第42話 初恋幼馴染と懺悔
「すまん、ヒメ。謝らないといけないことがありまして……」
深く頭を下げる涼太に、姫奈はキョトンと丸くした瞳を向ける。
「謝らないといけないこと?」
「いや、まぁ……ほぼ不可抗力みたいなもんだってわかってるんだけどさ。謝っとかないと俺が罪悪感で押し潰される……」
涼太はゆっくり顔を上げた。
羞恥に紅潮した顔と、申し訳なさそうに伏せられた黒い瞳。
静かに見守る姫奈の視線の先で、涼太は呼吸と精神を整えるように細く長く息を吐き出すと、ぎこちなく口を開いた。
「じ、実は……夢を見まして……」
「っ、へ、へぇ……?」
ビクッ、と一瞬姫奈の身体が強張ったが、申し訳なさでまともに目を合わせられない涼太は気付いていない。
「それが、その……ヒメが出てくる夢でさ……」
「おぉ、私が……ね……」
「それで……えっと……」
じわぁ、と涼太の顔の赤みが増していく。
心臓は今にも華奢な涼太の胸を突き破って飛び出してきそうな勢い。
そして、姫奈は姫奈で薄々察しており――――
一呼吸の間をおいて、ええいままよと言わんばかりに涼太がぶちまけた。
「ひ、ヒメにめっちゃ甘えられる夢を見てしまいましたっ!! すまん、ほんっとにゴメン!!」
今度こそ正真正銘の土下座だった。
ダァン! と実際に額は床に打ち付けないまでも、そんな効果音が鳴ってもおかしくないほどには勢いをつけて深く深くことさらに深く頭を下げた。
嫌われてしまうかもしれない。
軽蔑されるかもしれない。
折角縮まりつつあった姫奈との関係性がぐんと離れてしまうかもしれない。
そんなリスクを冒してまで言ってしまった、本来言う必要のない秘密。
確かに罪悪感から解放されたい気持ちがあった。
しかし、それ以上に涼太は姫奈に対して誠実でありたかった。
たかだか見た夢の一つや二つで誠実さの証明にはならないかもしれないが、特段ハイスペックというワケでもなく、どこにでもいるごく普通の男子高校生の一人である涼太が姫奈に出来ることと言えば、ひたすらに誠実であること。
それだけは、貫きたかったのだ。
姫奈に何と言われるだろうかと、涼太は土下座したままギュッと目を固く瞑り、恐怖で強張った身体が小刻みに震えている。
姫奈はそんな涼太の懺悔とも呼べる告白に、カァと顔から耳の先端までを真っ赤に染め上げていた。
涼太の目が向けられていないところで、パクパクと口を何度も開閉させ、視線を右往左往させる。
だが、変に動揺しているところを涼太に見られたくないので、わざとらしく咳払いを一つ挟み、バリボテの平静を手繰り寄せる。
「あ、甘えるって……ど、んな、風に……?」
「えぇっと……なんか、寝てたらヒメがいつの間にか上にいて……」
ドクッ、ドクッ、ドクッ…………!
姫奈の心臓が早鐘を打ち始める。
「それで『一緒に大人になろう』って囁かれて……」
「~~っ!?」
ドドッ、ドドッ、ドドッ――!
姫奈の心拍数はフルスロットルに加速した。
「し、ししし……した……?」
「してないしてないっ! する前に目が覚めたから!!」
バッ、と慌てて顔を持ち上げた涼太がブンブンと手と頭を横に振って否定する。
すると、赤面したままの姫奈が疑うような半目を向けた。
「そ、それってさぁ。目が覚めなかったらするつもりだったってことじゃないですかねぇ……?」
「い、いやっ、そんなことは……!」
「そんなことは?」
「……な、なんか夢の中で身体が動かなくなって、抵抗出来なかったんですよね……」
結局するつもりだったってことじゃん、と姫奈が呆れたように呟くと、涼太はシュンと項垂れて「ほんとゴメン……」と再度謝罪を口にした。
涼太の顔から赤みが失せている。
そうやら、恥ずかしさより圧倒的に申し訳なさが勝ってしまったようだ。
姫奈はそんな涼太をじぃ、としばらく半目で睨んでから――――
「……ぷっ」
「ヒメ……?」
不思議そうに涼太が視線を向けると、姫奈はやや猫背になりながら左腕で腹を、右手で口許を押さえるようにして静かに笑っていた。
「くくくっ……!!」
「え、えっと……お姫様……?」
「ふふっ、ご、ごめっ……ちょっと可笑しくって……!」
一体どこに笑いのツボがあったのか。
涼太が首を傾げる先で、姫奈は目尻に涙まで浮かべて押し堪えるように笑っている。
「ふぅ~、はぁ……可笑しかったぁ……」
「な、何が……?」
姫奈が床に後ろ手をつき、愉快そうな笑みを湛えたまま上体を仰け反らせるようにして座り直した。
「いやだって、ホント。どこまで私のこと好きすぎるんですか~、って思ってね」
思い出すようにもう一度軽く笑って、姫奈は天井を仰いでいた顔を涼太の方に向ける。
「どんな夢を見ようがリョウ君の勝手でしょ。私が出てきたからって、私に謝る必要なんかないのに。律儀ですねぇ~」
「か、からかうなよ……結構マジで落ち込んでんのに……」
そう言って視線を斜め下へ逃がす涼太。
姫奈は「はぁ」とため息一つ吐いてから、床を這うように歩いて涼太の隣に移動した。
ピタリ、とくっつく肩と肩。
「お、おいヒメ……!」
「だ~か~らぁ~」
姫奈は聞き分けの悪い子供を優しく叱るような口調で言う。
「落ち込まなくて良いってば。謝らなくても良いし、申し訳なくも思わなくて良いんですぅ。私が良いって言ってるんだから、良いじゃん」
「で、でもさ……正直、キモいだろ?」
「ん~」
恐る恐る涼太が口にした問いに、姫奈は唸りながら数秒考えて、
「まぁ、キモいですねぇ」
「ほらぁ!!」
ハッキリ言われてショック、というのはなかった。
わかりきっていたことだったからだ。
とにかく涼太は気持ち悪い自分は姫奈から距離を取った方が良いと思い、サッと後退りしようとするが、残念ながらそれは出来なかった。
隣に座る姫奈がキュッと涼太の袖の端を摘まんでいて、離してくれないからだ。
「でも、どんな人でもキモい部分はあるでしょ。逆にいっぺんの曇り? もなかったら、それはそれで不自然でキモくない?」
「えっと、つまり?」
「多少キモいくらいで私がリョウ君を嫌ったりすることはないから大丈夫ってことです」
そう語る姫奈の横顔は清々しく微笑んでいた。
それを見て、涼太は自分にのしかかっていた罪悪感という名の重しが徐々に取り払われていくのを感じる。
「そっか……」
「むしろ、別に私が怒ってるわけでもないのに、勝手に罪悪感持たれても鬱陶しいし」
うっ、と辛辣な言葉に声を漏らす涼太を、姫奈はくすくすと笑った。
「リョウ君だってそうでしょ?」
「え?」
「例えば……例えばだけど、さ」
姫奈はしっかり釘を刺しておきながらも、顔が熱くなるのを感じて、涼太と反対方向を向きながら話す。
「逆の立場で、私がその……リョウ君に甘えられるような夢を見たとして。リョウ君は……怒らないでしょ?」
「そ、そりゃまぁ。むしろ嬉しいまであるが……」
「い、今別にリョウ君の感想なんて求めてないんですけどぉ~」
不満げに唇を尖らせた姫奈が振り返ってジト目を向けてきたので、涼太は咄嗟に「すまん」と謝ってしまった。
「と、とにかくそういうことだから」
「ほ、ほう……?」
涼太はイマイチ姫奈が何を言っているのかわからなかったが、取り敢えず自分が見てしまった夢については何も思わなくて良いんだと納得した。
「さ、勉強に戻……りたくはないけど、しないとなぁ~」
そうぼやきながらも折り畳み式テーブルの方へ戻って行こうとする姫奈の背中に、涼太はふと浮かび上がってきた疑問を投げ掛けた。
「あ、ヒメ。ちなみになんだけどさ」
「ん~?」
「ヒメは、今言ったような夢って……見たりするのか?」
ピタリ、と姫奈の動きが止まった。
ゆっくりと顔を振り返らせ、半開きの瞳で涼太を睨む。
「そういうの、セクハラって言うと思うんだけど」
「うっ、そう言われたら何も聞けない……!」
昨今モラルとコンプラの防御力はカンストされ、むしろ攻撃手段にさえなりつつある。
涼太はそんな戦略兵器を前にして怖気づき、これ以上の詮索はやめようとする。
しかし…………
「質問ってさ」
ポツリ、と姫奈が何でもないように呟く。
「答えなかったら、つまりそういうことだよね」
「え……?」
「はい、この話お終い。ねぇ、リョウ君この問題も教えて欲しい」
涼太が受け取った情報の処理を終えぬうちに、姫奈が話を切り替える。
「え、今の何? どゆこと?」
「だからこの問題だってば」
「違う違う、その前。質問がどうのこうのって」
「えぇ、知りませ~ん」
「ちょ、ヒメぇ……」
「ほらほら。珍しく私が勉強してるんだから手伝って欲しいんですけど」
結局、涼太は姫奈の口にした言葉の意味を教えてもらうことは出来なかった――――




