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第3話:目覚めよ、復讐(とお腹の虫)!

「な……ななな、なんですってぇーーーーー!!!」


 わたくし、リアナ・ファルシア。人生でこれほど血管が切れそうになったことはございませんわ! ウザい!? このわたくしに向かって、ウ・ザ・い!?


「この無礼者! 下賤の輩! 女性に対するデリカシーというものを、お母様のお腹の中に置き忘れてきましたの!?」


 思わず、日頃の淑女教育なんぞ投げ捨てて、わたくしは金切り声を上げていた。……まあ、実際には蚊の鳴くような声しか出なかったのだけれど。長旅と空腹で、もはや大声を出す気力すら残っていなかったのだ。


 案の定、ダリオはわたくしの渾身の罵倒を鼻で笑うと、「へーへー、そうでヤンスかー」と心底馬鹿にしたような口調で言い残し、とっとと去っていった。


(くっ……! 覚えてらっしゃい! いつか、あなたのそのボサボサ頭を、わたくしが綺麗に三つ編みにして差し上げますわ!)


 悔しさに拳をぷるぷると震わせる。今はただ、この理不尽に耐えるしかない。……まずは、この石ころパンをどうにか胃に収めることから始めなければ。


 そんな屈辱的な日々が数日続いた。

 驚くべきことに、人間(というか、わたくし)は慣れる生き物らしい。相変わらずまずいパンにも、埃っぽい小屋にも、デリカシーのないクランの連中にも、ほんの少しだけ、ほんの少しだけ、慣れてきてしまった自分がいる。……不本意ながら。


 その日も、わたくしは小屋の前で、今日の分の石ころパンと格闘していた。どうすればこれを、少しでも美味しく(というか、食べられるものに)変えられるか。それが最近のわたくしの最大の関心事だ。


(いっそ、水でふやかしてみるというのはどうかしら? ……いや、この濁った水では、更なる惨事を招きかねませんわね……)


 そんなことを考えていると、ふと、視界の隅に見慣れない男の姿が入った。王都から派遣された、わたくしの監視役の下級兵士の一人だ。こそこそと、クランの共有井戸に近づいていく。


(あら? あんなところで何を……)


 訝しく思って見ていると、男は懐から小さな革袋を取り出し、その中身を――井戸の中に、ざらざらと流し込んだ! そして、下卑た笑みを浮かべて呟くのが、風に乗って聞こえてきた。


「へへ……これで水も飲めまい! 苦しむがいい、辺境のゴミどもめ!」


 な……!


 わたくしは、我が目を疑った。今、確かに毒のようなものを……! あれは、クランの人々が生活に使う、唯一の井戸のはず!


 案の定、すぐに異変が起きた。井戸の周りにいたクランの女性たちが、悲鳴を上げる。

「きゃあ! 水が!」

「なんだか、変な色に……それに、臭い!」


 あっという間に井戸の周りに人だかりができ、皆が絶望的な表情で濁っていく水面を見つめている。水汲みに来ていたティラが、わなわなと震えながら涙ぐんでいるのが見えた。


「どうしよう……これじゃ、水が飲めない……」

「これから、どうやって生きていけば……」


 クランの人々の絶望的な声が、わたくしの耳に突き刺さる。

 自分への仕打ちは、まだ耐えられた。理不尽な追放も、屈辱的な扱いも、いつか見返してやると、そう思えた。


 けれど、これは違う。

 この、わたくしとは何の関係もない(はずの)、ただここで必死に生きているだけの人々の、命の綱を脅かすなんて。

 なんという卑劣な! なんという理不尽な!


 わたくしの中で、何かが沸騰するのを感じた。それは、先日ダリオに向けたものとは比べ物にならない、もっと黒く、もっと熱い感情。


(許せませんわ……! こんなこと、絶対に、許してなるものですか!)


 わたくしは、握りしめていた石ころパンを放り投げると、井戸に向かって走り出していた。自分でも、何をするつもりなのか分からない。ただ、猛烈な怒りが、わたくしを突き動かしていた。


「汚らわしい毒よ、消え去りなさい!!」


 気づけば、わたくしは叫んでいた。普段の「ですわ」口調はどこへやら。完全に地金が出ている。


「さもなくば、わたくしの怒りで、ちりにしてやりますわよ!!」


 その瞬間だった。

 わたくしの体から、まるで墨汁をぶちまけたような、黒いオーラがぶわりと噴き出したのだ! え、なにこれ!?


 黒いオーラは、まるで意志を持っているかのように、一直線に井戸に向かって迸る!


 ゴゴゴゴゴゴ……!!!


 次の瞬間、凄まじい地響きと共に、井戸の水が巨大な柱となって天高く噴き上がった! 間欠泉!? ここ、温泉地でしたの!?


「「「うわあああああ!!?」」」


 クラン民も、毒を入れた兵士も、皆、腰を抜かさんばかりに驚いている。


 だが、驚きはそれだけでは終わらなかった。噴き上がった水は、みるみるうちに濁りが消え、太陽の光を浴びてキラキラと輝く、清らかな水へと変わっていく。まるでダイヤモンドダストのようだ。


 さらに! その水しぶきが地面に落ちると、ぽぽぽぽぽっ、と音を立てるようにして、色とりどりの可愛らしい花が一斉に咲き始めたではないか! 赤、青、黄色、ピンク……って、こんな花、辺境に自生しているはずがございませんわよね!?


 極めつけは、井戸そのもの。先程までの古びた石造りの井戸が、まるで新品のようにピッカピカに磨き上げられ、神々しい光まで放っている始末。やりすぎでは!?


 呆然自失。

 その場にいた全員が、口をあんぐりと開けて、目の前のファンタジーすぎる光景を見つめている。毒を入れた兵士に至っては、完全に白目を剥いて気絶していた。……あらあら。


 一方、この珍事を引き起こした張本人であるわたくしはというと……。


(あら……? なんだか、急に眠気が……。今日のティータイムは、まだのはずですのに……。スコーンと、ダージリン……)


 急激な脱力感と眠気に襲われ、その場にへたり込んでしまった。視界がぐにゃりと歪む。まずい、意識が……。


 朦朧とする意識の中、人垣をかき分けて、杖をついた小柄な老婆が近づいてくるのが見えた。確か、集落の薬草師かなにかをしていたはず……。エルマ、とかいう名前だったかしら。


「……やれやれ、騒々しいと思ったら、またお主か、王都の嬢ちゃん」


 エルマ婆さんは、ピカピカに光る井戸と、その周りに咲き乱れる場違いな花畑、そしてぐったりしているわたくしを一瞥すると、やれやれといった風に深いため息をついた。


「……ふむ。これは『復讐魔法』の暴走…いや、浄化への転換か? とんでもない力じゃが……。まったく、魔法の無駄遣いも甚だしいわい!」


 ふくしゅうまほう……? なんですの、それ? 美味しいのですか……?


 周りでは、クランの人々がざわざわと囁き合っているのが聞こえる。

「魔法…? 今のが?」

「あの嬢ちゃんが、やったのか……?」

「すげぇ……綺麗な水だ!」

「いや、でも、なんか怖ぇよ……」


 人垣の向こうで、ティラが目をキラキラさせてわたくしを見つめているのが、ぼんやりと見えた。少し離れた場所では、ダリオが腕組みをして、呆れたような、信じられないような、なんとも言えない複雑な表情でこちらを見ている。


「まあ、少し眠ればよかろう。しかし、これからが面倒じゃわい……」


 エルマ婆さんが、わたくしの額にひんやりとした手を当てながら、心配そうに(いや、面倒臭そうに?)呟くのが聞こえたのを最後に、わたくしの意識は完全にブラックアウトした。


 ……次に目が覚めた時、わたくしを取り巻く状況は、どうなっていることやら。

 とりあえず、お腹が空きましたわ……。


(第三話 了)

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