第4話:お嬢様、畑を耕す(物理)…の前に事情聴取?
「うーん……ふぁ……。よく眠りましたわ……」
重い瞼をゆっくりと持ち上げると、見慣れない(しかし、あの埃っぽい監視小屋よりは遥かにマシな)木の天井が目に飛び込んできた。鼻腔をくすぐるのは、なんだか青臭いような、薬草っぽい匂い。
(あら? ここはどこですの? わたくしの天蓋付きベッドではないようですけれど……まあ、藁の上よりは快適ですわね。ふかふか……はしてませんけど)
むくり、と体を起こしてみる。少しのだるさは残っているものの、体調は悪くない。むしろ……猛烈にお腹が空いている!
「お腹が空きましたわ……。朝食のベルはまだ鳴りませんの? 銀のトレイに乗った焼きたてのクロワッサンと、淹れたてのセイロンティーは……」
そこまで言って、はたと気づく。そうだ、わたくしは王都を追放され、こんな辺境の地に送られたのだった。クロワッサンなんて、夢のまた夢。現実は、あの石ころパンなのだ……。がっくりと肩を落とした、その時だった。
バタンッ!!
「リアナ様! お目覚めですか!」
まるで嵐のように、ドアが勢いよく開け放たれ、一人の少女が部屋に飛び込んできた。ティラだ。その目は星が宿っているかのようにキラキラと輝き、頬は興奮でバラ色に染まっている。
「まあ! ご無事でよかったですぅ! 心配しておりましたのよ! まるで、おとぎ話に出てくる眠れる森の美女みたいでしたわ!」
……美女、という部分は否定しませんけれど、眠れる森? わたくし、ただ気絶していただけですわよね? しかも原因は、おそらく魔力の使い過ぎ(と空腹)。あまりロマンチックな状況ではございませんことよ?
「あの魔法、本当に、本当にすごかったです!」ティラはわたくしのベッドサイドに駆け寄ると、目を輝かせながらまくし立てた。「井戸の水があんなに綺麗になるなんて! それにお花まで! まさに聖女様の起こした奇跡ですわ!」
せ、聖女様……? き、奇跡……?
いや、確かに結果的に水は綺麗になりましたけれど、わたくしとしては、あの失礼な監視役への怒りに任せて「えいやっ!」とやっただけで……。
「リアナ様はやっぱり、天から遣わされた特別な方だったんですね!」「ねえねえ、リアナ様! 王都では、毎日あんな風に魔法を使っていらっしゃるんですか?」「お召しになっているドレス(もうボロボロですが)、どうやってお手入れしているんですの?」「好きな殿方はいらっしゃるんですか!? やっぱりフリード様…あっ、失礼しました!」
(ちょ、ちょっと待ってくださいまし、ティラ! 質問が多い! 多すぎますわ! そして最後のはデリカシーがありませんことよ!? それに何より、わたくしはお腹が……)
わたくしがティラの質問攻めに目を回しかけていると、ひょっこりと入口に新たな人影が現れた。エルマ婆さんだ。手には、湯気の立つ木の椀を持っている。
「やかましいぞ、ティラ。病み上がりをそんなに騒がせるでない」エルマ婆さんは、ティラを軽くたしなめると、わたくしの方へ向き直った。「リアナ、気分はどうじゃ? とりあえず、これを飲むといい。滋養のつく薬湯じゃ」
差し出された椀からは、やはり薬草の匂いがする。正直、あまり美味しそうには見えないけれど、空腹には勝てない。
「ありがとうございます、エルマ様。いただきますわ」
おずおずと受け取り、一口すする。……意外と、悪くない。少し苦いが、滋味深いというか、体が温まる気がする。
「それで、嬢ちゃん」薬湯を飲むわたくしを、エルマ婆さんがじっと見つめる。「お主、自分が何をやらかしたか、ちったぁ自覚があるのかえ?」
「え? やらかした、とは……? 水は綺麗になりましたし、結果オーライではございませんこと?」
きょとん、と首を傾げるわたくしに、エルマ婆さんはこめかみをピクピクさせながら、深いため息をついた。
「あれは『復讐魔法』じゃ! 怨念や憎悪を糧とする、下手をすれば術者も周りも破滅させる禁忌中の禁忌の力じゃぞ! それを、よりにもよって井戸の浄化なんぞに使うとは……! しかも、あんな場違いな花まで咲かせおって! 魔力の無駄遣いにも程があるわい!」
ふ、ふくしゅうまほう? きんき?
なんだか物騒な響きですけれど……。でも、現にわたくしも周りも破滅しておりませんし、むしろ感謝されているような……?
「そもそもじゃな、魔力というものは魂の奔流が云々……指向性を持ったエントロピーがどうたら……」
エルマ婆さんの、難解極まりない魔法講座が始まった。エントロピー? それは、王宮の晩餐会で出されるデザートの名前でしたかしら?
「お主の場合、おそらく王家の隠された血脈由来の特異な魔力回路がうんぬん……強い負の感情…つまり『裏切りの痛み』によって強制的に励起され、カンヌン……」
(えーっと……つまり、わたくしは実は凄い血筋で、裏切られたショックで凄い力が目覚めた、ということですわよね? 要約すると。まあ、凄いのはいつものことですけれど。それより、この薬湯、お代わりはいただけますのかしら……?)
わたくしが、右の耳から入った情報を左の耳へとスムーズに受け流していると、不意に、入口から不機嫌そうな声が聞こえた。
「……よぉ。生きてたか、お嬢」
ダリオだ。腕組みをして、壁に寄りかかりながら、こちらを睨んでいる。……ように見えるが、心なしか、以前のような刺々しさが薄れているような……?
「てめぇ、とんでもねぇことしやがったな。おかげでクラン中が大騒ぎだぜ。まあ、水が綺麗になったのは……その、なんだ……助かった、が……」
珍しく、少し歯切れが悪い。
「……べ、別に! 礼を言いに来たわけじゃねぇからな! エルマ婆さんに用があっただけだ! ついでに様子を見てやっただけだ!」
(あらあら、素直じゃありませんこと。顔が少し赤いですわよ? まるで茹でダコみたい。ふふっ)
わたくしが内心でほくそ笑んでいると、ティラがぷんぷん怒りながらダリオに詰め寄った。
「ダリオさん! なんて言い方するんですか! リアナ様は、私たちを救ってくださったんですよ!」
「うるせぇな! 別に頼んだ覚えはねぇよ!」
「もう!」
わーわーと言い争う二人を横目に、エルマ婆さんが「やれやれ」と再びため息をつく。
薬湯を飲み干し、エルマ婆さんに促されて、わたくしはティラと一緒に小屋の外へ出てみた。すると、道行くクラン民たちの視線が一斉にこちらに集まるのを感じた。
ある者は、恐れるように目を伏せ、ある者は、興味深そうに遠巻きに見つめ、またある者は、おずおずと頭を下げてくる。以前の、わたくしを「石ころ」か何かのように見ていた無関心や侮蔑の視線とは、明らかに違う。
(なんだか、皆さんの様子が変ですわ……。わたくし、そんなに変な顔をしておりますかしら? それとも、寝癖がついておりますの? ……まあ、確かに、とんでもないことをしてしまったのかもしれませんけれど……)
自分の内にあるという、よく分からないけれど凄いらしい「復讐魔法」とやら。そして、変わり始めた周囲の態度。これから、わたくしはどうなるのかしら……。
(とりあえず……何か食べたいですわ。石ころパン以外で……)
わたくしがそんな現実逃避にも似た思考(と食欲)に囚われていると、隣のティラが、期待に満ちたキラキラした瞳で、わたくしの手をぎゅっと握ってきた。
「リアナ様!」
その声は、強い確信に満ちていた。
「あの、実は……リアナ様のその素晴らしいお力で、どうか、お願いしたいことがあるんです!」
お願い? このわたくしに? いったい何を……?
わたくしの新たな(そして、おそらく面倒な)日々が、また始まろうとしていた。
(第四話 了)