8 宮が三位の中将と姫君の真実を知ること
楊泉宮は女六の宮を説得しながら、これではかの名高い源氏の君をまねようとしているように思われそうだ、と思った。楊泉宮は姫君には会ったこともないのだが、きっと女六の宮も同じことを考えているのであろう。
すぐには返事がこなかった。俗世を離れて仏に仕える道を順調に歩んできたのに、最期になって大事に育ててきた娘を前途に望みの薄いような男に委ねるのはいかがなものか、とでも考えあぐねているのであろうか。交わす言葉もなく相対しているうちに、自ら膳を捧げて、春成が入ってきた。後から小麿が酒などを持って入る。
「山家で粗末な物ばかりではございますが、珍味と思ってお召し上がりください」
といい、楊泉宮の前に膳を据える。女六の宮に向かっては、
「女六の宮様は病人で、きちんと食べられませんから、奥へお入りになって、ゆっくり召し上がってください。露君が世話をなさい。宮様のお相手は私がいたします」
「あ、春成様が」
露君は諦めたように大仰なため息をついて、女六の宮を支えながら奥へ消えた。
宮も失礼ではないかとかなんとか言っているのを、露君がなだめているような気配が感じられた。楊泉宮としては、願ったり叶ったりであった。さっそく、さきほどの話を春成にも繰り返す。
春成はかわいらしく小首を傾げて聞いていた。
「故麗景殿御方と女六の宮様の細い縁を大事に思ってくださるのは、大変ありがたいことでございます。宮様は姫君をどのようにされるおつもりなのでしょうか」
正面から問われて、楊泉宮は返答に窮した。春成のことばかり考えていて、姫君のことはぼんやりとしか考えていなかった。そこで三位の中将を思い出す。
「三位の中将が姫君と文を交わしているとの噂を聞いたよ。中将ならば、今をときめく左大臣のご子息だから、子どもでもできれば安泰ではないかしら」
春成が急に顔を赤くした。しろい肌がみるみる薄紅色に染まっていく様は、とても美しかった。楊泉宮は食事をするのも忘れて、ぼんやりと春成を眺めた。
「あ、あれは」
といいかけて、目を伏せる。総角にした髪のほつれ毛が顔にかかる様もかわいらしい。髪の毛を直そうと、手を伸ばしかけた宮は、春成が顔を上げたので慌てて手を引っ込めた。
「ここだけの話ですが、中将様は姫君とは何事もなかったのです」
子ども子どもした春成の口から、あからさまに男女のことが出てきたので、楊泉宮は困って扇を取り出した。春成は決然とした口振りで話を続ける。
「地位のある方の悪口を言うのは気が引けますけれども、中将様はあまり風流な方ではございませんね。女六の宮様に会うと見せかけて、この家に泊まり込み、姫君の寝所へ忍び込んだのです」
「どこかで姿を見られたのかもしれません。狭い家ではございますが、姫君に油断があったのは、よくないことでした。しかし姫君は源氏物語の空蝉のように着物を脱ぎ捨てて、塗り籠の中へ閉じこもったので、中将はどうもできずに、空しく帰られたのでございます」
「さも事が成就したかのように、後朝の文らしきものを贈られたようでございますが、姫君は返事もなさいませんでしたので、その後中将様から文がくることもございません。いったい、都ではどのような話になっているのでしょうか。あまり恥ずかしい噂になっているようでしたら、そのようなところへのこのこ出るのも、姫君のためにはよくないと思われます」
楊泉宮は、色好みである三位の中将の間抜けな話を聞いて笑いが止まらず、取り出した扇を幸い口元を隠していたが、春成が結論として山を下りない方がよいと言い出したので、顔を引き締めた。
春成の言うのももっともなことである。都では、楊泉宮の想う女六の宮の姫君を三位の中将がかすめ取ったという噂になっている。
しかし、寺の阿闍梨は、中将とは一夜限りの契りであると言う。寺に出入りするのは楊泉宮ばかりではないから、そのうちこの話も都へ流れるであろう。
そのような話のあるところへ、姫君が降りてくるのは確かによろしくないことであった。
まして、姫君はどうやら三位の中将に心を寄せてはいないようである。吉野の深山でこそ、中将も一夜限りで諦めたけれども、都にいれば、いつまた何時忍び入るかもしれないのに、わざわざ相手の手の内に飛び込むような真似もしたくないだろう。
「では、春成殿だけでも、都に降りればよい。このような山にこもっておいででは、なかなか学問も思うように修められますまい。都へ出れば、面白いものもたくさんあるし、宮中へ出仕したいのならば、私が後見しよう。宮廷で出世すれば、姫君にもよい婿を迎えられるだろう」
楊泉宮は、春成が姫君を心底気遣っているのを見取り、こう持ちかけた。春成は考え込んでいる。宮はさらに付け加えた。
「それに、女六の宮様のお体の具合はとてもお悪いようだね。このような山の中よりも、都にいる方がよい手当をして差し上げられると思うが、姫君だけ残すわけにもいくまいから、せめて春成殿だけでも降りられれば、よい薬を届けたりするのに都合がよいのではないか」
「考えてみましょう」
春成は返答に困った様子で、きれぎれに言った。それから二人は黙って箸を進めた。