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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

限界オタク兼腐女子が王道BLマンガのサブカプの受けに転生してしまった話

作者: ぴょ子

 「ごめん。君とはちょっと付き合えない。」

 「そっか。分かった。忙しいのに時間もらってごめんね。」

 立ち去る彼の後ろ姿を見送り、私はため息をついた。河瀬かわせ 実里みのり、21歳、大学2年生。今年、3度目の失恋をした。


「また、フラれたの?」

「また、ってまだ今年3回目だよ、真美~」

 大学のカフェにて、オレンジジュースを飲みながら私は答える。目の前に座っているのは、林 真美。小学校からの幼馴染だ。

「まだ4月なのに、3回目ってどうなのよ。というか、相手のことよく知らないのにホイホイ告白する神経が私には分からないんだけど。」

「だって、私だって、恋がしたいの!漫画みたいな青春が送りたいんだもん!」

 私の返答にため息をつきながら、真美が尋ねる。

「ちなみに、さっき告ってきた男の子の名前は?」

「・・・。知らない。」

「名前も知らないのに告ったの!?」

「一目ぼれだったんだもん。」

 ストローをかみながら答える。

(それにこの前読んだ漫画の攻めにそっくりだったんだもん・・・。)

「どうせ、この間漫画に出てきたキャラに似てたからー、とか言うんででょ。」

「なんで分かるの!?」

「あんたと何年の付き合いだと思っているのよ。」

 真美はコーヒーを一口飲むと、これ見よがしにため息をついて言った。

「なんか、実里って残念よね。」

「なにがよ。」

「なにって・・・。せっかく可愛いのに、オタク全開なのがにじみ出ちゃってるところがさ。」

「しょ、しょうがないでしょ。アニメと漫画だけが私の生きがいなんだから!」

 私はオレンジジュースを一気飲みして、言った。

「来世は BL漫画の世界に生まれて、素敵な恋をしてみせるんだから!」

 ガッツポーズを作って言うと、真美は再びため息をついて言った。

「そういうところよ。」


 私は俗にいう腐女子だ。大学に入り、貪るようにアニメを見あさっていった結果、BL文化たるものにたどり着き、どんどん沼にはまっていった。今では下宿先に50冊以上の漫画をストックしている。吹っ切ったふりはしているものの、フラれたショックは大きい。大学からの帰り道、お店が立ち並ぶ商店街を歩く。ふと、ショップのガラスにうつる自分の姿を見た。髪は二つ縛り。ピンク色のスカートに白色のブラウス。実は可愛いものが大好きで、好きな色もピンク。一見、普通の女子大学生、だと思っているんだけどな。キラキラ女子大生には程遠いが。さっき、真美に言われた「オタク全開」という言葉が胸に引っかかっていた。それに、もう私はきっと、“本物の恋”なんてできないのだ。

(あああ、なんか、むしゃくしゃする!早く帰って、BL漫画読み漁ろう!)

 信号が赤になり、横断歩道の前で立ち止まる。スマホを開くと、私の一番好きなカップリングの男の子2人がホーム画面に映し出された。

(やっぱり、私が一番好きなカプは「スクラブ」の「きょうみゆ」だな。京平くんがかっこいいし、美雪くんがかわいいし、最高なのよね!)

 「SCHOOL LOVE」、通称「スクラブ」はさば 美味子うまこ先生による、BL界の王道作品だ。私にとっても一番のお気に入りで何度読み返したか、分からない。とても人気作品でアニメ化もされた。しかし、美味子先生の結婚による引退により、つい先月、最終巻が刊行されたばかりだった。

(まあ、サブカプの「りょうみの」も悪くはなかったけど、まじで攻めの西園寺が無理すぎた・・・。受けの実くんは可愛くて好きだったけどなあ・・・。)

 大好きな漫画のことを考えながら、スマホの中の2人の姿を見て思わずふふっと笑ってしまう。嫌なことがあっても、推しカプが幸せならすべてよし!これがつらいことを乗り越えるための私なりの考え方だ。

 信号が青になり、歩き出す。しかし、次の瞬間、

「危ない!」

と誰かが叫ぶ声とけたたましいクラクションの音が鳴り響いた。視界の隅に、トラックがとてつもない勢いで突っ込んでくるのが見えた。

 次の瞬間、私の体は浮遊感に襲われた。

(ああ、本当に今日はついてないなあ・・・。)

 今日だけの話ではない。私は常についていなかった。ずっと好きだった人にはフラれるし、大学受験には失敗するし、いつも推しのグッズは当てられないし。

(何回自分のこの運命を恨んだかな。来世は今よりも幸せに生きられますように・・・。)

 地面に全身がたたきつけられ、遠のく意識の中、私はそんなことを思っていた。


 目を開けると、見慣れない天井が目に入った。

(あれ、ここどこ?)

 腕をゆっくりあげて、手のひらを見る。

(私、生きてたんだ・・・。てっきりもう、ダメかと・・・。って、誰の手だ?これ?)

 がばっと、起き上がり、周りを見渡す。そこは病院でもなく、ただの他人の家であった。本棚には大量の図鑑がしまわれており、小さなテレビと、少年誌が大量に積まれたテーブルが目に入ってきた。

(待てよ、この部屋、すごい既視感がある。)

 ベッドから立ち上がって、クローゼットを開くと、男物の制服が目に飛び込んできた。

「待って!?この制服、スクラブに出てきた、南高校の制服じゃん!」

 思わず叫んで、もしかしてと思い、姿見を見た瞬間、私は悲鳴を上げた。

 姿見にうつっていたのは、スクラブのサブカプの受けであった、川岸 実であったのだ。

「み、実くん!?私、実くんになっちゃったの!?」

(信じられない・・・。これ、転生ってやつ?まさか、現実に起きるなんて・・・。)

 はっと時計を見ると、8時を指していた。

「と、とにかく学校に行くか!」

 急いで着替えて、家を飛び出す。

 走りながら、スクラブの内容を必死に思い出す。

(確か、実くんは2年B組だったはず。身長159cmの一人称は俺で、結構かわいい感じの子だったよなあ。それで、肝心の相手は・・・。)

 私は立ち止まる。

「西園寺 遼太郎・・・!!!」

(うわあ、最悪だあ・・・。あいつ、上から目線で、本当にむかつくやつで、大嫌いだったんだよなあ。マンガ読みながら、「なんだコイツ!」って何度叫んだか分からない・・・。)

 ため息をつくと、私は再び走り始めた。

(せめて、美雪くんに転生したかったなあ・・・。)

 曲がり角を曲がった瞬間、何かと思いっきり体当たりして、私はしりもちをついた。

「いたた・・・。すみませ・・・」

 顔を上げるとそこには件の西園寺 遼太郎が立っていた。

(まずい、確か原作ではここで実くんが西園寺にいろいろ言われてたんだよな・・・。第一印象最悪って思った記憶が。)

 私は急いで立ち上がると、西園寺が口を開く前に「すみませんでした!」と叫んで走り出した。

(なんとか、嫌なこと言われずに済んだな。まあ、あいつ、どうせ同じクラスなんだけど。)

 教室にたどり着き、始業のチャイムを聞きながら、斜め右前に座る西園寺を見ていた。

(席が近いのも本当は嫌なんだけど、そのおかげで実くんの席が分かったわけだし。)

 西園寺 遼太郎。身長190cmの大男。眼鏡をかけている、黒髪男子で見た目はいかにも優等生キャラという感じ。生徒会長兼学級会長で規則に厳しく、ミスは絶対許さない。そのうえ、上から目線な物言いで、周囲には恐れられている。

(でもそんな西園寺も実くんの温厚な性格の影響を受けて徐々に丸くなっていく・・・ていうストーリーだったんだけど、ちゃんと付き合う前に連載が終わっちゃって、最終的にどうなったのか分からないのよね…。)

 つまり、実くんと西園寺との関係に終わりが見えないということである。

(一体この先どうなることやら・・・。)

 ため息をつきつつも、目線はお目当てのカップルに動く。

(でも、こうして推しカプを正々堂々と生で合法的に拝めるのは幸せ以外の何物でもないわよねえ。)

 一番前の廊下側、横2列の席に隣同士で座っているのが、私の推しカプ、西村 京平くんと大村 美雪くんなのだ。京平くんは身長179cmのサッカー部員、いわゆる王道イケメンという感じの爽やか男子。美雪くんは身長164cmのツンデレ・可愛い系男子。つまり、私好みのカプ、ドストライクなのである。

(はああ。眼福。)

 教科書で顔を隠しながら、思いっきりにやける。

 しかし、そんな余裕をかましていられるのもその時までだとは思ってもいなかった。


「実ー、飯行こうぜ」

「お、おう。」

(あー、本名と実くん、名前似てて助かったわー、反応しやすい~。男言葉はまだ慣れないけど。)

 なんとか、実くんの友達とも上手くやれていると思う。もともと実くんは天然気質なところもあったせいか、私がおかしなことをやっても、みんな笑って許してくれる。あいつだけはめちゃくちゃにらんでくるけど。

 机で友達とお昼を食べていた時だった。

「おい、なんだこの企画案。完璧に仕上げてこいって言ったよなあ!?」

 突然、怒鳴り声が教室に響き渡った。静まり返る教室。声の方へ視線を移すと、西園寺が紙の束を机にたたきつけている所だった。それを前にうなだれているのは美雪くんだった。

(うわあ。そういえばこんなシーンあったなあ、原作にも。確か、もう少しで、京平くんがたすけにくるんだったっけ?それを待った方が、原作通りにはなるんだろうけど。)

「ご、ごめん。けど、どこがダメなのか、ちゃんと教えてほしい。」

「はあ?全部に決まってるだろう。全部やり直してこい。」

 そう言って、美雪くんの目の前で、紙の束を破り捨てた。

 美雪くんは泣くのをこらえて、両手を握りしめて震えている。それを見た瞬間、私の中で何かがプツンと切れる音がした。

 ガタッと音を立てて立ち上がると、西園寺の所までズカズカと向かう。

「お、おい、実」

「やめとけよ。」

 友達が止める声も耳に入らないくらい、私は強烈に腹が立っていた。

 私は無言で西園寺の前に立つと、奴の胸ぐらをつかんだ。

「てめえ、何様のつもりだ?」

(やばい、背伸びして胸ぐらつかむのが精一杯だ。でも、原作読んでてここ、ほんっとうに胸糞悪かったから、全部ぶつけてやる・・・!!)

「お前こそ、何様のつもりだ?」

「その偉そうな態度が鼻につくっていってんだよ!お前はミスしないのか?完璧な人間なのか?そんな奴、いる訳ねえだろお!?美雪が頑張って作った資料をこんなにして。いい加減にしろってんだよ!?」

(うわあ、男の声で怒鳴るってこんな感じなんだ。すげえ、めっちゃ気持ちいい。)

 心の中で感心しながらも、西園寺を睨みつけながら、続ける。

「美雪に謝れ。少しは頭冷やせ。このバカ西園寺」

 私が怒鳴っている間、西園寺は黙って驚いた顔で私を見ていた。胸ぐらから手を外すのと、京平くんが教室に飛び込んでくるのが同時だった。

「美雪!」

「大村、悪かった。もう一度、企画案、見直させてくれ。」

 京平くんが美雪くんに駆け寄った時、西園寺が頭を下げてそういった。

「う、うん。分かった、西園寺くんが気になるところ直すから、見直し終わったら教えてね。」

 美雪くんの返事にうなずくと、西園寺は教室から黙って出て行った。

「美雪、大丈夫だったか?」

「京平、僕は大丈夫だよ。実が怒ってくれたから。」

「え?そうなのか?」

 京平くんが私を驚いたように見る。

「いや、俺は何もしてないから!」

(しまった・・・、推しカプの絆を深めるためのイベントをみすみすこの手でつぶしてしまうとは・・・。)

「いやいや、何もしてないはうそだろ。あの西園寺が謝るなんてさ。」

「川岸くん、すっごいかっこよかった!」

 心の中で頭を抱える私のそばでは男子も女子も口々に私を称賛している。

(なんてことだ、今すぐここから消えたいっていうのに・・・。)

 額を手で押さえ、ため息をつく私の肩に手をおいて、京平くんは言った。

「今回は美雪を助けてくれてありがとう。次は必ず俺が守る。」

「う、うん。」

(ひゃああ!攻めからの牽制っていうの?うわあ、真に受けちゃった!やばあ!そんなそんなあ、美雪くんをとるつもりなんて私にはつゆほどもありませんから、心配しないで!)

 京平くんと美雪くんが教室から出て行くのを見つめながら、あまりの尊さに悶える私であった。


 転生してきて、3か月がたった。季節は夏で、もうすぐ夏休みである。

(南高の制服、かっこいいよな。水色の半袖ワイシャツに紺色のネクタイっていい感じ。さすが美味子先生!)

 誰もいない放課後の教室で、日直の仕事の最後の戸締りをしながら、窓にうつった制服を眺めていた。2度目の高校生活は楽しかった。友達とも上手くやれているし、生活面も実くんは元々親元を離れて一人暮らしをしているキャラだったから、大学生時代とやることはあまり変わらないし。それに、あの日以来西園寺は上から目線で物を言うことはしなくなった。以前よりも、雰囲気が柔らかくなって、いろんな人と話すようになったし、周りのクラスメイトの優しかったこともあり、大分溶け込めていると思う。ただ、私とは全く口を利かないが。

(避けられてんのかもなあ。でも、言い過ぎたとは思っていないからな。)

 それに、西園寺はきっと、本当はいい奴なんだと、思う。

 窓の鍵を閉め、教卓においてある日誌を取りに行くと、誰かのノートが床に落ちているのが見えた。

(誰のだろう。まあ、拾っておくか。)

 手に取ると、そこには「自習ノートNo.30 西園寺」と書いてあった。ノートはすごくボロボロで、パラパラとページをめくると、ぎっしりと文字の羅列が書いてあった。「物理 復習もう一回!」「数Ⅲ 予習問題」など、努力の証がそこにあった。

(これを30冊も・・・。)

 私ははっとした。先月、中間テストの結果が発表されたときのことを思い出した。

「西園寺、今回も1位だよ。」

「さすが、御曹司。持って生まれたもんが違うんだよ。」

「いいよなあ、才能がある奴は」

 才能があると思われ、みんな、あんな風に言っていたが・・・。

「ちげえじゃん。めちゃくちゃ努力してんじゃん。」

 思わずノートを握りしめたその時だった。

「そこで何しているんだ?」

「っ!西園寺」

 振り返ると、西園寺が教室の入り口に立っていた。

「日直の仕事が残ってて・・・。あ、これ、忘れ物!」

 ノートを差し出す。

「ごめん、少し、見ちゃった。」

「別にいいけど。字が汚いのばれたな。」

 ノートを受け取って、リュックに入れながら、西園寺が言った。私は思わず首を振った。

「すごいって思った。めちゃくちゃ努力してるんだな。」

「いや、これくらい当たり前だし、普通のことだ」

「違う!普通じゃ、ここまで努力できないと思う!」

「川岸?」

「みんな、御曹司だからとか、才能がどうとか言ってたけど、違う。西園寺はすごい努力してる!みんなわかってないし、わ、俺も知らなかったけど、これってほんとうにすごいことだと思う!」

(ああ、なんで私こんなに熱くなっちゃってるんだろう。あんなに前世から嫌いだった奴に対して、こんなにムキになるなんて。)

 心臓がすごい速さで波打っているのを感じる。

(でも、悔しいから。本人も周りもこの努力がすごいことだって、尊敬されるべきことだって気づいてないことが悔しいから。)

「西園寺、俺、お前のこと、見直し、んん!?」

 目の前に西園寺の顔が見えた。そして、私は唇に何かを感じた。そして、私は気づいたのだった。大嫌いだった西園寺に口づけされているということを。

 静かに顔が離れる。私は思わずしゃがみ込んだ。さっきよりもさらにはやいスピードで心臓が波打っている。口元を手で覆って、西園寺を見上げた。頬が、燃えるように熱くなっていた。

「お前、俺のことが嫌いじゃなかったのか?」

 私のことを見下ろしながら、西園寺は言った。

「き、嫌いというか、最近のお前は、そんなに悪くないって思う。」

 目をそらしながら、答える。

「そうか。」

 西園寺はそれだけ言うと、「じゃあ。」と言って、教室を出て行った。

「なんなんだよ、あいつ・・・。」

 人差し指で唇をなぞる。あいつの感触だけがずっと残っていた。


 次の日、登校していると、「おはよう。」と、後ろから声をかけられた。振り向くと、西園寺がいた。「お、おはよう。」

 私は昨日のことを思いだして、頬が熱くなるのが分かった。

「今日は暑くなりそうだな。というかお前、顔熱くないか?」

「べ、別に。日焼けじゃないか?熱いし。」

(誰のせいだと思ってるんだよ!?てか、なんでこいつはこんなに普通なんだ?)

 思わずにらみつけると、西園寺は「ん?」という顔をしていた。

「お前なあ、俺の気も知らないで・・・」

「え、何か言ったか?」

「なんでもねえよ!さっさと行かないと学校遅刻するぞ。」

 私は速足で歩きだした。


「今返した期末テスト、30点以下は追試だからなー!1週間後の放課後、教室に残るように!」

 私は自分の手元にある、赤字で大きく「20点」と書かれた物理のテストを見てため息をついた。

「なんだよ、実、追試じゃーん。」

「なんで物理だけこんな点数低いんだよ、お前」

「う、うるさいな!」

 テストを畳みながら、からかってくる奴らに言い返す。

「そういうお前は何点だったんだよ?」

「俺は32点。」

「ぎりぎりじゃねえか。」

「追試のお前に言われたくねえな。」

 それもそうかと、再びため息をつき、教室のすみの方でテストを握りしめてしゃがみ込んでいると、

「川岸、今日の放課後空いてるか?」

 声の方を見ると、西園寺が私を見下ろしていた。

「空いてるけど、なんで?」

「俺が教える。」

「教えるって?」

「それ。」

 そういって、西園寺は俺が握っているテストを指さしてきた。

「い、いいよ、そんなの。俺が自分でどうにかするし。」

「一人でどうにかできるのか?」

「で、できる!それに」

「それに?」

 西園寺もしゃがみ込んで、私と目線を合わせてきた。私は目をそらしながらぼそりとつぶやいた。

「お前の努力をタダで使うわけにはいかない、から。」

 すると西園寺は驚いたように目を見開くと言った。

「俺がそうしたいから、教えるだけだ。今日、俺の家に来い。」

(そういわれたら、断れないじゃないか。それに、本当の所、一人でどうこうできる問題でもない気がするし・・・。)

「分かった。よろしく頼む。」

 私は、西園寺の言葉に甘えることにした。


「でっか・・・。」

 放課後、西園寺について、10分くらい歩いていくと、とてつもなく大きな屋敷にたどり着いた。外見は洋風で、いかにもどこかの社長宅という感じだ。少なくとも、前世では見たことがないくらい、立派な家だった。

「俺の部屋、こっちだから。」

 恐る恐る家に入ると、何人かの家政婦とみられる女性達がいたが、私たちの方には目もくれずに、せっせと仕事をしていた。

(普通、「おかえりなさい。」とかいうもんじゃないのか?)

 違和感を感じながら、西園寺の後についていく。部屋の多さに圧倒されていると、屋敷のはずれの方の部屋に通された。

「ここが俺の部屋。好きにくつろいでて。今、飲み物とってくる。」

「気を使わなくていいのに。」

「いいから、座ってろ。」

 そういって、西園寺は部屋から出て行った。部屋を見渡すと、ベッドが置かれており、その周りには大量の本がぎっしりと詰められている本棚が3つほど置かれていた。そのわきには机があり、カーペットの上には小さなテーブルがある、膨大な量の本を除いては”普通”の男子高校生の部屋だった。

(あの外見からはちょっと想像できない部屋だったな。)

 カーペットの上に座り、天井を見上げ、思わずため息をついていると、

「お待たせ。」

 氷とウーロン茶が入ったグラスをお盆の上に乗せた西園寺が部屋に入ってきた。

「じゃあ、さっそく始めるか」

と、グラスをテーブルの上に置き、西園寺は言った。


「運動方程式は分かるか?」

「な、なんとなく・・・。」

「じゃあ、ここの問題から解くぞ。」

 基礎的なところから発展問題まで、西園寺は、私が分からないと言ったところは全て馬鹿にせずに丁寧に教えてくれた。しかも、めちゃくちゃ分かりやすかった。

「今日はここまでにしようか。」

「ありがとう、西園寺。すっごく分かりやすかった!」

「ならよかった。」

 ふっと笑うと、私の横で頬杖をついて西園寺は言った。

「でも、不思議だよな。他の科目は俺と競えるくらいできるのに、どうして物理だけ?」

「そ、それはだな・・・」

(前世では生物・化学選択で、物理は一切手を付けてなかったから・・・だなんて言えねえ!!)

 答えに躊躇して黙っていると、西園寺は笑って言った。

「まあ、得意・不得意あって当然だよな。完璧な人間なんていないんだし。」

「お前、この前のこと、まだ根に持ってるのか?」

 ペンケースにシャーペンを入れて、片付けしながら尋ねる。

「根に持ってるっていうか、感謝してるよ。」

 ノートを閉じながら、西園寺は言った。

「俺の家は、父親が社長っていうのもあって、俺は後々に後継者になるべく、常に完璧を求められて育てられてきた。俺には上に2人の兄がいるんだが、その2人は俺とは違って出来が良くてな。初めのうちは、俺は叱られてばかりだったんだが、そのうち、怒られることもなくなり、いつしか誰も俺に見向きもしなくなった。」

 この家に来た時の違和感とその言葉が結びつき、私ははっとして、西園寺の顔を見た。俯いたまま、西園寺は続ける。

「悔しくて、誰かに俺を認めてほしくて、ずっと勉強や習い事を自分なりに必死に続けてきたんだが、必要最低限にしか、この家の人たちは俺に関わらなくなった。もうこの家に必要ないって言われたようなものだった。」

 西園寺はノートの上で両手の指を組んだ。

「吐き口が学校しかなくなってしまってな。今まで俺がされてきたことをクラスの友達にそのまましてしまった。あの時、大村に対してしたことも、昔俺が親父にされたことだったんだ。クラスメイトに八つ当たりしたんだ。俺はどうしようもなく最低な人間だよ。」

 組まれた指が震えていた。

「西園寺・・・。」

 今すぐ目の前で震えている彼を抱きしめたい衝動に襲われた。

「だけど、お前があの時、初めて俺を見てくれたんだ。俺に真正面からぶつかってくれた。」

 西園寺が顔を上げて、私の目を見た。

「あれですっかり目が覚めたんだ。だから、本当に感謝している。ありがとうな。」

 久しぶりにこんなまっすぐに感謝を向けられて、私はどうしようもなく恥ずかしくて、だけど、どうしようもなくうれしかった。

「ま、確かにお前がしてたことは腹が立ったけど、今のクラスのみんなはお前のこと、すごく信頼していると思う。」

 近頃の西園寺の様子を思い出しながら私は言った。

「それに、よく今まで1人で耐えてきたな。お前は本当にすごいよ。」

 そっと、西園寺の頭をなでた。抱きしめることはできなくても、それくらいは許してほしいと思った。私が前世でずっと嫌いだった人は一人で他の人の何倍も傷つき、ずっと孤独に耐えてきた人だったのだ。

「川岸・・・。」

「なんだ?」

「一つ、頼みがある。」

「ん?」

 西園寺は、私の手を取ると言った。

「俺は家のこともあって、この苗字をどうしても好きになれないんだ。だから、せめてお前だけには下の名前で呼んでほしい。」

「へ?」

 思わず西園寺の顔を見ると、その表情はひどく寂しそうで、今にも泣きだしそうに見えて、私は思わず、いいぞと返事してしまった。

「りょ、遼太郎・・・」

(名前呼ぶだけなのに、どうしてこんなに恥ずかしいんだ?)

 心なしか体温も上がっている気がする。赤くなった頬を見られたくなくて顔をそらす。

「なんだ?」

「呼んでみただけだよ、馬鹿。」

 ははっと笑って、遼太郎は言った。

「ありがとう、実」

「お前、俺の名前・・・」

「お礼に。いいだろう?」

 遼太郎がようやく笑ってくれたことがうれしくて、うなずいてしまった私は、もうこいつに相当毒されているのかもしれないと思わざるを得なかった。


「よっしゃあ!追試満点きたあ!」

 俺は思わずガッツポーズをした。

 あれから1週間、遼太郎の家で物理をひたすらに教わり、さっき返された追試では無事に満点を取ることができた。

「遼太郎!俺、追試でなんと!満点が取れたぞ!」

 早速、遼太郎の所へ報告しに行く。

「よかったな。」

「全部遼太郎のおかげだよ。ありがとうな!」

 にこっと笑ってお礼を言うと、さっと遼太郎の手が伸びてきて、俺の頭を撫でた。

「おい、こら、なにすんだよ!」

「この前のお返し。」

 くしゃくしゃと頭を一通り撫でた後、

「おめでとう。」

と、微笑んでくれた。

「あ、ありがと。」

 なんとなく、その場にいるのが気恥ずかしくなって、自販機行ってくるわと適当に理由をつけて、教室を出る。

(な、なんだこれ・・・。)

 誰もいない、階段下の倉庫の方まで行き、壁を伝ってずるずると座り込む。遼太郎が触れたところが今でも熱を持っているようで熱い。心臓がありえないくらい速いスピードで鼓動を打っている。

(なんだよ、これ・・・。)

 遼太郎の今まで見たことのないくらい優しいほほえみが脳内をぐるぐる駆け巡る。

「これじゃ、まるで、俺、遼太郎のことが好・・・。」

 次の文字を口に出そうとしたとき、急に心臓の奥の方が冷えたように感じた。

(「ごめん、俺、実里とは、付き合えない。」)

 突然、いつの記憶か分からない記憶が、俺の脳内をよぎった。

(なんだっけ、今の・・・。誰の声だっけ、あれ・・・。)

 さっきまでの高鳴りが嘘のように、俺の手はすっかり冷たくなっていた。


「ごめん、俺、実里とは付き合えない。実里のこと、そういう目で見れない。」

 ごめんな、と言って立ち去るその後姿を私は茫然と見ていた。

(やだ、待って、行かないで。)

 声にならない声が消えていく。ここで立ち去られたら、もう二度と今までのような仲に戻れないと、脳内で警鐘が鳴り響く。なのに、声が出ない。

(待って、行かないで、朝陽!)


「朝陽!」

 はあっ、はあっと、荒く息をしながら俺は起き上がった。

 時計を見ると、朝の5時を指していた。

「なんだ、夢か・・・。」

 額に手を当てると、びっしょりと汗をかいていた。

(すごく嫌な夢だったな・・・。)

 夢の中に出てきた朝陽とは、俺の幼馴染で、前世での俺の初恋の相手だった。俺がまだ、「河瀬 実里」であった頃の。ずっと仲が良くて、思い切って、勇気を出して俺から告白したのが高校2年生の夏。奇しくも、ちょうど今ぐらいの頃だ。告白したが、断られ、それ以来向こうも気まずくなったのか、俺とは一切口をきいてくれなくなった。あの告白以来、口を利かずに、俺はこっちに転生してしまった訳だが。

(あの時のことが忘れられなくて、仲が良い異性の友達ができても、告白できなくなったんだよな。でも、恋愛はしてみたいし、彼氏は作ってみたいしで、あれこれ適当にわざとあまり知らない人にばかり告白するようになっちまって・・・。)

「あーあ。なんで今になって朝陽の夢なんて、見るかな・・・。」

(もう、自分のこと、心の中でも『私』って呼ぶことがなくなってきたのにな・・・。)

 クローゼットからシャツを取り出して着替えながら考える。

(きっと、これは警告なのかもしれない。あいつに間違ってでも『好き』だなんて言わないようにするための。)

 ネクタイをキュッと結び、鏡の中の自分を見る。

「この気持ちは隠し通すんだ、絶対に。」

 俺は絶対にあいつを失いたくない。


「おはよー、実!」

「おはよ。」

 いつも通り教室に入って、自分の席に着く。斜め前の遼太郎の席を見ると、まだ学校には来ていなかった。なぜかそのことに安堵し、教科書を机の中にしまっていく。

「おはよう、京平。朝早いね!」

「おはよ、美雪。お前もな。ていうか、お前、肩に鳥の羽ついてるぞ。」

 そういって、京平が美雪の肩から鳥の羽をとる。

「ありがと、京平。今日ね、鶏小屋の掃除してきた所なんだ!」

「ははっ、そうか、だからか。」

 

 そんな微笑ましい様子を見て、俺は幸せをかみしめていた。

(はああ、朝から推しカプの絡みが見られた・・・。)

 今朝の嫌な夢の余韻すらも吹き飛ばすほどの威力があるものだから、推しカプは偉大である。

「川岸くん、ちょっといいかしら。」

 推しカプを前ににやけるのを必死に我慢していた俺に、急に女子が話しかけてきた。

「う、うん。いいよ。」

 彼女に黙ってついていくと人気のない渡り廊下にたどり着いた。

(えっと、確か彼女は柏崎さん。「スクラブ」では京平や美雪のカプをかげながらに応援する腐女子ちゃんだった気がする・・・。そんな彼女が一体俺に何の用事!?)

「単刀直入に聞くけど、川岸くんって腐男子よね?」

 ぎくっ。

(え、なんでわかった!?俺、そんなににやけてた?これは素直に認めてしまった方がいい?)

「えっと、急にどうしたの?柏崎さん。」

「だって、あなた、いつも京平くんと美雪くんの絡みを見てうれしそうにしているじゃない。」

 きれいな黒髪を三つ編みの二つ結びにしており、眼鏡をかけた目の前の彼女は俺の目をまっすぐに見て言った。よく見ているな、と彼女の慧眼の前に俺は観念した。

「なんで、分かったの?」

「勘よ、勘。あなた、私と同族のにおいがするもの。ちなみに私も腐女子よ。」

「で、俺を呼び出してなんなの?それだけを言いに来たの?」

「違うわ。」

 柏崎さんは眼鏡をくいっとあげると、青色の袋を俺の前に差し出して言ってきた。

「一緒に趣味を分かち合おうと思って、ここに呼び出したの。まずは、この漫画を読んでちょうだい!」

「そういうことなら、のった!!」

 この世界に来てから、全くBL漫画を読めていなかった俺は二つ返事で承諾した。


 それからというもの、柏崎さんとの交流が増えた。俺にとっては、新たな供給を得ることができたし、遼太郎のことを考えすぎずに、いい気晴らしができてよかった。だが、最近、俺のことを遼太郎が避け始めたような気がしていた。必要以上に俺に話しかけなくなっていた。一緒に帰ろうと誘っても断られたり、移動教室もばらばらに行くようになった。そうして、俺らの間に少しずつ、距離が開いていった・・・。


「実、一緒に帰ろう。」

 珍しい。遼太郎から誘ってくるなんて。

「うん、いいよ。」

 二人で久しぶりに帰路につく。

「久しぶりだな!こうやって一緒に帰るの。」

「・・・ああ。」

 俺は少し舞い上がっていたのかもしれない。遼太郎の顔を覗き込むと、暗い顔でどこか上の空だった。

「実、少し寄りたいところがあるんだ。」

「お?付き合うぞ。」

 これまた珍しいと思いながらついていくと、誰もいない公園にたどり着いた。

「また珍しい場所を知ってるんだな。」

「ああ。ここから見える夕日は最高にきれいなんだ。」

「へえ・・・。」

 隣同士でブランコを漕ぎながら、空を見上げていた。

 しばらくの沈黙の後、遼太郎が話し出した。

「お前、好きな人、いるか?」

「お、おい、なんだよ、急に。」

 俺は動揺しながら、ブランコの鎖を握りしめた。

「そ、そういうお前はどうなんだよ。」

「俺はいるよ。」

 遼太郎は俺のブランコの鎖を握って、俺の方をまっすぐに見て言った。

「お前はどうなんだ?」

(俺は本当にこいつのこの目に弱い・・・。)

「い、いる・・・けど。」

 束の間の沈黙の後、そうかとだけ言って、遼太郎は立ち上がった。

「時間とって悪かった。じゃあ、また明日学校で。」

「おい、ちょっと待てよ!それだけきいてどうすんだよ!」

 俺はそういって、遼太郎の左手首をつかんだ。すると、遼太郎は俺の手を振り払い、俺に背を向けたまま言った。

「お前、柏崎のことが好きなんだろ?」

「は?何言って・・・。」

 頭の中が真っ白になる。

「最近、仲いいだろ、お前たち。すごい、お似合いだと思う。柏崎と・・・実。」

 遼太郎の声が震えていた。

(なんでこいつ、こんな誤解してんだ?俺が好きなのは、好きなのは・・・!)

 体が勝手に動いていた。遼太郎の正面に行き、ワイシャツの襟をつかんで俺は言った。

「俺が好きなのは、お前だ!馬鹿!!」

 その瞬間、はっとした。言ってしまった。好きだと、遼太郎に好きだと言ってしまった。

「ごめん、今の忘れて。」

 茫然としている遼太郎から目をそらすと、俺は走り出した。

(どうしよう、好きだと言ってしまった。また、失ってしまう。遼太郎を、前みたいに失ってしまう。)

 考えたら、昔の胸の痛みを思い出して、涙があふれて止まらなかった。それでも走り続けていると、誰かが俺の腕を引っ張るのが分かった。気づいたときには、俺は遼太郎の腕の中にいた。

 はあっ、はあっと息を切らしながら遼太郎は俺のことを抱きしめる。

「なんで、はあっ、お前が逃げるんだよ。」

「離せよ、俺はお前を失いたくないんだよ!友達のままでいてほしいんだよ!」

 遼太郎の腕から逃れようと、もがいていると、

「俺がお前のことを好きでもか?」

 俺の頬を両手で挟んで、遼太郎は言った。自然と遼太郎と目が合う。

「はあ?何言ってんだよ、俺、男だぞ。」

「関係ない。」

 さっきよりも俺を抱きしめる腕に力を込めて遼太郎は言った。

「実のことが好きだ。」

 涙が止まらず、ぼやける視界の向こうに遼太郎を黙って見つめていた。

「実のことが好きで、好きすぎて、近くにいると独占してしまいたくなるから、最近は距離をとっていた。でも、お前は柏崎と仲良くなっていて、お前がもし柏崎のことが好きだったら、邪魔したくないと思った。お前にとって俺が近づかない方が幸せなんじゃないかと思ってできるだけお前を遠ざけていたんだが・・・。」

 遼太郎はそっと指で俺の涙をぬぐった。

「結果、こうしてお前を泣かせてしまったな。すまない。」

「ばか」

「なんて言ってもらっても構わない。」

「俺もお前もバカヤロウだ。」

 ずっと臆病になっていて、好きだと言えなかった。だけど、好きって感情はこんなにも温かいものだと初めて知った。

「遼太郎、好きだ。」

 遼太郎の背中にそっと手を回して俺は言った。

「ずっと俺のそばにいてくれるか?」

 すると、遼太郎は俺に口づけて言った。

「ずっとそばにいてくれ。大切にさせてくれ。」

 俺は胸がギュッとなるのを感じた。どうしたらいいか分からなくなって、遼太郎の胸に顔をうずめた。

(こんなに誰かに想われたことなんてないんだよ、俺は・・・。)


 前世では本当についていなくて、自分の運命を何度も呪って生きていたけど。


「遼太郎、帰るぞ。明日も学校だ。」

「ああ。」

 遼太郎がそっと俺の手を握ってきた。


(こうしてこいつの隣に転生できたってことは最後の最後に運が巡ってきたのかもしれないな。)


「どうした?実。」

 思わずふふっと笑った俺の顔を覗き込んで不思議そうな顔をした遼太郎に

「なんでもねえよ!」

 そう言って俺は握った手をそっと握り返した。


 河瀬 実里 21歳。転生先で“本物の恋”に出会えました。

 








 














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