1 経仁、内裏にて須磨内侍と言い交わすこと
いずれの時代にか、経仁という男があった。帝の腹違いの弟に当たり、身分の高い人間ではあったが、控え目な性質で争いごとを嫌い、都の賑わいから離れた場所に屋敷を建てて住んでいた。屋敷の側に湧く泉の縁に、猫柳がたくさん生い茂っていたことから、人々は彼を楊泉宮と呼んだ。
さて、楊泉宮には年の近い叔母があった。亡き母の何番目かの妹に当たり、容貌も姉妹で似ていたので、彼は母上の形見のように思い、よくなついた。また叔母も、自ら子を持たずにいたので、彼を我が子のように思い可愛がった。この叔母は、内裏において典侍を務めており、橘家の出であることから、橘典侍と呼ばれていた。
屋敷の近くに生える猫柳が、まさに猫の尾に似たふさふさした芽をたくさん枝につけているのを見て、宮は叔母に届けようと思い、家の者に命じて枝を切らせた。
薄青の透けるような和紙にさらさらと一句したためて、枝の一つに結びつけると、文をつけた猫柳の束を伊惟に持たせ、自分は牛車に乗って内裏へ出かけた。
伊惟というのは、宮の乳母子である。内裏へ向かう道すがら、牛車の中まで梅の香が迷い込む。簾の隙間から覗き見る梅は枝振りもよく、紅白取り混ぜて春らしい景色を作っていた。
内裏にある橘典侍の仕事場へ顔を出すと、叔母はおらず、顔見知りの須磨内侍が目敏く宮に気付いて表へ出てきた。
須磨内侍はなかなか目端の利く女性である。伊惟から猫柳を渡すと、彼女は遠巻きに好奇の視線を送る女房たちの中から一人を呼び寄せ、橘典侍がいる場所まで持っていくよう命じた。
自分は宮がこの場に残るのを見越して話し相手を務めるつもりであろう。
楊泉宮も須磨内侍と世間話をするつもりである。内侍が柳の色目を着て、若草色の地に同系色の刺繍を施した唐衣を重ねているのも、宮には好ましく感じられた。
「近頃面白い話はありますか」
「つい先ごろ、中宮さまの御前で、物語合わせをいたしました。典侍さまが右方のまとめ役にお立ちになられたので、宮さまにお目にかかれるのを楽しみにしておりましたのに、いらっしゃいませんでしたのね」
「私が下手に応援したために、負けるようなことになっては、申し訳ないからねえ。それで、結果はどのようになったのだろう」
「もちろん、右方の勝ちでございますわ。それでも際どいところでございました。左右ともに、情のこもったお話が次々と出されまして、勝敗を決めなくてはならないのが残念なこと、と中宮さまも仰せられました」
即興で歌の応酬を交えながら世間話をしていると、橘典侍の使いが来た。
ついこの間まで住んでいた場所であるから、勝手知ったるもので、宮は案内を断ったのだが、行き先が中宮の御座所と聞いて一人で行くのを諦めた。
中宮は御簾の向こうにあって、叔母はその前で楊泉宮が出した文を広げている。表白裏蘇芳と梅の襲を身に纏い、上から淡い紅に染めた練り絹を重ねている。宮が姿を現したのに気付くと、微笑んで中宮の前へ座るよう促した。宮は典侍の顔を見にきたので、戸惑いながらも御簾の前へ腰を下ろして中宮に挨拶する。
「経仁殿の顔を見て、つれづれを慰めようと思いまして、典侍に会いに来たのを幸い、呼び立てたのです」
御簾の内側から側仕えの声を通じて中宮が言う。そこへ帝からの文を持って、蔵人が参上した。薄紅色の透き通るような和紙を、見事な枝振りの紅梅に括りつけてある。
「少しお待ちくださいね。帝へのお返事を書いてしまいますから」
帝への返事が優先されるべきなのはわかっているので、楊泉宮は独り言のようにして歌を詠む。
「猫柳は梅の香に引かれて去った鶯を待ちながら、淋しく朽ち果てていきます」
「鶯と言えば梅がつきものです。猫の側に寄ると食べられてしまいますから」
間髪入れずに中宮から返歌が来る。帝への返事は、さほど待たずに書き上げられた。宮は叔母と雑談する暇もない。待っていた蔵人に返事を渡すと、向きを変えたのだろう、御簾の内で衣擦れの音がした。
「わたしにそのような歌を詠みかけるぐらいなら、他に詠みかけるべき素敵な女性がたくさんいるでしょう。須磨内侍とはどうなのですか。仲がよろしいようですが」
「須磨内侍はとても気持ちのよい女性ですが、特にお付き合いはしておりません。先帝がわたしを臣籍に下さなかったのは、遠からず出家して先帝の後生を祈るだろうとお考えになられたためだと承知してはおりますが、まだ俗世に対する未練が断ち難く、山に入る決心がつかないのです。いずれ出家する身が、俗世の契りを交わすようでは志が浅いと非難されましょう」
中宮の叔母は先帝の后として楊泉宮の母、当時の麗景殿女御と寵愛を競った間柄である。現在、東宮には中宮の子が立太子しているものの、未だ若年であり、先帝も存命であられることから、臣籍にも下らず、法師にもならない帝の弟は中宮にとって気懸かりな存在であった。宮はもちろん事情を承知している。気懸かりを減らす機会があるたびに、権力に気がないことを表明するのであった。