腹の態度に、涼太は可笑しそうに笑ってツッコミを入れる。
そして、そんな涼太の様子が、やはり余裕に満ちて見えたのだろう。
姫奈は少し頬を膨らませながら涼太をジッと見詰めてから、涼太が油断している隙にその膝を枕にして頭を乗せ、仰向けになった。
「ひ、ヒメ……?」
「なに?」
「いや……聞きたいのはこっちなんだが……?」
涼太は思わず身体を強張らせていた。
急に好きな相手が自分の膝で横たわってきたのだから、当然の反応。
しかし、姫奈はそんな涼太に構わず――いや、むしろそれが望み通りと言わんばかりに澄ました顔で口を開ける。
「あ~ん」
「え?」
「リョウ君、あ~ん」
「えっと……食べさせろ、と?」
そう確認すると、姫奈がコクリと膝の上で頷いた。
涼太は「マジかぁ……」とそうそう感じることのない恥ずかしさを浴びて、天井を仰ぎ見る。
しかし、姫奈が膝からずっと見上げてくるので、涼太は諦めて皿の上からマカロンをまた一つ取ることにした。
右手の中指と人差し指、そして親指で挟む。
その状態でゆっくりと姫奈の口許まで運んだ。
「ほら……」
「ん……」
涼太が呆れと気恥ずかしさが混在したような半目で見詰める下で、姫奈が涼太の手にあるマカロンを三分の一ほどかじった。
(歯形、ちっさいな……)
自分でも変なところに注目しているとわかっている。
意識するな、意識するな、意識するな――と何度自分に言い聞かせても、やはり自然と視線がマカロンにつけられた歯形へ行ってしまう。
そんなことに妙な背徳感を覚えているうちに、姫奈は二回、三回と食み、マカロン一つをすべて味わった。
もう涼太の右手にマカロンはない。
しかし、それでも姫奈の瞳はその手にジッと向けられたまま。
「もういいだろ、ヒメ」
「…………」
「ヒメ?」
「……まだ」
えっ、と涼太が声を漏らす前に、姫奈は下げられようとしていた涼太の右手を掴んで離さない。
よく見れば、涼太の指先には食べる際に溢れたガナッシュが少しついてしまっていた。
生クリームとチョコレート、バターを溶かして作られた甘い甘いガナッシュ。
姫奈はそれを静かに見詰めてから、涼太の手を少し引っ張って自分の唇にチュッ……と触れさせる。
「っ、ヒメ……!?」
「…………」
ドキッ……!
涼太の胸の奥で心臓が一際大きく跳ねる。
込み上げてくる熱が、首を通って顔全体を燃やす。
それでも、姫奈はやめない。
男子にしては細い涼太の指の形を確かめるように唇をしばらく触れさせたあと、舌先でチロッ、と付着していたガナッシュを舐め取った。
「~~っ!?」
熱い姫奈の舌先になぞられて、くすぐったさ以上の羞恥心に悶えピクリと指を震わせる涼太。
「動かないで」
「む、無茶言うなっ……!!」
チロッ……チロ、チロリ…………
姫奈は涼太の指についていたガナッシュをすべて舐め取り、最後にその指先へ薄桜色の唇を押し付けてからようやく手を離す。
「甘くて美味しい、ね」
「お、お前さぁ……!」
「どう? 少しは余裕なくなったでしょ?」
してやったり、と姫奈は気恥ずかしそうにしながらも満足げにはにかんだ。
対する涼太は、ソファーの背もたれに大きく体重を預けて「はぁ……!」と強くため息を吐き出した。
心臓がやかましい。
巡る血液が燃えている。
そして、指先には消えない姫奈の舌先の感触。
もはや満身創痍の涼太を見上げながら、姫奈はじわりと顔の赤みを増しながら呟いた。
「……ねぇ、リョウ君」
「まだ何か?」
「ホワイトデーってバレンタインのお返し、ですよね?」
それがどうかしたのか、という具合に、涼太がまだまだ赤みの拭えない顔で見下ろす。
「私、バレンタイン……リョウ君にあげたのって、お菓子だけじゃない……んですけど……?」
尻すぼみになり、それにつれて羞恥に顔を染めながら呟く姫奈。
動悸に耐えられなくなったのか、顔の下半分を持ち上げた腕で隠して視線を一度涼太と反対方向へ逃がすが、それでも何かを訴えるように、求めるように、チラリと涼太に熱を帯びた視線を送った。
そして、そんな視線の熱が伝播したように、涼太の鼓動もフルスロットルに加速する。
「そ、それって……」
「っ、言わなくて良いから……」
「……っ」
もちろん伝播したのは熱だけではない。
そこに込められた想いも、しっかり伝わっていた。
涼太が一度唇を強くキュッと噤んでから、勇気を振り絞って頭の位置を下げていく。
それを見て、姫奈は顔を隠していた腕をゆっくりと退けた。
露わになるのは、たっぷりの熱を蓄えた頬と、いつにも増して妙に艶っぽく映る、形の良い唇。
潤む榛色の瞳が目蓋のカーテンに隠される。
その縁を彩る長い睫毛は、花の蜜を吸う蝶の羽のように揺れていた。
カチ、カチ、カチ――――
静寂に包まれたリビングには壁に掛けられたアナログ時計の秒針が刻む音。
ドキッ、ドキッ、ドキッ――――
熱に抱かれた涼太と姫奈の胸の奥では、力強く脈動する心臓の音。
どこか緩慢な時間の流れ。
静かなのに姦しい空間。
燃えるように熱くも、心地の良い気恥ずかしさに見守られて。
「ヒメ……」
「……いいよ」
膝の上に置かれた姫奈の頭の上に、スッと下げられた涼太の頭の位置が重なる。
「んっ…………」
忘れもしない、ファーストキスの味。
あの瞬間を鮮明に思い出しながらも、それを上書きする勢いで流れてくる情報量。
喉から零れたような姫奈の甘ったるい声に耳をくすぐられながら、涼太は微かなショコラ風味のセカンドキスの味を記憶の一ページに綴った――――




