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楊泉京物語  作者: 在江
あけぼのの巻
3/44

3 宮が吉野へ花見に行くこと


 梅の花が咲き終わり、桜が咲き始めた頃、楊泉宮は吉野の山へ花見に出掛けることにした。


 花見のためだけに山へ出掛けるのも仰々しいので、出家の下見を兼ねた寺参りをすることにする。一人身の外出であるから、供廻りもわずかな人数である。十人にも満たない数で充分だった。


 それでも乳母子である伊惟はいつもの通り連れてきた。細い山道を登って行くと、山にはまだ咲き残りの梅花がちらほら見える。人ごみを避けて早い時期を選んだものの、まだ早過ぎたであろうか、と宮は心配になった。



 寺に着くと、顔見知りの僧侶が出迎えた。まだ参詣の時期にも早く、桜も見頃ではないので、どことなく閑散としているが、宮はそういった静けさの方を気に入っていた。

 僧侶は宮が持参した絹織物や金銀細工、練香(ねりこう)の数々を押しいただくようにして受け取った。読経をする僧侶と一緒に念仏を唱えた後、宮はよもやま話をした。


 「この辺りはまだ桜が咲くには早いのでしょうか」

 「そうですなあ」


 僧侶はしばし考えてから答えた。


 「ここからやや西の方へ下った辺りに、先帝の異母妹に当たる方の山荘がございまして、その裏山に山桜がたくさん生えていると耳にしたことがございます。あるいは、山桜ならばそろそろ咲き始めているかと思われます」


 宮は驚いて、


 「その方はわたしの叔母に当たります。そのような方がいらっしゃるとは存じ上げませんでした。参詣の帰りにご挨拶を申し上げねばなりません」

 「女六の宮様は俗世を儚んで山に篭られました。御仏に帰依するお心の深い、縁続きの宮様がご訪問されれば、きっとお喜びになるでしょう」


 顔見知りの僧侶と別れた後、宮は伊惟を呼んで女六の宮がいる山荘の話をした。伊惟は古い記憶を辿るように眉根に皺を寄せて考え込んでいた。


 「ああ、母から聞いたことがあります。宮様のお母君ともご親交があらせられた方でいらっしゃるとか。昔のお話をお聞かせしていただけるかもしれませんね」


 楊泉宮の母は既にこの世を去っていたので、宮は山桜よりも女六の宮に会いたい気持ちが勝ってきた。伊惟に、山荘へ行く道を寺の者に聞いておくよう頼み、その夜は読経の声を聞きながら寺に泊まった。



 明け方、楊泉宮は母の夢を見て目が覚めた。何か宮に向かって話しかけるようであったが、思いだそうとする端からぼろぼろと忘れてしまった。

 宮は、女六の宮に会ったらよろしく伝えてくれ、と言いたかったのだろう、と解釈した。

 占い師に話して夢解きをするまでもない。


 牛車が出立する準備を整えるのを待っていると、伊惟が近寄ってきた。難しい顔つきをしている。


 「山荘は、相当山の深いところにあるので、車で行くのは難しかろうということです。寺の方で、馬を貸してくださるということですが、馬も途中から下りて徒歩で行かなければならないそうです。いかがなさいましょうか」

 「では、馬を二頭借りよう。お前とわたしで行こう」


 宮は母が夢枕に立ったことで、どうしても女六の宮に会わずにはいられない気持ちとなっていた。伊惟は心配そうな顔付きになったが、主人の言うことには逆らわず、寺から馬を二頭借りてきた。

 女六の宮への土産物を牛車からおろし、伊惟の他に従者二人を連れ、寺男を案内に立てて出立した。馬には宮と伊惟が乗った。残りの従者は寺に残って宮の帰りを待つことにした。



 伊惟が聞いてきた通り、山荘への道は細く険しかった。人の行き来がほとんどないようで、これまで世に知られずにいたのも無理のない道であった。梅も桜もなく、杉と下草ばかりが生い茂る薄暗い道を、五人は黙々と歩を進めた。馬の荒い鼻息が大きく響く。

 やがて道が途切れた。寺男が振り返って馬から下りるように言った。


 「ここからは徒歩で行くしかありません」


 馬に積んだ荷物は伊惟が持つことにした。従者二人は馬を引いて寺へ戻った。

 このような場所に道があるのかと危ぶまれたが、寺男はひょいひょいと迷うこともなく草を掻き分けて山の中を進んで行く。宮も伊惟も、後についていくよりほかなかった。


 随分長い間歩き続けたように思ったが、寺男も立ち止まらず、山荘の切れ端も目につかない。ところどころに雪さえ残っていそうな、このような山深い場所に、本当に先帝の妹君のような方が住まわれておられるのだろうか、宮の心には疑惑の黒雲が湧き上がってきた。慣れない山歩きに疲れがたまってきたことも疑惑を増やすもととなっていた。


 喉が乾いたせいか、耳の中で水が流れるような音が聞こえる。宮は前を行く寺男の足の裏を熱心に追っていたが、ついにたまりかねて後ろを振り返った。ざざっと土の崩れる音が起こり、後ろには伊惟の驚いた顔があった。


 「宮様」

 「あっ」


 楊泉宮の身体が宙に浮いた。延々と続くかと見られた上り坂は、急にそこだけ落ち込んでいた。渓流を挟み、何事もなかったかのように斜面が続いているので、足元ばかり見ていた宮は気付かなかったのだ。寺男が呆れた顔をしているのを横目に見ながら、宮はごろごろと流れの縁まで転がり落ちた。

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