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第2話:ウェルカム・トゥ・ザ辺境(地獄)

 ゴットン、ガッタン……。

 揺れる、揺れる、どこまでも揺れる! まるで巨大な洗濯機の中に放り込まれた洗濯物のような気分だ。いや、洗濯物の方がまだマシかもしれない。少なくとも、あちらは清潔になるという目的がある。今のわたくしには、目的も、清潔さも、何もない。あるのは、お尻の痛みと、胃袋からの抗議だけだ。


(ああもう! この揺れ! まるで芋袋ですわ! わたくしという繊細なガラス細工のような令嬢を、こんな風に扱うなんて!)


 護送馬車に揺られること、はや幾日か。正確な日数はもう分からない。窓のない(というか、ただ板が打ち付けられているだけの)車内では、昼夜の感覚すら曖昧になってくる。時折、扉が開けられ、無愛想な衛兵が黒くて硬いパンと、生ぬるい水を放り込んでくるだけ。


(この黒パン、もはや石ですの? わたくしの歯が欠けてしまったら、どうしてくださるのかしら!? 王都御用達のパティシエが焼いた、ふわふわのブリオッシュが恋しい……)


 そして、プライバシーという概念は、この馬車には存在しないらしい。用を足すための簡素な桶が隅に置かれているだけだなんて……! ファルシア公爵家の令嬢が、こんな、こんな屈辱……!


(思い出してはいけませんわ、リアナ。今は耐えるのです。いつか、あの豚王子と、わたくしを笑った貴族どもに、目にもの見せてやるのですから……!)


 そう自分に言い聞かせながらも、空腹と不快感で涙が滲む。


 その時だった。

 ガコン! と大きな音を立てて、馬車が急停止した。数日ぶりの、まともな(?)停止だ。


「おい、着いたぞ! さっさと降りろ!」


 外から、衛兵の怒鳴り声が聞こえる。扉が乱暴に開けられ、眩しいほどの陽光が差し込んできた。思わず目を細める。


「ほら、ぐずぐずするな!」


 衛兵に腕を引かれ、半ば引きずられるようにして馬車から降り立つ。

 そして、わたくしは……絶句した。


 目の前に広がっていたのは、見渡す限りの砂と、岩。乾ききった風が砂塵を巻き上げ、容赦なく肌に吹き付けてくる。空はどこまでも青いが、それは王都で見るような優しい青ではなく、全てを焼き尽くさんばかりの、暴力的な色をしていた。緑というものが、視界のどこにも見当たらない。


(こ、ここが……辺境……? 絵本で見た、花と緑あふれる『田舎』とは、ずいぶん違うようですわね……?)


 あまりの衝撃に立ち尽くしていると、前方に二人組の男が立っているのが見えた。

 一人は、熊と見紛うほどの大男。日に焼けた肌、筋骨隆々とした体、顔には大きな傷跡があり、鋭い眼光でわたくしを値踏みするように見ている。着ているものも、なんだかボロボロの革鎧のようなものだ。

 もう一人は、その隣に立つ、少し背の低い男。歳はわたくしと同じくらいだろうか。黒髪を無造作に伸ばし、目つきが悪く、口元には常に嘲るような笑みを浮かべている。服装は……まあ、大男よりはマシだが、お世辞にも上品とは言えない。


(な、なんですの、この方たちは……? まるで、物語に出てくる山賊か何か……)


 わたくしが内心で怯えていると、大男の方が、地響きのような低い声で言った。


「……ふん。こいつが王都から送られてきた『お荷物』か。思ったより、ひょろっとしてやがるな」

「へっ」隣のチンピラ風の男が、唾を吐き捨てる真似をする。「見るからにひ弱そうな女だな。こんなんが何の役に立つんだか。足手まといになるのがオチだろ、族長」


 お、お荷物ですって!? ひ弱!? そ、そんなこと……!

 わたくしだって、ダンスレッスンで鍛えた体幹と、刺繍で培った集中力には自信がありますのよ! それに、この国の歴史なら、そんじょそこらの学者より詳しいんですから!


 ……と、心の中で猛反論するものの、二人のあまりの威圧感に、声が喉の奥に引っかかって出てこない。ぷるぷると拳を握りしめるのが精一杯だった。


「まあ、いい。王都の連中が決めたことだ。文句は言えん」族長と呼ばれた大男が、面倒臭そうに首を振る。「おい、ダリオ。こいつを例の小屋に連れていけ」

「げっ、オレがかよ……。しゃーねーな」ダリオと呼ばれた男が、これまた面倒臭そうにわたくしを睨む。「おい、お嬢様。こっちだ。とっととついてこい」


 有無を言わさぬ口調に、わたくしは反射的に後をついていく。案内されたのは、集落のはずれにある、今にも崩れ落ちそうな掘っ立て小屋だった。扉は傾き、壁には隙間が空いている。


「……ここが、貴様の住まいだ。ありがたく思えよ」


 ダリオはそう言い捨てると、わたくしが何か言う前にさっさと背を向けて歩き去ってしまった。


 残されたわたくしは、呆然と小屋を見上げる。

 ……ここが? わたくしの? 住まい?


 おそるおそる、軋む扉を開けて中に入る。中は、外観以上にひどかった。土間の床には砂埃が積もり、壁際には申し訳程度の藁が敷かれているだけ。家具らしい家具といえば、小さな木のテーブルと、ひび割れた水差しだけ。


(う、嘘でしょう……? こ、ここですの!? わたくしのふかふかの羽毛布団は!? 優雅な猫足のバスタブは!? そして何より、わたくし専属のメイド、アンナはどこですの!?)


 あまりのことに、膝から崩れ落ちそうになる。シルクのドレス(もうドロドロだが)が汚れるのも構わず、その場にへたり込みたかった。しかし、最後のプライドがそれを許さない。


 と、その時。

 バン! と乱暴に扉が開き、先ほどのダリオが戻ってきた。手には、何か黒い塊と、濁った水の入った皮袋を持っている。


「おい、メシだ。さっさと食え。残したら承知しねぇぞ」


 そう言って、黒い塊――おそらく例の石のようなパン――と皮袋を、わたくしの足元に放り投げた。


(な……! なんという無礼な! 食べ物を投げるなんて、下品極まりないですわ!)


 しかし、抗議の言葉よりも先に、ぐうぅぅ、と情けない音を立ててわたくしのお腹が鳴った。


 ダリオが、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。

「へっ、腹は正直だな、お嬢様よぉ」


 く……屈辱……!

 わたくしは顔を真っ赤にしながら、震える手でパンを拾い上げた。硬い。そして、なんだか変な匂いがする。それでも、背に腹は代えられない。


(お父様、お母様……わたくし、こんなところで……ううっ、あの七色クリームのミルフィーユが食べたい……!)


 涙を堪えながら、固いパンにかじりつく。口の中に、砂のような食感と、形容しがたい味が広がった。まずい。まずすぎる……!


 わたくしの涙目の訴えも虚しく、ダリオは「せいぜい頑張るんだな、お荷物令嬢さんよぉ」と嫌味な捨て台詞を残して、今度こそ去っていった。


 一人、がらんとした小屋に残されたわたくし。

 床に落ちたパンの欠片と、窓の隙間から吹き込む砂混じりの風。そして、ズタズタに引き裂かれたプライド。


 もう、限界だった。

 わたくしは小屋の隅にうずくまり、膝を抱えた。涙がぽろぽろと溢れ出し、汚れたドレスのスカートに染みを作っていく。


「う……うう……ひっく……」


 どれくらいそうしていただろうか。不意に、小屋の外から声がした。


「おい、まだ泣いてんのか? ウゼェな」


 ダリオの声だ。戻ってきたのだろうか。

 その、あまりにもデリカシーのない言葉に、わたくしの中で、何かがプツリと切れる音がした。


(な……ななな、なんですってぇーーーーー!!!)


 悔し涙に濡れた顔を、勢いよく上げる。

 目に宿るのは、絶望ではなかった。それは紛れもなく、燃えるような――怒りの炎だった。


(第二話 了)

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