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【第2章 異郷】  第9話 月下の異形 後編

「絵が気になりますか。(せい)(げん)真人(しんじん)


 その呼び名はやめろ、と思ったが、今はそんなことを言っている場合ではない。


「二人を絵に閉じ込めたのか」


 (えん)()はそっと矢を持ち、弓に当てる。

 灰色の目の者が不思議な力を持っている、ということはあまりない。どちらかというと、帝国にはまだないもの、あるいは、説明のつかないものを操って、怪異を起こす。

 もし、万が一、があったのなら、隙を見せれば淵季も取り込まれてしまうかもしれない。


「異形殿を、ですか」


 男は笑う。異形殿、という言い方に、淵季は嫌な気持ちになる。(りく)(よう)をそう呼ぶのは、あの仙人国の者たちだ。灰色の目の者たちから見れば、焦げ茶色の瞳をした陸洋は異形だ。しかし、この帝国にいれば、異形は灰色の目の者の方である。


「答えろ」

「いかにも。この掛け軸は妖怪でしてね。軸をその者にかぶせると、絵に取り込むことができる」

「術を解け」

「そうですなあ。あなたが、我々と共に来るというのならば、掛け軸に頼んでみましょう」

「頼めばよいのか」


 本当ならば、絵に向かって、陸洋と程適(ていてき)を解放してくれ、と懇願したいところだ。だが、目の前の男は、薄ら笑いを浮かべている。嫌な目つきが、口元が、陰影となって不気味に浮かび上がる。


「わたしが頼めば、あるいは。今まで呼び戻したことがありませんでな。たいていが、我等を迫害する者を取り込んで、死ぬまで待っているという形で」

「では、交渉は決裂だな。彼らが戻ってこないなら、俺がおまえたちに力を貸すことはない」


 ちらりと相手を見遣る。もし、淵季が必要なら、陸洋たちを解放する方法を口にするだろう。あるいは。


「おや、本当にそれでいいんですか。わたしはこの絵を焼くこともできるのですよ。ご友人がたが、絵の中であれ生きているのがいいのか、あるいは、絵の中であれ焼け死ぬのがいいのか」


 そちらで来たか、と思いながら、何と言い返そうか考えているときだった。

 不意に、背後の壁が破られ、柄の着いた丸い玉が突き込まれた。

 長錘(ちょうすい)である。棒の先に重い玉を取り付けて、相手を打つ武器だ。北方の民族がよく使うというが、最近では帝国でも使うようになった。しかし、そのような力任せの武器を扱う男は。

 長錘がもう一降りされて、屋根が裂けた。月明かりが一筋、部屋に降りてくる。


「陸洋!」


 月光に浮かび上がったのは、欧陸洋だった。動きやすいように官服を脱いで、程適のような衣と袴子(こし)だけの簡単なものを着ている。冠も外して、結った髪を布で覆っているのみだ。


「火を付けろ、程適」


 陸洋は長い柄で掛け軸を外すと外に投げる。程適の返事が聞こえ、外で赤い炎が上がる。

 途端、男の衣にも火がついた。まるで、絵と共に燃えているようだ、と思って、淵季はやっと、男が絵の妖怪そのものであることに気づく。

 とすれば、この男は仙人国の住人ではない。灰色の目は、化けているだけだろう。


「あああ」


 男は顔に手をやり、目元をこする。はらりと(うろこ)状のものが落ちた。


「目を見るな、淵季! 術をかけられるぞ!」


 陸洋が長錘を男の喉元に当てる。男が、陸洋の方を向いた。陸洋は顔を背け、男の視線から逃れる。だが、男は袖に火のついた手を伸ばし、陸洋の胸ぐらをつかんだ。

 淵季は咄嗟(とっさ)に矢をつがえた。男の目を射ればいいのはわかっていた。だが、陸洋が近すぎる。ほんの少し手許が狂うだけで、陸洋を射てしまう。

 男が陸洋の顔を自分の方に向けようと、髪をつかむ。結目がほどけた。陸洋の頬に、髪がかかった。


 飛びかかって止めよう、と思った。淵季自身が視線を浴びて被害に遭う可能性はあったが、陸洋は確実に助かる。

 弓を置こうとしたとき、陸洋が怒鳴った。


「射ろ! 大丈夫だ。おまえの矢は、私には絶対に当たらない」


 陸洋は自信ありげに微笑んでいる。


 気がつくと、矢を射ていた。まっすぐに男の目が射られると同時に、男の体が燃え上がり、ひときわ明るい炎になったかと思うと、消えた。

 室内は、青い月明かりが照らすだけになった。


「大丈夫ですか。旦那」


 程適が外から覗いた。陸洋の髪を見た途端、うわあ、と情けない声を上げる。


「ああ、程適。陛下から預かった品物を持って帰らなければならぬ。岩のところで待っている者たちを呼んで……」

「いや、旦那。少し身なりを整えてからのほうが」


 陸洋は頬にかかった髪をつまみ、自嘲気味にため息を漏らした。自分で髪を束ね、結い上げようとするが、日頃はほかの者にしてもらっているのだろう。手許が怪しい。


「俺がやろう」


 陸洋のそばにしゃがみ、髪に触れる。


「淵季はよく髪を下ろしているからな。頼むよ」


 無防備に背を向ける陸洋に、淵季は少し呆れ、それでも安心する。


「じゃあ、呼んできまさぁ」


 程適が一礼して、駆け出す。

 陸洋は軽く手を挙げて応えただけで、何も言わない。

 

「どうやって、絵から逃れたのだ」


 自然と、声が小さくなった。青白い月明かりの中では、たった一言でも、遠くまで響いてしまいそうな気がした。


「私と程適の絵か。あれは、術をかけられたふりをして掛け軸の前に倒れ込んだときに描いたんだ。ほら、私はいつも筆を持っているだろう」


 陸洋は詩を作るのが好きだ。だから、懐に旅用の筆を入れている。


「でも、色がついていた」

「兄が絵を趣味にしていてね。道具が余ったからと、このまえ私にくれたのだ。詩に絵でもつけようかと思って、持っていた。なにせ、近頃、出張が多いからな。珍しいものを書き付けておくのも悪くないだろう」


 陸洋らしい。

 欧家は、碁だの琴だの絵だの詩だのが得意な者が多い。それだけ、文化的に余裕があった家なのだろう。陸洋は詩に長けていて、陛下が所望するくらいだった。


「私からも、一つ聞こうか。いいか」

「質問を聞かないと、いいかどうかわからないな」

「あの男、灰色の目の者に化けていたな」


 陸洋は床に落ちていた薄い玻璃を拾い上げる。目に合わせて球体の上端を切り取ったような形になっていた。灰色をつけた玻璃が目にはめられていたから、妖怪は灰色の目に見えたし、淵季が術にかかることもなかった。


 ――小細工をしやがって。


淵季は胸に苦いものがこみ上げるのを、ため息で押し下げる。

 目にはめ込めるような玻璃を作れるのは、かつての仙人国だけだ。

 あの妖怪に仙人国の者とのつながりがあったのは、間違いない。


「弓を捨てようとしただろう。それは、仙人国の問題を悲観したのか」


 鼓動が()ねた。あの一瞬を思い返す。弓を捨てようとしたのは陸洋に矢を当てるおそれがあったからだ。そのくらいなら、自分が、燃えかすになりつつある絵に取り込まれたほうが――すべてを終えられる、と。


「……長旅で疲れていただけだ」

「私は悲観していない。あのときだって、何とかなったからな。何とかなるところを、私は見届けるつもりでいるよ」


 屋根の裂け目から、月光が陸洋に降り注いでいた。彼のつややかな髪をまとめながら、淵季は、ありがたいような、申し訳ないような気持ちになった。

 陸洋を巻き込んだことを(つら)いと思うことはある。でも、仙人国で囚われていた少年のあの日、食事も喉を通らぬ絶望の中で、薄く期待したのは陸洋が来ることではなかったか。


「陸洋」


 呼びかけると、案の定、陸洋が振り向いた。黒目がちの瞳は、さっきの騒動が嘘のように穏やかだ。仙人国で二人して逃げ回っていたときと、変わらない。


「髪は結ったぞ。早く官服を着ろ。それから、冠もだ」


 そうだな、と陸洋が立ち上がった。淵季は絵の妖怪がいたあたりに落ちていた矢を拾い、弓と一緒に箱に収める。

 

 一行は翌日には町を発ち、弓矢を華都に持ち帰った。 


☆☆☆

 

「なるほど、それがこの宝物の顛末(てんまつ)か」


 玉座から暗く低い声が響く。

 辺りに人はいない。報告が始まる前に、完全に人払いをしてしまっていた。

 衣擦(きぬず)れが聞こえ、玉座から人が立ち、大きな布が巻かれる音がする。


「顔を上げよ」


 命じられるままに玉座に顔を向ける。

 玉座にいる人は、変わらぬ色白で、すっきり通った目鼻をしている。少し会わぬうちに目尻に皺ができたように見えるが、それも化粧でのごまかしかもしれない。首元や手首の筋肉からは、体を鍛え続けていることがわかる。


「久しいな。淵季」


 淵季は目を伏せ、どう返事をしたものか迷った。目の前の人が座っているのは玉座だ。皇帝の座るところ。だが、座っているのは、皇帝ではない。

 知ったのは、官吏登用試験の面接のときだった。陛下にお目通りかなうということで、少し高揚し、緊張もしていた。人払いがされ、玉座の人が自分で幕をあげたとき、淵季は思わず息を()んだ。

 気がつくと叫んでいた。

 どうか、政治に関わる仕事をさせないでください、というようなことを。

 なぜ、その人が玉座にいるのかわからなかった。だが、ろくな事にならないと瞬時に察した。


「ほかの兄らに比べて、おまえは相変わらず慎重だな。権力をほしいままにしてみたい、などという野望は、持ったことがないのか」


 そんなものは、と言いかけてやめる。権力の恐ろしさなら、仙人国で存分に味わった。二度と関わりたくない。もし、許されるのなら、平凡な官吏として過ごしたい。


「おまえにその気がなくても、向こうはやる気みたいだがな」


 玉座でほおづえをつく姿に、淵季は、何を呑気(のんき)な、と思い、しょせんは他人か、とも思う。


「そのうち、対応しなければならぬかもしれません。大がかりになりそうです」


 淵季が答えると、玉座の人は、あはは、と笑った。


「良かろう。息子よ、頑張れ」


 淵季は答えず、偽皇帝――すなわち養父に礼をした。

                   〈おわり〉

お読みいただきありがとうございます!

宝石がいっぱいついた武器というと、オスマン帝国の短刀が思い浮かぶ方もいらっしゃるでしょうか。

実は、以前、博物館か美術館で見て、宝石の大きさに圧倒されたのでした。

宝石をたくさん使うことで豊かさを示し、相手を威圧する目的もあったとか。

なかなか美しい装飾で、思わず見入ったのを思い出します。


さて、前回と今回は前後編でしたが、次回は前、中、後編、あるいは、4回に分けて更新する予定です。

12月末までかかりますが、お楽しみいただけたら幸いです。


どうぞよろしくお願いいたします。

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